「フォーラム」編
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「どうだったんだ」
「何が?」
突然振られた話題に郁が瞠目して見上げると、顔を顰めた手塚と目が合う。
「見舞いに行ったんだろう」
「ああ、可南ちゃん。痛みもないし、湿布も貼ってるから大丈夫だってさ」
「そうか、なら良かったな」
「うん」
郁が到着したとき既に反省会が始まるところで、終わった後も堂上がすぐに業務部との会議に行ってしまったため、郁は可南のことを聞きそびれていた。
つまり、小牧たちを前に散々取り乱した郁も、まだ見舞いの報告をできていなかったわけで。
「撤収の残り頼んで悪かったね」
「別に。まあ、派手に発言した挙げ句、反省で名前が出たときその場にいないとか流石だよな」
「あはは…」
手塚も随分と喋るようになったものだ。こっそり盗み見ると、顰められていた顔はいつもの無表情に戻っていた。
それにしても、手塚の表情はよく変わるが、何を思ってなのかが本当に読めない。そうか、さっきのが労りの表情だったのか…。
「怒ってる顔と一緒じゃん」
「は?」
ドアノブに手を掛けたまま肩越しに振り返った手塚に、何も言ってはいないと郁は首を振る。納得いかなそうな視線を無視して、郁はさっさとドアを押した。
「点検完了しましたー」
「あぁ、二人ともお疲れ様」
「お疲れ様です」
お疲れ様でーす、と早々に手塚から離れ、硝子戸に手を伸ばす。
「ごめん笠原さん、ついでに俺にもお願いしていい?」
「いいですよー」
「俺もブラック」
「は?それくらい自分で淹れればー」
「は!?」
「まあまあ手塚」
「俺ですか!」
小牧からの思わぬ攻撃に驚く手塚ににやりと笑ったとき、堂上とパチリと目が合った。
「あ、」
可南のことを話し出しかけて、郁は口を噤む。堂上の眉は怪訝そうに顰められたが、流石にこの距離でする話ではない気がして、郁は作業をそのままに堂上へ歩み寄る。堂上の手には珍しく携帯が握られていた。
「あの、堂上教官」
「なんだ」
「可南ちゃんのことなんですけど、」
努めて小声にした郁の問に堂上は目を丸くし、ガタンと立ち上がった。
「可南と会ったのか!?何処で!?」
「ろ、廊下でぶつかって…怪我はしてないです!でも、風邪をひいてもいけないと思って今は私の部屋にいてもらってます」
「そうか」
堂上は椅子に背を預け、深く息を吐いた。そして驚いている郁をちらりと見て、気まずそうに頭を掻いた。
「世話をかけて悪い。…まあその、なんだ、ただのケンカみたいなもんだ」
「ケンカって、それだけで…」
堂上の不十分すぎる説明に、郁は眉を顰めた。
「可南ちゃん、すごく気にしてました。その、教官は心配してくれたのにって」
郁はそこまで言って、堂上を窺う。堂上は黙ったまま眉を顰めていた。立ち入りすぎたかと思い始めた時、堂上の掌で小さく、ちりん、と鳴った。
「心配、か」
「へ?」
「いや、…笠原、お前は怪我はなかったな」
郁は面食らったが、向けられた堂上の真剣な眼差しに、はいとだけ頷く。堂上はそれに、そうか、と口の片端を上げた。
「きょーかん?」
「…いや、何でもない。落ち着いたら帰してやってくれ」
「でも」
「ほら、鳴ってるぞ」
そう指差した堂上に反射的に振り向くと、ポットのランプが点いていた。向き直るとさっさと書類を広げていた堂上に、郁は煮え切らない思いで背を向けた。
小牧にカップを渡し、手塚と自分の分を手に席につくと、手塚が郁の机の方に身を乗り出した。
「おい、やっぱり何かあったのか」
「え?あぁ、いやぁ、」
手塚に言っていいのかどうか口篭ったところで差した影にばっと顔を上げると、堂上が立っていた。
「どっ、堂上教官…」
「笠原、」
話そうとしていた手前思わず狼狽えると、膝の上でガサリと重みを感じる。視線を落とせば、乗せられていたのは一つの紙袋だった。
「これ、アイツの荷物なんだが、…頼んでいいか」
「いいです、けど」
悪いな。そう苦笑い、堂上はデスクに戻って行く。ちりん、とまた耳を掠めた音を探すと、堂上の腰に先程の小さなキーホルダーが揺れていた。
それを何とも言えない表情で見送ると、郁はそっと紙袋を覗き込んだ。中には確かに可南の鞄とブラウスが入っていた。
畳まれ方が丁寧だなということが目に付いたが、可南にメールを打とうと紙袋を持ち上げたとき、ちりん、と鳴った。
聞き覚えのある音に再び紙袋を覗き込んで、郁はふふっと微笑み、そっと立ち上がった。
「笠原?」
「堂上教官、すみません、行ってきます」
「笠原さん、どこ行くの?」
小牧の声に振り返ると小牧や手塚だけでなく、何故か堂上まで驚いていて可笑しくて笑ってしまいそうになる。
「堂上教官のお姫様のところに」
「は、」
まさに、鳩が豆鉄砲を食らったような顔の堂上はそのままに、郁は微笑みを絶やさずに事務室を出た。だが一人になった途端、ついに我慢出来ずに小さく声を上げて笑ってしまった。
手元で揺れる小さな音を聴きながら、足早に向かうのはもう一人の"堂上"のところ。
(全くもう、)
なんて世話の焼ける兄妹だろう。
部屋のドアを開けると中は薄暗かったが、廊下からの電灯に微かに動く影があった。
「可南ちゃん?」
パチっと電気をつけると、テーブルの傍らに丸く蹲る可南の姿があった。
郁は、出て行く時にずらしてしまったらしい小さな靴を揃え、音を立てないように可南の傍にゆっくりと腰を下ろした。
どこか幼さの残る、穏やかな寝顔。
捲られたパーカーの袖には、涙の染みが残っていた。郁は息を緩め、少女の頭をそっと撫でた。
撫でたことで顔にかかってしまった髪をよけた時、可南の目尻から涙が一筋すっと光って落ちた。
「……ごめ、ぃ…」
「可南ちゃん?」
「ぉにぃ……」
郁は思わず手を止めたが、可南は変わらず目を閉じている。
たった一度だけ呟かれただけなのに、可南の舌っ足らずな声は、きゅうっと切なく、だが不思議と郁の心を温めた。
『あぁ…まあ、なんだ、ただのケンカみたいなもんだ』
『心配、か』
『…笠原、お前は怪我はなかったな』
『…いや、何でもない。落ち着いたら帰してやってくれ』
『これ、アイツの荷物なんだが、…頼んでいいか』
そう言って差し出された紙袋の中にあった可南の鞄。そこにつけられたキーホルダーは確かに、堂上の携帯に付いていたのと同じキーホルダーだった。
「なんと言うか…」
あまり似ていないと思っていたが、堂上と可南はよく似ているのかもしれない。不器用なところも、優しいところも。
郁はいた事のない妹を可南に重ねた。妹がいたらそれはきっと生意気で小憎らしくて、でも何かあったとき、自分を置いても守りたいと思える大切な存在だろうと。郁が、自分の兄達を大切に思っているのと似たように。
「一緒に謝ろうか、堂上教官に」
郁は相変わらず丸まっている可南に微笑むと、愛しい妹分の肩を優しく揺すり起こした。
*
────コンコン、
「はい」
可南のノックに中から返事をしたのは兄の声だった。
それを聞いた瞬間、可南は郁を振り返る。
「郁さん、」
「大丈夫」
余程不安そうに見えたらしい。郁は優しく微笑い、抱きしめてくれた。実際不安で仕方がないが、郁のエールに背中を押され、可南はドアノブを握り締めた。
「し、失礼します」
初めて自分で開ける事務室のドアは、とても重く感じられた。
そろりと中に入れば、沢山の机の島があり、皆一様に仕事をしていた。この前は気にならなかったその雰囲気に圧倒されそうになったとき、驚いた表情の堂上と目が合った。
「お兄ちゃん、」
目の前に立つと、堂上の顔に緊張が走ったのがわかった。だが一度小さく息を吐くと、可南は真っ直ぐに堂上を見た。
「さっきは、心配してくれたのに勝手に怒ってごめんなさい」
ドキドキしながら目を見つめる。許してくれるだろうか。
軽口を叩いたり姉と一緒に悪戯をしたりはしても、怒鳴ってしまったのも喧嘩したのも、これが初めてだった。
子どもみたいな謝り方しか知らない恥ずかしさと、許してもらえるのかという不安に可南が目を伏せようとしたとき、頭にぽんと重みが乗った。
「…いや、俺も悪かったし、言い過ぎた。お前はもう18で分別もある。守られてるばかりの子供じゃなくなってきてるのも分かる。…だがな、」
一度言葉を区切ったかと思うと、堂上はふっと微笑み、真っ直ぐだが優しい眼差しを可南に向けた。
「それでもお前は、俺たちから見たらまだ守ってやらなきゃいけない存在なんだ。別にそれを恥じることはないし、迷惑だと思う必要もない。みんな通ってきた道だ。…だから焦らず、お前のペースで追いかけて来い」
堂上の言葉に、可南は目を丸くした。
(なんで……)
誰にも言ったことなかったのに。しかも可南自身もはっきりと分かっていなかった不安までも、堂上は言い当てた。
可南は驚いたが、その言葉がすとんと心に落ちてきて、声も出せずに黙って頷いた。
(……そっか、私、不安だったんだ。置いていかれる気がして…)
また可南の目に涙が滲んだとき、堂上は立ち上がり、可南を抱きしめた。可南は恥ずかしさに身じろぎしたが、小さい頃のように背中をぽんぽんとされて抑えが効かなくなり、結局堂上の腕の中で泣いてしまった。
そのとき周囲は、普段通り仕事をする振りをしながら、微笑ましく堂上兄妹を見守っていた。
郁もその内の一人だったが、堂上の"お前のペースで追いかけて来い"という言葉が、あのときの王子様から言われたような錯覚を覚えて、小さく首を傾げた。
*おまけ*
────────────────────
To:可南
────────────────────
Sub:no title
────────────────────
さっきは悪かった。今何処だ?
─────────END─────────
送信完了の表示と同時に、篭ったバイブ音が耳に入った。
堂上は足元にやった目を閉じ、携帯を閉じると長く息を吐いた。
(何故女は貴重品を身につけておかないんだ…)
足元に置いた紙袋の中──可南が置いて行った荷物の中で緑色が点滅しており、その振動で、鞄についたキーホルダーが微かに揺れていた。小さなそれは確かに昔自分がやったものだが、そんなことは今はどうでもいい。
(勘弁してくれ)
これでは不携帯電話もいい所だ。
「はーんちょ」
「あ?」
振り向きざま、ブスリと頬に何か刺さった。指の先を辿れば、にんまりと微笑む男。
「こういうの意外とひっかかるよね」
「……仕事しろお前」
阿呆か。無視に限ると顔を背けても付いてくる指に、眉間の皺が深まる。
「……おい、」
「これ、懐かしくない?子供がやってるの見つけてさ。今の班長見たら俺もやりたくなっちゃった」
何がなっちゃっただ、気色悪い。自分の歳を考えろ三十路野郎。依然として頬にある指を叩き落とすと、そいつは表情をそのままに、こてんと頭を揺らした。
「ご機嫌斜めってか。お姫様に振られでもした?」
訂正。今傾げた首も一緒にへし折ってやる。
いよいよ睨みつけたが、小牧はさして気にしてもいない様子で怖いよ班長~と苦笑っただけだった。
「まあそれはさて置き、聞きたかったのは可南ちゃんの具合だよ」
「は?なんでお前が知ってるんだ」
「俺だけじゃないよ。結構みんな知ってる。笠原さんが半泣きで報告に来たからね」
「アイツ…」
郁の慌て様が容易に想像できてしまい、堂上は苦笑するしかない。
「で?大丈夫なの?」
「二、三日冷やしときゃ問題ない」
「それは堂上基準?それとも可南ちゃんの柔肌基準?」
にこにこと訊いてくる小牧に、堂上の米神に青筋が浮かぶ。
「お前セクハラで訴えるぞ」
「冗談だよ。班長は本当に通じないな」
「黙れ」
「はいはい。まあ、大丈夫ならいいんだけどね」
そう微笑った小牧から、堂上はふんと顔を背けた。
思い出されるのは白くなるほどに握り締められた手、風に震える肩、赤くなった背中、そして可南の傷ついた表情。
堂上は無意識に携帯を握り締めていた。
「お前が何を気にしてるのかは聞かないけど、可南ちゃんにお大事にって言っておいてよ」
足元のそれを届ける時にでもさ。なんともないようにサラリと付け加えられたそれに、頷きかけた堂上はばっと小牧を振り返った。元々察しの良いのもあるが、この男は全部知っていてわざと惚けてるんじゃないかと思う事がままある。
とんだ狸だと睨みつけるが、小牧からはさも無害そうな微笑を返された。
「点検完了しましたー」
「あぁ、二人ともお疲れ様」
「堂上教官のお姫様のとこです」
「は、」
堂上は笑顔で言い放たれた言葉にピシリと固まった。郁は言い逃げたつもりで、とんでもない爆弾を落として行ったのだ。
確かに頼むとは言った。言ったが!
(そんな通る声で言うなッ!!!)
郁から出るとは思っていなかった言葉は、事務室中ばっちり聞こえたらしい。郁が出て行き小牧が机に沈んだのと同時に、すちゃらか軍団の笑いが弾けた。
「なんだ堂上!お前お姫様二人いたのか!」
「浮気か!」
奥から次々と上がる野太い声に堂上はすっと立ち上がる。そして神妙な顔を作った部下の向かい──男にしては柔らかいその茶髪を机に叩きつけた。
Fin.