「フォーラム」編
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そして迎えたフォーラム当日、広場には特設ステージが設けられ、そこには悠馬たちに呼ばれた可南の姿もあった。
"子供の健全な成長を守る会"と図書館との討論は前半・後半に分けられ、悠馬たちの発表は討論の中間にプログラムされていた。
「皆さん、こんにちは。僕たちは中学生の立場から図書館の自主規制について考えてみました。方法としては、武蔵野市内の中学生を対象にアンケートを実施しました。お手元の資料をご覧ください。──」
資料をめくる音が響く。そして悠馬たちの発表が始まって暫くもしないうちに、聴衆の感心する声がところどころから聞こえてきた。
しかし突然響いた椅子の音が、悠馬たちの発表だけでなく聴衆のざわめきすら断ち切った。
「止めなさい!」
立ち上がった会長は、わなわなと震えていた。
「こんな話、聞く意味なんてないわ!
この子達は私達の集会に花火を打ち込んだのですよ!そんな悪質なイタズラをした子供たちの話なんて!」
考える会の会長のヒステリックな声に、壇上の悠馬たちが凍りつく。そして本人達の反応がかえってそれが事実であると示してしまった。聴衆がざわつく中、可南は思わず立ち上がった。
「ちょっと!」
「異議ありッ!」
被さってきた声に驚いた可南が振り返ると、並べられた聴衆席の後ろで、制服姿の図書館員が一人、真っ直ぐに挙手していた。
すらっとした伸びたシルエットはその隣にもう一つあった。
(笠原さんと小牧さん…?)
呆気に取られていると、柴崎が何やら笑みを浮かべながら可南のすぐ脇を走り去って行った。その手に握られていたマイクは、当たり前のように郁に手渡された。
「確かに子供たちはイタズラをしましたが、ちゃんと謝ったし、会長さんもその謝罪を受け入れたじゃないですか!」
郁がマイクに向かって一気に捲し立てると、ピンマイクが会長の息を呑む音を拾う。明らかに怯んだその様に、聴衆に再びざわつきが広がった。
「そちらのお嬢さんも、何か?」
「え?」
そこでやっと、可南は郁の発言中ずっと立ち竦んでいた事に気付いた。
先程郁に向けたのと同じ笑みと、観衆から集まった視線に、可南の肩が小さく震えた。
「いえ、私は、」
「はい、お嬢さん」
驚いて振り返ると、いつの間に隣に立っていたのか、悪戯っぽい笑みを浮かべた小牧からマイクを渡された。
「大丈夫、言いたい事言いな?」
小牧に軽く背中を押された可南は一瞬怯んだが、意を決したようにマイクをぎゅっと握りしめた。
「私は親に、他人に迷惑をかけたら、心から反省して謝らなくちゃいけないと教わりました。ですが、反対に自分が嫌なことをされても、相手が心から謝ってきたらきちんと許すものだとも教わりました。
私はこれが当たり前なのだと思ってました!親は皆こう教えるんだって!
それなのに、謝罪を受けた後でこんな、攻撃の材料にするなんて!謝っても意味ないって言っているようなものじゃないですか!」
腹を括ってからはもう勢いだった。可南の堂々とした発言に、聴衆からは自然と拍手が上がる。
可南は言い方が少し子供っぽかったかとも思ったが、構わず会長を睨み続けた。そんな可南に、小牧はふっと小さく笑みをこぼした。
すると、それに続くように可南のすぐ近くでまた一つ手が挙がる。マイクを受け取った中年男性はPTAの一人らしかった。
「子供たちが謝ったことを言わないのは不公平ではありませんか?」
一般の聴衆からの明らかに非難を含んだ言葉に、会長は黙ることしか出来ない。そしてその男性は壇上の2人に向き直ると、僅かに微笑いかけた。
「続けなさい。君たちの意見を最後まで聞きましょう」
男性の言葉に、悠馬は力強く頷いた。再開された発表は滞りなく進み、最後の大河の子供らしい素直なコメントには、聴衆から温かな笑い声と大きな拍手が贈られた。
「お疲れ様」
「良かったよー」
可南と郁は控えのテントを訪れ、悠馬たちを労った。
「笠原さん有難うございました!援護して頂いて!」
「いや、援護なんて大層なことしてないよ」
「笠原さんカッコよかったなぁ。俺、感動した!」
「ね!普通あんなにはっきり言えないよね!私すっきりしちゃった!」
「そういう可南さんもずばっと言ってくれたじゃないですか!」
「え!?いや、あれは……」
まだ興奮の冷めない二人と可南の三人の間に流れる和やかな雰囲気に、郁も曖昧にではあるが一緒に笑う。
郁も知らない間に"悠馬くん""大河くん"そして"可南さん"と呼び合うほど打ち解けていた可南たち。
実は準備期間中、堂上が一度だけ様子を見に行ったことがあった。柔らかい表情を見せる可南に、堂上がほっとして帰ってきたのは特殊部隊(と柴崎)だけの秘密だ。
「よくも……」
ふと聞こえた声に可南が後ろを振り向くと、会長が郁を睨みつけていた。
「私に恥をかかせてくれたわねッ」
ヒステリックな叫びと共に、会長は何かを振りかぶった。次の瞬間、郁目がけて紙コップと湯気の上がる飲料が宙を舞う。可南の目にはそれがまるでスローモーションのように映った。
「笠原さんッ!」
咄嗟に飛びつくように郁の前に体を滑らせ、目を瞑る。最後に見えたのはこれでもかと目を見開いた郁の顔だった。
パシャッという水音が背中で弾けた。刹那、背中に痛みにも似た熱を感じ、可南は思わず顔を歪める。
「可南ちゃん!」
コーヒーの匂いが鼻を掠める。
郁の焦った声に、可南は反射的に大丈夫ですと笑った。背中にはじんじんと痺れが広がったが、笑みだけは崩さなかった。
「可南ッ!」
新たに聞こえた声に首を回すと、大きな背中が会長と可南との間に立った。
「大袈裟にはしませんが、よく考えてください。今日のご自分の言動がどうだったか」
その背中が振り返るその向こうで、会長がへたりこんだのが見えた。
「医務室行くぞ」
歩けるな。
小声の確認にこくんと頷くと、手首を緩く引かれる。可南は心配そうに顔を歪めていた三人に微笑いかけ、テントを出た。
「…背中以外に怪我は」
「うん、平気だよ」
三人の死角で振り向いた堂上は、眉間に皺が寄っていた。見慣れた仏頂面に、可南はごめんなさいという意味を込めて笑ったが、堂上はさらに眉を顰めただけで再び歩き出した。
可南はその半ば引きづられるようなスピードに付いて行くことに必死だったが、兄の手がいつの間にか手首から手に繋ぎ直されているのを見てそっと息を吐いた。
「…怒ってる?」
可南がぽつりと零した声は湿布のフィルムを握り潰す音に掻き消された。
後ろで立ち上がる気配に振り返れば、衣替えしたばかりの目新しい茶色の背中はいつの間にか遠ざかっていた。
「っ、くしゅっ!」
肌寒さに可南はぶるっと震え、両腕を抱き締めるように擦る。ちらっと視線を落とすと、脱ぎっぱなしにしていたブラウスは、いつの間にかフットボードに広げて掛けてあった。
す、と指先でコーヒーのシミに触れてみる。
少し乾いてきてはいるものの、すっかり冷たくなったそれに眉を顰めたところで、視界が暗転した。
「それ羽織っとけ」
「…ありがとう」
投げられた制服から顔を出した時にはまた、堂上は既に背を向けた後だった。
だがさらさらとした裏地に残った仄かな兄の温もりにほっと息をつくと、可南は今度こそ兄を見据えた。
「濡れた服はこの袋に入れろ。寒かったらそこの毛布でもなんでも使っていいから、」
「お兄ちゃん、」
「なんだ」
「怒ってるよね?」
やっと振り向いた堂上の眉間に皺はなかったが、その無表情な感じは露骨に怒った顔よりもかえって不機嫌そうに見え、可南は苦笑する。
「別に、怒ってない」
「怒ってるよ」
「……」
医務室に来るまでも、手当ての間もほとんど会話という会話はなかった。
元々饒舌な方ではないにしても、小言を言うのがこの兄だというのに。
雲がちの陽が袖の樺色を薄ぼんやりと照らす中、すっきりしない沈黙が二人を包む。
いつまでも答える素振りを見せない堂上に、可南は小さく溜息をつき、床に伸びる窓の薄い影に目を落とした。
「……アイツは」
漸く口を開いた兄を振り返ると、腕を組んで真っ直ぐこちらを見ていた。
「笠原はいつも訓練している」
「…は?」
素っ頓狂とも思えるような言葉に、可南はぽかんと口を開ける。呆気にとられている間も、堂上は言葉を選ぶようにゆっくりと話し続ける。
「笠原はタスクフォース隊員として良化隊の襲撃も経験しているし、アイツはあれでいてかなり…実戦向きだ。咄嗟の判断もできる。
可南が笠原を守ろうとしたのは分かるし、その気持ちは偉い。
だがいくら突然の事とはいえ、周りに一般人のお前達がいる中で盾と成るべきはアイツだ。対してお前は一般人も一般人の未成年だろ。あまりこんなことは言いたくはないが、ああいう場面では本職に任せておけ。下手に手を出すな。もしそれでお前が、」
「ちょっと待ってよ」
言いたいことはいっぱいあるのに、やっと絞り出した声は低く、掠れていた。
「……何それ。私は訓練してないから、笠原さんを庇っちゃいけないの?」
「そんなことは言っていない」
「じゃあ、何?」
腕を組んだまま、こちらをただじっと見つめるだけの堂上の様は、可南をはっきりと苛立たせた。
「じゃあなんだっていうのよ!」
立ち上がった勢いでベッドが大きく軋む。制服の襟元を押さえる可南の手は、すっかり白くなっていた。
「可南、落ち着け」
「落ち着け?」
小さく鼻で嗤うと、可南はつかつかと歩み寄り、組んである腕を力任せに引っ掴んだ。
「ふざけないでよ」
そのまま腕を、痣でもつける勢いで力いっぱい握り締めても、堂上は困ったように眉を下げただけだった。
「ふざけないでって言ってるの!」
「可南、」
(何よ、その顔…!)
堂上は妹を落ち着かせるように、やんわり咎めているつもりなのだろう。だが可南はその、聞き分けの悪い幼子に向けるような生暖かい眼差しが一番嫌いだった。
「笠原さんは強いけど、私は強くない?分かってるよそんなこと!でも目の前で笠原さんが傷つけられそうなのに、それをただ黙って見てるなんて出来ない!」
「だとしても、お前は無茶しすぎだ。それがわからないのか?」
「ただコーヒー被っただけよ!それに、ちゃんと笠原さんは守れたもの!」
「それが要らんお節介だと言っているんだ!」
「なんでお兄ちゃんにそんなこと言われなきゃいけないの!」
「じゃあ聞くが、間に合わなくて二人共負傷するかもしれないとは考えなかったのか?間に合ったとしても、お前が飛び出したせいで、笠原の判断が遅れて一人で防げた筈のものも防げなくなる可能性は?
お前が勝手に手を出したお蔭で、結果的に一般人に負傷者を出したと笠原が責任を感じることはないと!?」
「そんなの知らない!咄嗟だったもの!私は笠原さんを守りたかっただけ!お兄ちゃんだってあの場にいたら絶対そうしたくせに!」
「どうして、どいつもこいつも脊髄で物を考えるんだ!?お前はもう少し利口だと思ってたがな!」
「はあ!?それ自分にすっごいブーメランだって気づけば!?」
「うるさい!それにお前はまだ子供だろッ!子供なら子供らしく──!」
売り言葉に買い言葉。そこまで言いかけて、堂上はしまったと口を噤んだ。
可南は一瞬目を見開いたまま固まっていたが、こちらを睨みつける目にどんどん膜が張り、鼻も赤くなっていく。そしてきゅっと口を引き結ぶ様は、可南が泣くのを我慢する時の仕草そのものだった。
堂上は喉が詰まり、咄嗟に右手を伸ばしたが、可南に掴まれていた左腕を思いっきり投げ捨てられたことで、零れ落ちる涙に届かなかった。
「……何よ…みんなして子供、子供って!迷惑かけたことは悪いと思ってる。でも私だってもう18よ。自分のことはわかってるし、自分で判断できる!いちいち子供扱いして何だかんだ指図しないでッ!」
「可南ッ!」
そう叫ぶが早いか、可南はドアを力任せに開け放ち、医務室を飛び出して行った。
……やってしまった。
思っていたこととはいえ、ただ不満をぶちまけるだけなんて最低だ。兄を困らせるだけだと、可南だってわかっていた筈だったのに。
(……こんなの、こんなのッ)
情けなくぼろぼろと止まらない涙。
可南が歪む視界に目をぎゅっと瞑ったとき、ちょうど角から出てきた誰かとぶつかった。
可南は突然の強い衝撃に耐えきれず、尻もちをついてしまった。
「うわっ可南ちゃん!?ごめん!」
慌てて跪いた郁に、可南は咄嗟に俯き、涙を拭い濡れた掌を握って隠した。
「さっきは本当にごめん。今から行こうとしてたんだけど、……立てる?」
優しい声に小さく頷いて重ねた手は思いの外硬かった。一瞬戸惑った隙に手を引かれ、されるがままに立ち上がる。
制服の上から見る分には可南の腕と、そう変わらないように見える郁の腕。それなのに、可南一人をいとも簡単に引き上げてしまう力の強さに、可南は小さく唇を噛んだ。
「可南ちゃん…?」
俯いたまま何も言わない可南に心配になり、目元を覗き込んだ郁は慌ててポケットに手を突っ込んだ。強く擦ったのか赤く腫れた目元からは、今にも涙が零れそうに揺れていた。
郁はポケットから取り出した白いハンカチを、そっと可南の目元に宛てがう。
可南は肩を揺らした後、やがて小さく頭を下げた。気まずげに逸らされた視線と、怖々とハンカチを受け取る様子を気にしつつ、可南の全身に素早く目を走らせる。
今の衝突による外傷はない。
それに湿布の匂いがすることから、堂上に手当てを受けた後であるのは確かだ。
ひと目見たときから気になっていた可南の格好。可南は堂上のものだろう図書隊の制服を羽織っているが、形状上開いた胸元は手で押さえているだけだ。汚れた服の代わりに羽織らせたのだろうが、あの堂上がそのまま可南を外に出すはずがない。
「……笠原さん」
視線を戻すと、可南は申し訳なさそうに項垂れていた。
「ごめんなさい…」
「ううん、大丈夫だよ」
彼女の元々の服についても、諸々の事情も後で聞くしかない。
「取り敢えず、着替えようか。少し歩くけど、大丈夫?」
視線を落としたまま小さく頷いた可南の手を引き、寮棟に向かって歩き出した。
「どうぞ上がって?これ使っていいからね」
可南を座らせ、箱ティッシュをテーブルにセットした郁は、クローゼットから少し小さめのパーカーを手に取る。だがふと思い直して引出しを漁り、Tシャツも引っ張り出した。
「サイズ大きいかも知れないけど、良かったらこれ着て?」
「…ありがとうございます」
鼻声混じりの小さなお礼に郁は微笑み、クローゼットを整理する振りをして、郁はさり気なく後ろを向いた。
「さっきはありがとう。背中、火傷してなかった?」
「一応、湿布は貼ってます。でも痛みはないので…。すみません、服まで…」
「全然気にしなくていいよ。あのままでいる方が心配だからさ。寒くはない?」
「あったかいです。あの、もう着替えたので大丈夫です。…ありがとうございます、本当に」
あまり首元の開いていないものにして正解だった。同じ女性ものでも背の高くない可南に、郁の服はどうしても大きい。
申し訳なさそうに袖を捲る仕草に、郁はこっそり頬を緩めた。
「あのあと、何かあった?」
ペットボトルでごめんね、と買ってあったお茶を出しながら、努めてさり気なく尋ねる。ちらりと伺えば、可南は袖を捲っていた手を止め、ぎゅっと口を引き結んでいた。
「あ、無理にとは、」
「……喧嘩みたいなものです。でも、お兄ちゃんは悪くないんです…。心配してくれたのに私、きれちゃって…それで…」
それきり黙ってしまった可南。伏し目がちに見せた微笑に、いつもの明るさは見えない。また可南の瞳が濡れ始めたのに郁が腰を浮かせた時、無線が入った。
「笠原一士、直ちに合流します!」
襟元に叫ぶなり、郁はすぐに立ち上がる。可南はそんな郁をぽかんと見上げた。
「可南ちゃん、悪いけど此処に居て?何かあったら携帯に連絡してくれていいから!」
そう言うなり、郁は返事を待たずに飛び出して行ってしまい、嵐が過ぎ去ったあとのような静けさが降りる。独り残された部屋はなんだか寒くて、可南はすっと膝を引き寄せた。
(……最悪。)
心配してくれた兄に逆切れ、仕事があるのに笠原さんの手を煩わせてしまった。冷静に思い返せば、自分の行動すべてが自分の嫌ってる自分勝手な"子供"そのものだった。
調子のいい時ばかり大人ぶる自分も、いつの間にか兄に頼ってしまう自分も、本当は嫌いだ。でもどうしていいのか分からない。我慢しても絶対にどこかでストレスを感じて、別の人に甘えてしまう。
テーブルの上を見れば、そこに立っているのは、飲めないストレートティー。可南は苦くてどこか癖のあるストレートティーよりも、甘いミルクティーの方がずっと好きだった。可南は堪らず体ごと背けて、それを視界から追い出した。
(わかってる、…わかってるよ)
可南は自分の見た目も年も中身も、まだまだ子供だと自覚している。
だからこそ小牧や堂上に子ども扱いされるのは、悔しくて寂しかったし、お茶目な所があっても、彼等と渡り合える大人の郁が羨ましかった。
ぼろぼろと流れ落ちるやるせなさは、上を向いても口元を引き結んでも、郁のパーカーに大きなシミを作っていく。
(なんで私は、こんなにも……)
綺麗に畳まれた兄の制服が可南の爪先に触れた。
可南は小さい頃、よく泣きながら兄の後ろにくっついていた。思春期の兄はいつも迷惑そうに怒った顔をして、でも最後には可南を膝に乗せて涙を拭ってくれ、疲れて眠ってしまっても起きるまでそのままで居てくれた。
可南は瞼の裏に焼き付いた兄共々、膝に熱い目をぎゅっと押し当てた。