「ロマンシング・エイジ」編
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夜、時間あるか。
可南を見送って来たのだろう、昼休み終了三分前に帰ってきた小牧にそう一言伝えると、終業後きっかり二時間で部屋のドアがノックされた。顔を出した小牧は、もう既に俺の要件が分かっているようだった。
「で?」
挙句開口一番そう切り出してつまみをぽんぽん開けていくのが、かえって俺の方が居心地が悪い。
「……いや、」
「可南ちゃんの事じゃないの?」
とうとう俺は溜め息をつくしか無くなった。分かっているなら言わせないでくれ、と一気に疲れた気がした。
「今日の俺、おかしく見えた?」
小牧はそう言って缶を傾けたが、溜息をついたその顔は酒の味も分かっていなさそうなみっともない顔だった。
「お前どうしたんだ」
「んん、」
こんなに余裕が無い小牧など、言ってはなんだが、査問から帰還したクマを貼り付けた顔より見ていられない。俺まで酒が不味くなりそうだった。
あまり面白いと思える番組がない中、とんとんとチャンネルを回して外国の景色が流れる所でリモコンを手放した。
「……半年もいないとなるとさ」
随分長い沈黙だったと思う。中々喉を通らない酒が一本丸々無くなった頃、テレビに向かって俺に背を見せていた小牧の肩が小さく揺れた。
「帰ってきたら、もう二十歳なんだ」
「……ああ、」
そういえば可南の誕生日は来月だ。末っ子を溺愛している親父ががっかりしていたのが頭を過って、少し納得した。そうか、二十歳か。
「良かったじゃないか、未成年に手を出すなという俺の文句から開放される」
「それはそうなんだけどね。……俺これでも決めてたんだよ、彼女が二十歳になるまでは今まで通り "お兄さん" でいるって。
でも情けないことにさぁ……直月くんと行くって聞いただけでもう気が気じゃないわけ。
しかも何?水着を一緒に選んだって?可南ちゃんのあの楽しそうな顔見たでしょ。あの子たち実は付き合ってない?」
「あぁ……?」
一緒に選んだとまでは言ってなかったと思うが。そもそも俺は、会ったことがない妹の友人を、小牧の想像上であれ勝手に恋人に祀りあげるのは辞めて欲しいという方が正直な所で。
「だが付き合ってはいないんだろう?」
「そうだよ。いや知らないけど、そうじゃなきゃ困る」
大した酒も入っていないのに変に子供っぽい口調。らしくなさ過ぎて、巫山戯る余裕があるなら放置してやるのに。だが天井を仰ぐ横顔は本当に疲れていて、俺に可南が好きだと打ち明けてきた時以上に自嘲が色濃い。上体は脱力して目も瞑っている様は、まるで懺悔でもしているかのようだった。
改めて顔だけは綺麗な男だ。だがいつもの小牧なら情報なり何なりさり気なく引き出すだろうに、可南や友人には聞けもしないという臆病加減にそろそろ面倒になってきてしまった。自分で蒔いた種だと言えばそうだが、隣でうじうじされて、そして悩ましげな溜息までつかれればいい加減嫌にもなる。
「狂えばいいんじゃないか?」
「いや何言ってんの。お前の妹だって言ってるだろ。毬江ちゃんと同い歳」
投げやりに呟いてみただけなのだが、思いの外食い付いた小牧は目を開いて俺を睨みつけてきた。他人のベッドに背どころか頭まで凭れ掛からせた男の弱音のなんと情けないことか。
テレビには何処かの名産品だろう木工細工が流れる中、困り眉の小人を見つけて思わず笑ってしまう。自分を笑われたと思っただろう隣の男から不満の声が上がったが、構わず煽った酒は少し美味しくなっていた。
「小牧」
「何でしょうか堂上さん」
「あれを女として見た時点で終わりだ。諦めろ」
そう言い捨てれば、案の定信じられないと言わんばかりに目を見開き、そして怒らせた。
「お前面倒くさいんだろ」
「そうだな」
「笑うなよ」
分かりやすく拗ねる男に鳥肌が立ちそうだった。絵に描いたような恋煩いといった風で溜め息をつく小牧はこの上なく阿呆らしく気色悪く、だのに本気でやっているのが可笑しくて、笑いながら煽った酒は変な味がした。
大学時代のコイツに見せてやりたいものだ、「十年後、お前は純愛映画に出られるような男になるぞ」と。
気分が良くなった俺はコンセント近くにぶん投げていた携帯に手を伸ばした。線から引き抜いた携帯をカチカチ叩く。そして一枚の写真を映し、目を閉じた小牧の上で蛍光灯が明滅するように揺らしてやった。
気だるそうに目を開けた小牧は、途端に目を丸くして俺を振り返った。期待通りの反応でほくそ笑む。
「これ、成人式はまだなんじゃ」
「前撮りのやつだ」
古典柄の赤い着物に、疎い俺でも分かる上品な帯。白い襟巻と化粧に飾られ、照れくさそうに袖を摘んで笑う様は、我が妹ながら中々化けたというもの。
パソコンの画面ではなく携帯の画質もクソもない小さい画面で見せたのは、まあ此方の都合だが。
「綺麗だね」
たった一言、口が回る男が言うにはありふれた言葉なのだろうが、しかし溜め息でもつきそうな横顔に、堂上は自分で仕向けておきながら思いっきり顔を歪めてしまった。
(おいおい、ただの写真ですらそれか……)
心底愛しいと、細まりきった目が物語っている。目線の先が身内である事を抜きにしても、同僚にされるには甘すぎて目も当てられない。月並みだが、本当にアイツが好きなのだと思う。あんまり熱心に見るから自分の携帯に勝手に転送するかと思えばそうでも無く、ただただじっと眺めていた。
……オニーサンで居るなどよく言えたものだ。洗面所のあのデカい鏡を一枚くらい剥がして来こうかと思うくらい、コイツに今自分がどんな顔をしているか見せてやりたい。
まるでティーンのような甘酸っぱささえ感じる三十路が妹の相手なぞ御免被る。もっと頼もしく在ってくれねば誰も大事な妹は任せられないだろうが。
「ありがとね」
「いいのか?これ送るか?」
「いや、自分で撮るよ」
にっこり笑う小牧に、俺はついに顔を引き攣らせた。恐ろしい、先程までと今とで発言の振れ幅が酷すぎる。
変な胸焼けを鎮めようと流し込んだ酒は味がしなくて、こんなのはあんまりだと眉間に力が入る。やっぱり小牧と可南なんて勘弁だ。俺は不味いのを勢いよく飲み下して、さっさと次のを開けた。
*
───エア・カナダ787-9便バンクーバー行きは、只今ご搭乗の最終案内を致しております。43番ゲートよりご搭乗下さい。Attention please, ───
───────────────
from:小牧幹久
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sub:no tittle
───────────────
可南ちゃん
いってらっしゃい。
身体に気をつけて楽しんで。
小牧
──────END───────
「可南そろそろ……小牧さんか?」
「うん。さ、行こっか」
携帯をリュックに仕舞って立ち上がる。直月くんの形の良い眉が八の字になったのに知らんぷりをして、パスポートとチケットを手にゲートへの列に並んだ。
「返信しなくて良いのか?着くまで使えないぞ」
「……いいの。何て返していいか分かんないし」
業務連絡でも毬江関連でもないメール。最近、小牧さんとどう接していいか分からない。
「そんなん行ってきますでいいだろ」
「うーん、……あ、ありがとうございます」
直月くんには生返事をして、メイクばっちりのCAさんにチェックしてもらいゲートを抜けると、ガラス張りのすぐ向こうに白と赤の飛行機。これが、これから飛ぶんだ。
「飛行機乗るの初めてだっけ?」
「ううん、小さい時に一回だけ」
出会った当初、──中学に上がりたてだった私にとって、小牧さんは優しそうだけど不思議な取っ付きにくさがあって、仕事中だろう時々見かける無表情が少し怖かった。
同僚の妹という彼からしたら微妙に気まずいだろう立場もあって、何より私も話しかけるなんて出来なくて、毬江と仲良くなるまでは良くて顔見知りだった。
それでも私にとって小牧さんは特別だった。兄を驚かせようと飛びついたのに、その向かいに居た彼の方が驚いた顔をした時から。もしくはその後、兄に叱られて初めましてと挨拶し直したら今では考えられないくらい不器用な笑みを浮かべた時から。
話せはしないけど、図書館に行くと決まって小牧さんを探してしまって、見かけただけできゅっと嬉しくて。あぁ私はこの人が好きなんだと、一人その"特別"を噛み締めていた。
「こんにちは!エア・カナダへようこそ」
「こんにちは」
通路から飛行機に足を踏み入れるとこれまた綺麗なCAさんの笑顔に迎えられて、想像より狭い通路を奥に向かって進む。随分人が居るものだと思っていたら、最後のアナウンスで来たせいか三つの並んだ席の一番通路側に明るい髪色の男の子が座っていた。
「あの、すみません」
「ん?ああ、はーい」
間延びした声は存外穏やかで愛想が良かった。私は隣の人が気難しくなくてほっとしたが、先に窓側へ入って行った直月くんの顔は少し険しかった。直月くんはあまり好きじゃないタイプなのかもしれない。
「君等は旅行?」
「留学です」
「そーなの?俺も俺も。てか、もしかしたら同じ学校だったりして」
「もしそうなら面白いですねぇ」
リュックを座席下に仕舞おうとして、ふと思い直して携帯を出した。履歴の一番上に変わらず鎮座する、小牧さんの名前。メールを開いて読み返して、その最後の二文字をそっと指でなぞった。
周りが恋に恋して、公然の秘密の中に下世話な物も混じり始めるを遠くから眺めた中学時代。私は秘密の初恋に胸をときめかせると同時に、恋には終わりがあるという事も知っていた。
姉が無情にも暴くまで恋人のコの字も出さない兄と、私がランドセルを背負って帰ってこようが関係なく彼氏を家に連れてきて、何なら三人でゲームまでしてしまう姉と。真逆な二人だったけど、別れたらすぐ分かる所はよく似ていた。兄は不自然なくらい饒舌になりよく動く。姉はいつも通りよく笑ってよく喋るけど、部屋からあまり出てこなかった。
どんなにませた女の子らしく無邪気に振舞っても、好きになってもらう為の告白やアピールを、私は一度もした事がない。小牧さんを見ていれば脈がない事など分かり切っていたし、この恋はきっと上手くいかないと、子どもながらに分かっていたから。
まあ、脈ナシだからこそ小牧さんがどう思うかより、自分がどうしたいかという完全な自己満足的に動けていたというのもあるだろうけど。
小さく息を吐いてメールを閉じると、ぽこん、と画面にバナーが下りてきた。
「"そろそろ出発だよね?着いたら連絡よろ〜"」
ちょうど先週一緒に出かけた姉からの連絡はあまりにもタイミングばっちりだった。
「"今ちょうどアナウンス始まった。また連絡するね"」
「"兄貴にも連絡してやりなね"」
「"うん"」
お気に入りのカワウソのスタンプを最後に、機内モードをオンにした。
「可南、シートベルト。やり方は分かるよな」
「ちょっと。挿すだけでしょ、馬鹿にしないで」
さっさとベルトを調節して見せつけてやれば思いっきり鼻で笑われた。じとっと睨んでから居住まいを直すと、隣から視線を何やら感じた。ちらっと左を見ると先程のお隣さんとぱちりと目が合った。
「仲良いね、二人。やっぱ恋人とか?」
「違う」
先程から、今まで出会った事の無い程フランクに笑いかけてくれるお隣さんを、直月くんがバッサリ切った。清々しいくらいに不機嫌を前面に出した態度に、お隣さんがきょとんとする。
「ふーん?」
確認するように直月くんから私に向き直った彼の表情は間が抜けていて、よく見れば少し甘いその顔をより幼く見せた。
「じゃあさ、あっち着いたら連絡先交換しない?」
「はい?」
「は?」
離陸体勢に入った騒音の中、にいっと笑って見せた顔は先程と一転、随分と明るい髪色に似合っていた。
「だって付き合ってないんでしょ?じゃあ狙っちゃおっかなって」
つらつら喋っていくのを、私は只々信じられないものを目の当たりにしている気持ちになって聞いていた。全然知りもしない人によくこんな風に話せるなと。
「あ、名前聞いてないや。名前は?」
「堂上、です」
「下の名前は?」
「……可南」
「可南ちゃんね。俺は達也、吉田達也。そっちの色男くんは?」
直月くんは心底嫌そうに目を回して窓の外に視線を逃がした。
「え?ちょっとちょっと、冷たくね?ねえ可南ちゃん」
同意を求めて私を覗き込もうとする吉田くんとの間に、勢いよく大きな掌が差し込まれた。誰の手かは直ぐに分かったが、私の顔を思いっきり押さえ付けてくれたせいで「うぶっ」と変な声が出た。
「気安く近づくな、軟派野郎」
「えー?何なのほんと。ねえ可南ちゃん、本当に付き合ってないの?」
「五月蝿い話し掛けるな」
最早ただの悪口になったそれを気にする様子もなく雑談を振り続ける吉田くんと、尽くそれを撃ち落としていく直月くん。私を挟んでのそれは、機内食が出されて下げられて、遂には消灯されるまで続いた。
でも、直月くんも何だかんだ一々返事してるし、吉田くんは罵倒にもニヤニヤ笑ってるし。案外いいコンビになりそうだなと、私は早々にイヤホンで耳を塞いで、前の座席に付いたモニターで映画を観て過ごした。
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