「小田原攻防戦」編
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10月も下旬のある朝、可南はいつものように着替えを済ませ1階に降りた。
「おはよー」
「おはよう可南。お昼ご飯になる前に早く食べちゃいなさい」
「うん、お父さんは?」
「お父さん?お父さんは今日肉じゃががいいって言ってたんだけどいいかしら?」
「んー」
返事になってないのはもう慣れた。休日出勤か、とプチトマトを摘みながらテーブルにつく。
キッチンの方からの母親の声に適当に返事をしつつテーブルの新聞をいじっていると、小さな記事が目に止まった。父の日課、スクラップの赤い目印がついている。
『野辺山宗八氏死 野辺山グループ前会長』
どこか見覚えるのある名前に可南は首を傾げた。
読めば亡くなった野辺山氏は会長を退いたあと私立図書館を運営していたが、その図書館は告別式と同日の今日閉鎖されると書かれていた。
「図書館……あ、」
そういえば、とても貴重な図書館だという話を堂上にされた憶えがある。確かメディア良化法とかの大事な報道資料が保管されているんだったか。……道理でグループ前会長なんて人を可南が知っていたわけだ。
父が珍しく難しい顔をして堂上と話をしていた姿が思い出される。
ふむふむ、と独りごちて新聞を閉じかけて、可南の動きが止まる。
("メディア良化機関に関する歴史的報道資料"……?)
堂上の言葉が頭に浮かんだ途端、可南はガタンと立ち上がった。
「ちょっともう、びっくりさせないでちょうだい、一体どうしたの」
「ごめん、後で食べる!」
驚いて呼び留める母の声も気にしていられず、可南は携帯だけ引っ掴むと家を飛び出した。
(お願い、……!)
最寄り駅に走りながら、そして電車を降りた後のバス停で可南は堂上の番号にかけ続ける。しかし何度かけても呼出音と留守電の女声とを繰り返すだけの携帯に、可南は堪らずバス停から走り出した。
(お兄ちゃん……!)
先程待っていたバスが横を通り過ぎていく。可南は泣きそうになりながら走り続けた。
「──は、はあ……っ、」
図書館についた頃にはすっかり息は上がり、髪もぼさぼさだったが、可南は気にも止めず図書館に駆け込んだ。
「っあの、すみません!」
可南はカウンターに突進するかのごとく駆け寄る。業務中だった図書館員はその勢いに少々戦きつつ、何かございましたか?と心配そうに立ち上がった。
「あの、兄と連絡が取れなくて……それでっ」
キリキリとした喉の痛みと焦りで上手く喋れない。館員の方もお兄様がどうかされましたか?と眉を下げるばかりだ。じわじわと視界がぼやけ、いよいよ泣きそうになったとき、
「可南ちゃん?」
涼やかな声に振り返ると柴崎が立っていた。
「柴崎さん…」
「どうしたの、顔が真っ青よ」
知り合いの顔に安心したのか、我慢していた涙が溢れた。兄は今どこにいますか。と訊きたいのに涙でいよいよ喋れない。
可南の背中を擦りながら只事ではないと察した柴崎は、素早く携帯を叩くと場所を移しましょ?と可南の背を押して歩き出した。
────────────────
From:柴崎
────────────────
Sub:no title
────────────────
終わり次第食堂に来なさい。
先に連れて行ってるわ。
───────END───────
警備中にそんなメールを受け取った郁は、交代要員が5分前集合なのをいい事に、同期に頼み込んで少し早めに昼休憩に入った。
正面玄関を警備していた郁は、迎えに来た柴崎と共に可南を見かけた。だが酷く焦った様子で、声をかけても全然気付かなかったのを不審に思って柴崎が追いかけた結果がこれだ。
(全っ然状況が掴めないじゃないッ!)
郁が食堂に駆け込むと、ちょうど反対の図書館側入り口付近のロビーチェアに##NAME1##と柴崎を見つけた。
「可南ちゃん大丈夫!?」
郁は人目もはばからず全力疾走で二人に駆け寄ると、目を紅くした可南の肩やら腕をぱたぱた触り、怪我はないか何かあったのかと問う。柴崎のちょっと、と窘める声も聞かずにあれこれ心配する郁を見て、可南は目を丸くしていたか思うと、わかりやすく安堵した表情を浮かべた。
「?可南ちゃ」
「~~~笠原さんっ!」
「へぶっ」
突然勢いよく抱きついてきた可南に、腰を屈めていた郁は思わず変な声が出る。体勢的に首が絞まり気味になりながら戸惑っていると肩口から啜り泣きが聞こえ、ぎょっとする。
「え、ちょ、可南ちゃん?」
「よかったぁ」
そう言ったきり再び泣き始めてしまった可南に、郁は訳が分からないと顔を上げると、柴崎は顎に手を当て顔をしかめていた。
「はい、これ。落ち着くわよ」
そう言ってココアを渡した柴崎に、隣に座っていた可南は恥ずかしそうに微笑い、ぺこりと頭を下げた。
「すみません、また泣いたりして」
「ううん、全然。落ち着いた?」
「はい、ありがとうございます」
「あんなに焦って、何かあったの?」
そう問うと、可南はカップを手で包み、恥ずかしそうに目線を落とした。
「実は新聞で野辺山さんの記事を見て、それでその図書館にお兄ちゃんも…笠原さん達も出動するのかなって思ったら不安になっちゃって。ほら、メディア良化機関にとっては邪魔そうな施設だから、出動するとしたらあの、日野…みたいに凄い抗争になるんじゃないかとか思っちゃって」
「え?」
思わず反応してしまったとき、一瞬柴崎から鋭い視線を感じた。郁の声が聞こえたのか、一度顔を上げた可南は、郁たちが黙っているのを見てまた恥ずかしそうに苦笑した。
「まあ全くの深読みでしたけどね!もう、やめてほしいですよね、もしかしてって思った時に限って電話通じないとか。心配するじゃないですか、ねぇ?」
あとで会ったらとっちめてやります!そう笑ってココアを飲み始める可南に、郁は何とも言えない表情になってしまう。柴崎を見れば、彼女は困っているとも悲しんでいるとも言えない険しい表情で可南を見つめていた。
「……?あの、忘れてください。すみません、こんな縁起でもないこと言って。あ、それよりお腹すきません?私朝ごはんまだなんでした。ここって電子マネー使えるんでしたっけ」
柴崎と郁の反応に対しての戸惑った表情から、おちゃらけた笑みへと替えた可南はさっさと立ち上がろうとする。郁は咄嗟に引き留めようとしたが、柴崎の方が早かった。
「あのね可南ちゃん、」
柴崎の静かな声に、郁に背を向けていた##NAME1##の動きが止まる。柴崎に振り返った横顔には能天気を装った微笑みはなく、その瞳はいつの間にかまた泣きそうに揺れていた。
「可南ちゃん、聞いて。堂上教官たちは昨日から小田原に行ってるの。ことによっては可南ちゃんの言う通り、今回の件が日野の悪夢以来の事件になるかもしれないって上層部も警戒してて、タスクフォースも全投入されてるわ」
「柴崎さんってばそんな冗談……だって笠原さんがいるし」
「笠原は、今日は別の仕事なの」
「でも、」
眉を下げる柴崎に、可南はきゅっと唇を引き結び俯いてしまった。
"日野の悪夢"
──20年前に起こった日野図書館襲撃事件。悲惨さにかけては図書館史上随一で、これを繰り返さないために図書館隊制度ができたと言っても過言ではない──
郁はそんな大事になるとは、警備中柴崎に聞くまで想像もしていなかった。そして今頭に浮かぶのは自分を外した上官で、この子の兄。
(もし、そんな大抗争で堂上教官が怪我して帰ったら可南ちゃんは、……)
図書隊では隊員が殉職した場合は勿論、抗争で負傷した場合でもその程度によって家族への報告が成される。
しかし、裏を返せば報告が不要と見なされた場合、例え負傷しても報告はされない。家族は心配することさえ出来ないのだ。
それは堂上も郁も勿論同様であるが、郁の場合その連絡先である実家に戦闘機種配属をまだ知らせていない。
その状態でもし郁の負傷又は殉職の報告がされたら…そうと思うと、報告していない事にとてつもない罪悪感が湧いてくる。やっぱり早く報告しないとなぁ…。
そこまで考えたところで郁はあれ?とひとり瞠目する。
そういえば、堂上はこの事を知っていたような気がする。柴崎の言うように、自覚のない甘ちゃんだったから外された可能性も否めないが、もしかしたら堂上教官が私を外した理由って……。
その可能性に気づいたとき、柴崎と目が合った。郁の百面相で考えていることが筒抜けだったらしい柴崎は呆れ顔だ。だがそれが堂上に対してであることは郁にもわかり、予想が確信に変わった。どんな贔屓だ!と憤懣が沸騰しかけたが、これはやはり自分が悪い。
「誰か、死んじゃったりしませんよね……?」
斜め下から聞こえたか細い声に意識が引き戻される。隣を見れば、可南は郁達のやりとりにも気付かず俯いたままだった。髪に隠れて顔は見えないが、図書館に駆け込んできた時よりも蒼白になっているのだろう。カップを持つ手は白く強張り、ココアも微かに波を描いていた。
「そうならないための厳戒態勢なんじゃない?」
「あら、笠原にしては少しは分かってるじゃない」
「あのねぇ、」
「でもその通りよ。二十年前とは状況がそもそも違うし、設備も潤沢だし訓練も足りてるわ。」
「……でも、」
未だに不安を口にする可南を、柴崎は真っ直ぐに見据えた。
「可南ちゃん、言っとくけど、そう簡単に死ぬ程あの人たちは弱かないわよ」
いつになく強気な目は確かに可南に向けられている。その筈なのに、その言葉は真っ直ぐに郁を貫いた。
他の誰よりも、それを信じなくてはいけないのは自分であると。
郁はにっと口角を上げると、可南の肩をほんの少しだけ強めに叩いた。
「そうよ!それにあたし、堂上教官には文句言わなきゃいけないんだから、そう簡単にくたばってもらっちゃ困るってのよ」
「それはあんたがちゃんとご両親と話をつけてなかったからでしょ」
「うっ、」
郁の言葉を柴崎がバッサリ切り落とす。
「ふふっ」
「よし、笑ったわね」
満足そうにニヤリと笑った柴崎につられて、ニヤリとして可南を見下ろす。すると思わずといった感じで微笑っていた可南がきょとんとする。しかし幾何もしないうちに、目を丸くしたかと思うと嬉しそうににこっと笑った。
「はい!私も信じて待ってることにします!」
「よし!それじゃあ、お昼食べよ!笠原、任務全うのため元気チャージします!」
そう言い景気よく立ち上がると、柴崎も続いて立ち上がった。
「可南ちゃんも確かお昼まだって言ってたわよね。一緒に食べていかない?ご馳走するから、笠原が。」
「えぇ!?」
「はい!あ、でも、家を飛び出してきちゃったのでやっぱり一回帰ります。母が心配してると悪いので」
申し訳なさそうに時計を見た可南に、それもそうかと頷く。
「そっか。じゃあまた今度ランチしに行こ!」
「いい店探しておくわ」
「はい、ぜひ!あ、…そういえば笠原さんは何のお仕事なんですか?」
思い出したとばかりに不思議そうにする可南に、郁は胸を張ってにっと笑った。
「護衛だよ」
*
「総員館内へ退避!」
良化法報道の資料が入った大きなコンテナを吊り下げた第一便のヘリが離陸して30分。離陸を許した腹いせのように激化した反撃に、図書隊はいよいよ持ちこたえられなくなってきた。
裏口に配置されていた堂上と小牧も現場指揮官の指示のもと、表に配置されていた隊員の退避の援護に回った。
バリケードから後退するときでも良化隊の攻撃は容赦なく続けられる。専守防衛の図書隊には敵の後退を妨害しないという原則があっても、良化隊にはない。負傷者を増やすことで確実に戦力を削ぎにくる。この時ばかりは、専守防衛の原則が些か恨めしい。
そしてまた一人、隊員がバリケードから飛び出した。
(遅い。)
比べた相手が脳裏を掠めたとき、案の定その隊員はこちらにたどり着く前に敵の銃弾を受けた。立てない様子から被弾箇所は足のようだ。
被弾者を重ねて撃つことはないとはいえ、隊員の上には尚も銃弾が行き交う。
「小牧、頼む」
「行けるのか」
小銃を置き、返事の代わりにヘルメットのベルトを締め直した。
「チビのほうが被弾面積が少ない」
訳知り顔で頷いた小牧は、こちらを見て小さく笑った。笠原さんか、と動いた口を堂上が読み取った直後、小牧が無線に叫ぶ。
「堂上二正が回収する!援護射撃用意!」
号令代わりに小牧が撃った刹那、図書隊側の銃声の密度が一気に上がる。それに背中を押されるようにして堂上は飛び出した。
隊員の元に滑り込み、身体の下に肘を突っ込んで一気に担ぎ上げた。
(重い、)
男一人担いだ分動きが鈍る。踏み出した一歩の重さに怯みそうになるが、姿勢を低く保つよう意識して走り出した。もうここまで来たら走るしかない。耳元を掠めていく銃声は敵のものか味方のものか。
「……戦力外というのは本気で思っておられるんですか」
「今に見てろチビ!大っ嫌い!だって」
(くそッ……!)
「堂上教官は私のこと信用してないんですね」
(違う、お前があんなハガキを俺に見せるから……!)
「笠原さんは来てないの?」
閉館前日の昨日、『情報歴史資料館』に取材と称して折口が乗り込んできた。
「奴は告別式で司令の付き添いだ。直属の上官たっての頼みでな」
「へぇ、意外と甘いのね」
玄田はからかい、折口も意外そうな顔はしながらも面白いとばかりに笑っていた。
「でも笠原さん怒ったでしょ」
「……今に見てろチビと詰られました」
折口と玄田が揃って吹き出し、折口は堂上くん、背ぇ低いもんねぇと無遠慮に追撃した。
「それにしても、今に見てろ、なんてよっぽどあなたのこと追いかけたいのね」
「違います」
わざとらしいほどしみじみと言う折口に、否定の言葉はすぐに出た。ほぼ条件反射のようなそれに、自分で言っておいて胸のつかえを感じたなんてことは断じてない。
「奴の追いかけたい相手は別にいます。俺じゃありません」
あいつが目指してるのは──
「堂上っ!」
入り口に文字通り転がり込み、担いだ隊員を放り出した。滅多に聞けない小牧の怒鳴り声に、片手を挙げて無事を示す。流石に、声は出ない。
「……員、は、」
「隊員は無事だ、新たな被弾もない。応急処置に回された」
小牧の返答に、そうか、と声にならない呟きを零してもう一度潰れ直す。貪るように喘ぐが、欲しいだけの空気がなかなか肺に行き渡らない。
(……くそ、)
奴ならこんな苦労は要らなかったな。
自分で外したくせに勝手な比較をして苦く笑った。
『関東図書隊より良化特務機関へ!関東図書隊は一二四〇時を以て当館に残された全資料に対する権限を放棄する!繰り返す!関東図書隊は───』