「ロマンシング・エイジ」編
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浅春の風が膨らんだ木の芽の合間を撫でる青空の下、式典らしい立て看板の傍で並び立っていた二人は、頭上からのめじろの声で陽に薄白んだ枝々を見上げた。
「もうすぐかな」
「ですね」
今日、親友が高校を卒業する。
この三年間、人との違いを受け止め、前向きに頑張る姿をそれなりに近い場所で見てきた。彼女は私の背中を見ていると言っていたけど、寧ろそれは私の方。毬江は私にとって、大好きな親友であり、素直に尊敬できる美しい女性だ。
お祝いしたいと予定を聞いたとき、先約があるの、と微笑った毬江が可愛くて、それに当てられた私の方が照れてしまった。でも、式のあと少しだけ会いに行く約束だけは取り付けさせてもらった。
『それで、卒業式当日、押しかけに行きませんか?』
『いいね、俺もアイツに内緒で行くよ』
なんてメールを交わしたのがつい先日。聞いておいた式の終了時間に合わせて、公休を取って、この企みに参加してくれた小牧さん。彼氏さんには内緒な事も相まって、すごくわくわくする。親友の私を差し置いて当日のランチを楽しむんだから、これくらいは許してほしい。
「そういえば、式の後にHRありませんでした?」
「あったあった、先生を泣かせにいく時間」
「泣かせにいくって」
「お世話になった先生へのちょっとした気持ちだよ」
含みのある言い方に思わず笑うと、逆さに持った花束からフィルムのパラパラという音が鳴る。小さな束の中で、ガーベラやチューリップが品よく揺れている。
優しい春色に仕上げてもらったそれを眺めていると、微笑った顔の毬江が蘇る。部活のない日、制服のまま二人で電車に乗って行ったフラワーガーデン。そこで見た夕焼け雲も、たしかこんな綺麗な色をしていた。
「どうかした?」
「いえ、もう制服姿の毬江は見られなくなるんだなぁって」
自分の時は、それほど名残惜しくもなく脱いだ制服。でも今日ついに、毬江もそれを脱ぐ。二人で過ごしてきた約六年間、傍らにはいつも二種類の制服があった。
小牧さんに子どもだと思われたくない、と制服のまま図書館に行く回数が減っても、振り返ればやっぱり制服は思い出の詰まった大切なものだった。
「寂しくなっちゃった?」
「……たぶん」
「たぶん、ね。裏を返せば、これからは違う毬江ちゃんが見られるって事だね」
「……ウェディングドレスとかですか?」
「それは、ちょっとまだ見たくないな」
本当に見る準備が出来ていないのだろう、小牧さんは困った顔をして私に微笑いかけた。冗談だったのに。毬江の"近所の"お兄さんはまだ妹離れ出来ていないんだな、と再認識して少し笑ってしまった。
「ごめんなさい、意地悪言いました」
少し得意になって、少し身を乗り出すように小牧さんを覗き込んでみる。眉を下げて、困ったという反応がくると思った。
「うん、意地悪されました」
でも思いがけず私はどきりと固まって、小牧さんに目が釘付けになってしまった。
覆い被さるように陽光を遮った大きい身体。湿度さえ感じ取れそうな程小さく掠れた声。
髪を風に遊ばせながらそっと目を細めた小牧さんに目を奪われて、そしてはっとした。揶揄われた。私が小牧さんを揶揄ったはずだったのに。それが分かるとどうにも悔しくて、でもどうしようもなく胸が高鳴った。
恐らく小牧さんにしてみれば、許してあげるよ、という意思表示の為だけ。
でも何年も、それこそ十代のほとんどを小牧さんへの想いを抱き過ごしてきた私には、これは毒だった。
子どもで分かりやすい頃も、隠そうとして隠しきれない頃も、おふざけの中に混ぜる事を覚えた頃も、全て見せてしまっている。
小牧さんだって、もうとっくに知っているはずなのに。うっかり勘違いしてしまいそうになる仕草をする小牧さんは、よっぽど意地悪だと思った。
「……あ、あ!来ましたよ!」
ちらっと目をやった昇降口から一人、毬江が出てくるのが見えた。そして此方に気づくと、毬江が制服をはためかせてぐんぐんスピードを上げて走って来る。だんだん見えてくるあまりの嬉しそうな顔に笑いながら、私も満面の笑みで、飛び込んできた親友を腕いっぱいにぎゅうっと抱き締めた。
「まり、おめでとう!」
「ありがとう!」
ぎゅうぎゅうと抱き合って笑っていると、隣から春のざわめきのように小牧さんの微笑ましげな笑いが降ってきた。
「おめでとう、毬江ちゃん」
「ありがとう!小牧さんも来てくれるとは思わなかったから嬉しい!」
「実は沢多に内緒で来たんだ」
「そうなの?央さん拗ねないかな」
「さあ?」
そう言って彼氏さんのことで笑い合う毬江と小牧さんは、やっぱり仲がいい。その距離感が羨ましくて、少し苦しい。今更二人にどうこうしてほしい訳じゃないし、そんな二人を見るのも好きだから絶対に言う気はないけど。
「まり、はい!改めて、高校卒業おめでとう」
「ありがとう!すっごく可愛い!」
「まりの制服姿も最後って思うと少し寂しい」
「え?家の中でなら着てあげるよ?」
「そういうんじゃなくて!」
「お嬢さん達、制服最後の記念、お撮りしましょうか?」
小牧さんの言葉で、嬉しそうに花束を抱えた毬江と二人、看板の前に並んで写真を撮って貰う。そして小牧さんも入ってもらって、三人で自撮りもした。
「沢多さんに送ったら?」
「えー?」
「びっくりして飛んできそうじゃない?」
「それはないでしょ」
なんてふざけながらも、送ろう、とにこにこしながら携帯を操作する毬江を、小牧さんは何だかすごく良い笑顔で眺めていた。
私の大事な親友を取ったのは許してないけど、毬江を笑顔にしているのも彼だと知っているから、心の中でだけそっとエールを送ってあげることにした。小牧さんも、ちょっぴり大人気ないからね。
*
「大丈夫かな、可南ちゃーん!」
館員で賑わう食堂の列に、紛れるように揺れる私服を見つけて手を振る。人混みの中であまり高くない背をひょこひょこ伸ばしていた子は、此方に気づくと安心した表情で小走りで向かってきた。
「すみません、お待たせしました!」
「大丈夫、大丈夫。まだBセットあった?」
「ぎりぎりゲットしました!」
そう言って日替わり定食の親子丼に目を輝かせる可南ちゃんは今日も可愛い。いただきまーす、という可南ちゃんの号令に合わせて郁が手を揃えれば、少し気恥ずかしそうに笑った。
「やあ、みなさんお揃いで」
「小牧さん!お兄ちゃんも今日はこっちなの?」
「最近はずっとこっちだよ。なんか"体に優しい"を押してるメニューが多くてさ」
可南ちゃんの後ろから来た小牧教官と堂上教官に、可南ちゃんはぱっと嬉しそうにする。それにまた嬉しそうに微笑む小牧教官の、雰囲気のまあ柔らかいこと。
自覚したらもう案外ノンストップなのかしら、という柴崎の耳打ちにうっかり苦笑いしてしまうくらいには、甘い。激甘だ。
しかし、事前に柴崎の分析を聞いていなければ「当社比」で済む範囲内と言えるから、恐らく柴崎と郁くらいしかこの場では気づかないだろう。
「可南ちゃん、学校はもう始まったんだっけ?」
「あ、私今学期大学行かないんです」
「え?どういうこと?」
「今月末からバンクーバーなので」
なんて事ないように告げられた内容に、堂上教官を除く全員が一瞬動きを止める。
「えっ、バンクーバー!?」
「人の耳元で叫ぶな!」
思わず驚いた声を出してしまった瞬間、堂上教官に容赦なく頭を叩かれる。衝撃で一瞬ぐらついた視界の中で、堂上教官が可南ちゃんに眉を顰めたのが見える。
「お前言ってなかったのか?」
「言った気になってたんだけど……」
「留学?」
「はい」
「ちょっと聞いてなかったなあ」
「バンクーバー……」
って何県だっけ。
なんてふざけられる雰囲気じゃないのは流石の郁でもわかる。その原因である郁の斜め前、そろりと目線だけ滑らせれば、可南ちゃんの隣の小牧教官もやはり動揺しているようで浮かべているのは苦笑いだった。
「随分急じゃない?それとも前から決めてたの?」
「結構前から行ってみたいとは思っていたんですけど、本格的に決めたのは最近ですね」
ショックの大きい郁と小牧に代わるように、柴崎は一人感心したように頷いた。
「期間は?」
「前期の四ヶ月間です」
「ということは、大学は休学?」
「ふっふっふー!それが、単位互換できるとこがあったんです!だから扱いは休学でも、卒業要件の必修だけ来年前期で取れば良いんです」
やりぃ!って感じです!
満面の笑みでジュースのパックを掲げてから口に含む、という可南ちゃんの微笑ましい仕草に場の雰囲気が和んだ。小牧教官も、定食に目線を落としながらもその眼差しは柔らかい。
「それにしてもすごいなぁ、何かきっかけとかあったの?」
「元々興味はあったんですけど、それを友達に話したら、じゃあ一緒に行こうってなったんです」
軽い。このフットワークの軽さは若さ故なのか、それとも彼女特有のものなのか。これが若さなのだとしたら、本当に若い力って凄い。
「お前、その友達とは寝泊まりは別のとこになったんだろうな?」
「当たり前だよ、ホームステイのコースだもん」
「……えっ、もしかして友達って男の子?」
「はい、直月くんと。あ、笠原さんは面識ないですよね、同級生です。今回のパックだとホームステイ先が被ることはまず無いらしいですよ」
「えぇ、でもそれって…」
言い淀んでしまった続きを待つ可南ちゃんの顔は心底不思議そうで、郁は内心頭を抱えるしかなかった。そのナツキ君とやらと行くのはいい、一人で行くより余程安心して楽しめるだろう。だが可南ちゃんへの気持ちを自覚したらしい男がそれを聞いて一体どう思うか。
「直月くんか、相変わらず仲がいいね。元気にしてる?」
いや面識あったんかーい。
そして思ったよりそのナツキ君と気安いなとか思いがけない事実に驚きはあったが、小牧教官をちらりと窺った瞬間に内心あ"あああ~と叫んでしまった。和やかに微笑み続けながらもどこか複雑そうな空気を纏って見えて、我が上官ながらその健気な姿に目頭が熱くなる。
「はい、それはもう。直月くんの方が楽しみで仕方ないみたいで、まだ時期じゃないのに態々スポーツ用品店まで行って水着選んだりして」
「いやいや浮かれすぎだね」
「ですよね〜、でも私も勢いで買っちゃいました」
そう言ってきゃらきゃら笑う可南ちゃんに合わせて、一緒に可笑しそうに笑う小牧教官が憐れで仕方がなかった。
一般論としても、好きな人が自分以外の異性と長期間、しかも海外という明らかにお互いしか頼れないような状況に身を投じるのを良しとするやつなんていない。しかもよりによって近況エピソードが水着。何それ絶対一緒に選んだんでしょ、夏休み前のカップルじゃん。それを聞かされる小牧教官って…。
郁はついに俯いて目頭を押し潰した。隣の柴崎は肘でどついて来たが、心の痛みに打ち勝つことは出来なかった。
*
笠原さん達との昼食で、偶然一緒になったお兄ちゃんと小牧さん。手塚さんだけ居ないのが気になって訊けば、最近忙しくしているらしかった。同じ班でも違うのかと訊いてしまって、個人的な事の時もあるからあまり訊くなとお兄ちゃんに言われてしまった。
留学の報告もしたし、そろそろ皆時間だろうと思って態とパチンと音を立てて手を合わせれば、お兄ちゃんが咎めるような視線を寄越された。妹なりの気遣いなのに。まあ分かってくれてるとは思うけど。
「可南ちゃん、この後時間ある?」
「はい?」
小牧さんからそんな事を言われるとは思わなくて、立ちかけのテーブルに手を付いた状態で思わず固まってしまった。座ったまま首を傾げるように私を見上げてくる小牧さんの口角は上がっているのに、何故か表情が読めなかった。
「えっと、大丈夫です」
「よかった」
戸惑う私を追い越してスッと立ち上がった小牧さんは、何も不思議な事はないという様子で、もしかしてこんなに動揺している自分が変なのだろうかと思えてきた。思わず笠原さん達に目線で助けを求めると、柴崎さんまで驚いたような顔をしていたから少しだけ安心した。
だって今までは絶対になかった。毬江とか本とか、何かと言い訳をぶら下げては私が一方的に小牧さんにじゃれつきに来て、それに小牧さんが応えてくれていたに過ぎない交流だったじゃないか。それなのにこんな風に急に誘ってくれて、その上私を待つように佇む小牧さんが何だか知らない人のように見えて、
「小牧さん、何かありました?」
無意識に発した疑問に、後ろで噴き出した音がして振り返ると、噴き出したのはなんと柴崎さんだった。笠原さんも俯いて震えていて、二人で話していたのかもしれないと思って、小牧さんに向き直った。
「こ、小牧さん……?」
すると小牧さんは顔は笑っているのに、笠原さん達を見る横顔に青筋が浮かんでいて。今までの小牧さんならしない表情に驚いて、でもそれがかえって素を見せることを許されてるみたいな不思議な感覚がして吃ってしまった。
でも小牧さんは私が怖がったと思ったのだろうか。少し焦ったように目が揺れた。
「あぁ……ごめんね、行こうか」
「はい。じゃあ笠原さん柴崎さん、お先に失礼します」
「ええ、また」
「またね〜」
お兄ちゃんも手を挙げてくれて、お盆を片手に手を振り返して小牧さんに続いた。
斜め前を歩く小牧さんは少しだけ急いでいて、早く立ち去りたいのかなと思って私も、大人しく歩いた。ちらりと盗み見た小牧さんの横顔は予想通り晴れなくて、食堂を出るまでずっと気まずそうだった。そんな小牧さんの知らない顔が見れるのが段々面白くなってきて、少し可愛いなとすら思えてくる。でも同僚なら兎も角、年下の私に掘り下げられるのは嫌だろうなと思って、話題を振ろうと一歩前に踏み出した。
「小牧さん、あれから毬江に会いました?」
「いや、会ってないな」
「毬江、ますます綺麗になってるんですよ」
制服を脱いだ毬江は、まるで殻を破って羽化した蝶のようだった。いよいよ生き生きとした魅力を放ち始めて、それは私服も見慣れている私でさえ驚く程だった。
「元々可愛かったけど、こんなに変わるのかって思うくらい可愛くて綺麗で」
元々、童顔の私よりは大人びた顔つきだったけど、メイクの映える華やかなつくりだったらしい毬江は、先週会ったら可愛さの中に心做しか色気が加わったような気もした。
毬江自身の素材に加えて、内なる輝きを引き出したのが彼の愛情なのだろうと思うと、幸せそうに笑う二人が浮かんでちょっぴり羨ましかった。
「きっと小牧さんも驚いちゃいますよ」
いつ会えるか楽しみですねと笑って、目を開けたら横に小牧さんがいなかった。
「可南ちゃんだって、」
「はい?」
後ろから声がして、いつの間にか立ち止まっていたのを知らずに歩いていたらしいと気がついた。置いてけぼりにしまっていた小牧さんを振り返ると、小牧さんは私が振り返った瞬間に口を閉じてしまった。
「すみません、今何か言いかけましたよね」
ぼそりと名前を呼ばれたのは分かったけど、それ以外全然聞き取れなかった。折角小牧さんと一緒にいるのに聴き逃してしまうなんて勿体なくて、小牧さんの所まで引き返した。
でも何とも言えない顔をしているのを見て、もしかして沢多さんの事を匂わせてしまったのが不満だったのかも、という考えが頭を過ぎる。確かに小牧さんにとって毬江は大事な妹だけど、でも二人を認めていないというのはポーズだろうと勝手に思いこんでいたのに。本当に嫌だったのだろうか。思いもよらなかった可能性に、三人全員に対して申し訳ないという気持ちでいっぱいになった。
「あの、すみません、私ばっかり喋ってしまって……えっと、」
何がとは言えずとも取り敢えず謝って話題を変えようとしたけど、何も思いつかなくて自分でもこれは苦しいなと思い始めた。内心冷や汗ダラダラだったので、いや、と漸く口を開いた小牧さんにこれ幸いと勢いよく顔を上げてしまった。
「えっとね、可南ちゃんも綺麗になったよって言おうとしてた」
「はい?」
何の話だろう。前後の繋がりが理解出来ないうちに小牧さんの困ったような微笑みが投下され、今のが先程までの話の続きだったと理解した途端、ボッと顔が熱くなった。
「へっ、あの、」
「ごめんね、言うタイミング逃しちゃって」
何とも言えない、むしろ悩み事や不満がありますと言われた方が納得するような顔をしていたのに、口を開けば歯の浮くような台詞が出てくるなんて、誰が思うか。
そして小牧さんの少し申し訳なさそうな顔を見て思った。さっき一人で勝手に不安がっていた沈黙の時間は、結果的にこの言葉を自分で催促していた時間ということになりはしまいかと。それって言い難い事を平気で小牧さんに言わせて、あまつさえ自分を褒めさせてしまったということではないか。
そう思うとますます恥ずかしくて、顔どころか首や肩まで真っ赤になって湯気が出そうな気がした。
「なんか、かえって変に恥ずかしいね」
「あ、え、……うぅぅ」
気を遣って欲しかったわけでも、催促したわけでもないんです。そう言いたいのに変な唸り声は震えてしまって、恥ずかしくて申し訳なくて遂に顔を両手で覆うしかなくなる。今すぐ何処かに穴を掘って飛び込んでしまいたかった。
「ごめんね可南ちゃん、本当にごめん」
経験したことの無いこの変な気まずい雰囲気は、追いついてきた笠原さん達の暢気な声がするまでその場に漂い続けた。