「恋の障害」編
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年始休み明けのざわつきも収まり、いつもの生活に戻ったような穏やかさを感じさせる昼下がり。利用者達で賑わうその穏やかな雰囲気が、駐車場の警備からの一報で一変した。
"良化特務機関の車輛を確認"
近隣への封鎖処置など交戦準備は一切なく、しかも利用者もいるこの状況で、一体何が起きるのか。
少し願望も混じってはいるが、戦闘にはならないだろうという確信はあった。しかし、そうなると余計に敵の目的が読めない。
ものの五分で、警備数は二倍になり、玄田の指示で特殊部隊もほぼ全投入された。
そのピリピリした空気を感じ取る利用者も出てくる中、ついに良化部隊が閲覧室に入ってきた。
利用者たちに動揺が走るが、良化部隊はいっそ悠然としている。隊長と思われる男が室内を目線だけで威圧し、大声で呼ばわった。
「図書館長と小牧幹久二等図書正をだせ!」
動揺したのはむしろ本人以外の者だった。
郁と手塚は思わず小牧を振り向いてしまい、堂上ですらはっきりわかるほど肩が強ばった。カウンターからの視線で、良化隊員たちにも小牧が確認できたようだ。
小牧はそれらの視線に一向に怯む様子はない。いつもと変わらない、静かな表情で一歩前に踏み出すのを、郁は訳も分からず見つめていた。
鳥羽館長代理は少し遅れて、しかし計ったようなタイミングでやってきた。遠目でも青い顔で、怖々小牧に並んだ。
良化部隊の隊長はギラギラと目を開いたまま口角を歪め、懐から出した書類をまっすぐに掲げた。
「正化三十二年一月十五日!未成年及び障害者への人権侵害の疑いが報告された事由につき、容疑者、小牧幹久二等図書正に査問への即刻の出頭を命ずる!」
「ちょっ…どういうッ、」
とっさに前に飛び出そうとしたのを、堂上に押さえ込まれた。振り返らずとも、その腕に食い込む圧倒的な力は、堂上の押し殺した思いを察するには十分過ぎた。
痛いほどの腕の圧迫で正気を保つように、郁は止まりそうになる呼吸を何とか繰り返す。
(…お願い、司令早く!)
図書基地から車椅子の稲嶺が来るには、どうしても時間がかかると、頭では理解している。
だが叫びそうになるほど、腹の奥底から湧き上がる焦燥感に、郁は固く固く拳を握る。その間にも、鳥羽館長代理に恫喝は続く。これは確実に、弱点が見破られている。そして、一番口を開いてほしくない人物の口から、一番聞きたくない言葉が響いた。
「武蔵野第一図書館館長代理として、小牧幹久二等図書正の出頭に便宜を図る!」
その悲鳴のような宣言に、二人の良化隊員が小牧の腕を荒く掴んで引っ立てた。それは郁よりずっと体格の良い小牧の上体を揺らす程で、手錠でもかける気かと疑う勢いだった。良化隊員の成すがままになっていた小牧だったが、首だけ捻って堂上に顔を向けた。
「実家には黙っててくれないか。心配かけたくないから」
その小牧の静かな言葉に、郁の我慢が焼き切れる。
「待ってよ!それって毬江ちゃんのことでしょ、だったら何かの間違いよ!だって」
「よせ!」
直ぐ傍で、堂上の焦りが伝わってくる。だがそんな事構っていられない、ほとんど抱き止めるように押さえ付けてくる堂上を越えて行こうともがく。
「お前、人権侵害の容疑で連行するぞ!」
「上等だテメエやってみろォ!」
良化隊隊長の脅しにブチ切れながらも、ここで一悶着起して時間を稼いでやる、と無けなしの計算をした、その時だった。
─────パンッ!
耳の直ぐ近くで音が弾けた。一瞬目の前が真っ白になるような衝撃で、思考が止まった。打ったのが直ぐ横に立つ男だと気づいた途端、熱と痺れがじわじわと滲んできた。
「行ってくれ。部下は指導しておく」
郁は打たれた頬に手をやることもなく、打たれた勢いで顔を横に向けたまま立ち尽くした。ゆるゆると顔を上げると、小牧と目が合う。どうしようもなく胸が締め付けられた。
小牧が連れて行かれると、閲覧室はしんと静まり返った。誰一人動けない中、そそくさと奥へ下がろうとする影が一つ。
「どこ行く気!?」
郁の怒号に、鳥羽がびくりと竦んで、立ち止まった。
「あんたの──あんたのせいでっ……!何の権利があったのよ、あんたにッ!」
涙で詰る言葉がつっかえる。郁の脳裏に焼き付いた、小牧の最後の表情。微かに眉を下げて、郁を見ていた。
「……わ、私は図書館を守るために…」
「あんたの口が図書館のためを語るな!」
あんたがそれを言う事だけは絶対に許さない!
視界に入れるのも嫌で背を向けると、振り向いた先には稲嶺司令が居た。目が合っても、郁は歯を食いしばり辛うじて一礼を残すことしか出来ず、そのまま閲覧室を飛び出した。
「早まりましたな」
郁がいなくなった後、玄田の説明を聞いた稲嶺は目を泳がす鳥羽をまっすぐ見据えていた。
「……どこに埋もれてるんだ」
風邪引くぞ。
上から降ってきたのが珍しいその声にも、郁は顔を上げなかった。堂上はゆっくりと郁の隣に腰を落とし、郁の頭を軽く叩いた。
「悪かったな」
殴ったことを言っているのだと、郁はすぐに分かった。分かったからこそ、また膝が濡れた。
「何で止めたんですか。時間稼ごうと思ったのに。間に合ったかもしれないのに」
「間に合わなかったかもしれない」
静かに降ってきた堂上の声は、驚くほど淡白だった。薄情だと、郁は組んだ腕の中から睨みつけた。しかし目は合わなかった。堂上は、真っ直ぐ前を向いていた。
「下手に食い下がったらお前まで連行されたかもしれない」
「そんなの覚悟してました!」
反射的に噛みついたが、熱く滲んだ視界に形はない。振り返ったらしい堂上の表情もわからなかった。
「そんなの」
戦慄く唇で絞り出した抗議は、喉が引き攣って続かなかった。俯いた拍子に、膝に涙がぼたっと落ちた。
「小牧教官なのに」
郁は悔しさに唇を噛んだ。小牧が連れて行かれるとき、あの子の顔が真っ先に浮かんだ。
だから郁は、自分も連行される危険があるとしても守りたかった。嗚咽を堪える郁の頭に、とんと重みが乗った。
「…だからだ。お前が腹を括ったらそこまで括ることくらい分かってる」
(何それ。)
「ずるい、」
堂上の右手が郁の頭を撫でる。郁の頬を容赦なく打った、郁だけでも守ろうとした優しい手だった。鼻をすんと啜ると、頭の上で堂上の手が静かに止まった。
「むざむざ二人も敵に渡してたまるか」
キリキリに硬い声と盗み見た横顔の痛々しさに、郁は歯を食いしばることしかできなかった。
*
自動ドアを潜ってすぐカウンターに目を走らせた可南は、こんな事をしてる場合じゃないと、自分に再度忠告をした。センター試験直前も直前の今日、緊張から、という言い訳を手に最後の補講が終わった足で小牧に会いに来たのだ。
だが連絡はしていない。
会えたらラッキー。それくらいにしか考えていない。とは言いつつも、会えなかったら夜に電話でもしちゃおうかな、なんて日頃の自分からは考えられないような発想が出てくる辺り、可南もやっぱり緊張しているのだ。
キョロキョロ見回しながら奥に歩いていくと、書架整理をしている郁を見かけた。俯く髪で横顔が見えなかった可南は、郁の表情が暗いことに気づかず、ぱっと声をかけに行った。
「こんにちは」
挨拶をすれば、可南の大きくもない声に郁は驚いたように大袈裟に振り向いた。可南はその反応を、試験直前に来るとは思っていなかった驚きからだろうと、びっくりしました?と笑おうと思っていた。しかし、改めて覗き込んだ郁の顔色の悪さに可南の方が驚いてしまった。
「えっ、笠原さん大丈夫ですか?顔、真っ青じゃないですか!」
具合悪いですかと手を握れば、その手もいつもと比べていやに冷たかった。
「えっと、ちょっと最近疲れてるのかなぁ」
「そんなもんじゃない気がするんですけど…。怠さとか寒気とかはないんですか?」
高い位置にあるおでこに手をやろうとしたところで、笠原さんは急に慌てて、それは大丈夫!と上体を引かれてしまった。
先程から全く目が合わないのも、この話題を避けたいからなのかもしれない。でも心配していることだけは伝えたくて、最後です、と内心謝りながら握る手に力を込めた。
「無理しちゃだめですよ。体調もですけど、何か心配事があるなら誰かに相談されるのもいいと思います」
「そうだね、そうするよ」
いつもカラッとしている笠原さんも、やはり大変なのだろう。年下且つ関係者でもない可南には言えない事ばかりだろうから、後で柴崎さんにメールだけ入れておこう。そう思ってせめて今だけでも温まればと握っていた手を離した。
「ところで、今日小牧さんはどちらにいますか?その、約束はしてないので、無理ならいいんですけど…。ちょっと運試しみたいで失礼ですかね?」
だんだんと込み上げてきた気恥ずかしさから逸らしていた目線を上げると、さっきより余程顔色を悪くした笠原さんと目が合った。
「えっどうしたんですか?」
「あ、いや」
しまった、と笠原さんが何か後悔しているのは手に取るように分かった。考えられるのは、可南に顔色を悪くするほどの動揺を見せてしまったことだ。
じゃあ笠原さんは何に動揺したのか。可南は自分の発言を振り返り、当たって欲しくはない予想を立てた。体を強張らせて目を泳がせる郁に、可南はいよいよ眉を顰める。
「……何かあったんですか?」
先ほどとは違う確信に満ちた声が出た。問というより確認に近い言葉に笠原さんが目を泳がせるのを、可南は何処か冷たく見据えていた。
「べ、別に何も、」
「笠原さん」
顔すら背けようとする笠原さんと無理やり目を合わせれば、逃げきれないと思ったのだろうか。笠原さんの肩から力が抜けた。
「小牧さんに、何かあったんですか」
改めて問えば、笠原さんの目が潤んだように見えて思わず固まる。泣くほどの何かがあったということなのかと、言い知れぬ不安に可南まで泣きそうになる。
「昨日、───」
それでも掻い摘んで話してくれたのだろう。でも雷に打たれたような衝撃の後、残ったのは怒りだった。可南の表情に慌てたのだろう、笠原さんは慌てて肩を摩ってくれる。
「心配しないで!特殊部隊も総力あげて捜索してるから!」
付け加えた笠原さんも、それが慰めになっていないことは十分分かっていると悲痛な顔だった。可南は口を真一文字に結んでいたが、顔を上げて、郁に告げた。
「兄に会わせて下さい」
*
小牧奪還に向けての会議が開かれたのが昨晩。概要のみではあるが、その報告も今朝の朝礼で済ませてある。
当事者の一人である毬江が未成年であること、また疑いを持たれた内容が内容なだけに、事の詳細を知る者は稲嶺司令とタスクフォース、柴崎だけだ。
そして小牧の監禁場所の何の手掛かりも得られないまま時間が過ぎて早くも焦りが出ていたところで、可南ちゃんの襲来だった。
『笠原さん、小牧さんに何かあったんですか』
真っ直ぐに見上げられたとき、その目があまりに堂上教官そっくりで思わず息を飲んだ。
知らせない方がいい。そう結論づけられたのに、昨日の今日でそれを破ってしまった。それ以上に、これから対峙するだろう上官と少女が繰り広げるだろう兄妹ゲンカを思うと、郁は後ろから着いてくる可南の足音を聞くだけで胃が痛くなりそうだった。
「笠原さん、連れてきて頂いてありがとうございます。これは私が無理やり聞き出して、勝手に行動しているだけなので笠原さんを責めさせはしません」
違う、それもだけどそうじゃないんだよ可南ちゃん…!
既にスイッチが入ってしまっているのは口調からも十分に察せられるというもの。しかも無情にも、事務室の前に着いてしまっている。可南ちゃんを振り返れば、またあの目で頷かれてしまった。
そして何の躊躇もなくドアを開けた背中を見ながら、あぁ、と半ば覚悟して自分も足を踏み入れた。
「失礼しますッ!」
夕方のため事務室には人が多く、その中には先に書架整理を終えていた堂上教官や手塚もいる。そして此処で聞くには幼い怒鳴り声だったからだろう、そこにいた誰もが可南ちゃんを振り返った。
前回の「堂上兄妹仲直り事件」での可愛らしい可南ちゃんの印象が定着しているこのタスクフォースで、黙ってずんずん進む可南ちゃんはさぞギャップが激しく映ることだろう。堂上教官だけでなく他の隊員も目を白黒させているのがわかる。
可南ちゃんが堂上教官の前に立ち、座っている堂上教官を見据えたとき、郁はいよいよ覚悟を決めた。
「なんで教えてくれなかったの」
郁の想定より遥かに静かな声に、薄ら目を開ける。その一言でその場にいた皆が理解したようで、その中で堂上教官は此方を見た途端に犯人が分かったのだろう、目を怒らせた。郁は、うわぁぁぁと体を小さくした。
「笠原!」
堂上教官の怒鳴り声に一層小さくなるが、透かさず可南ちゃんが怒るなと反発する。
「なんで教えてくれなかったのってば!それに何?毬江ちゃんにすら知らせてないなんて!」
「当たり前だ、部外者を巻き込めるか!」
「へー、確かに!?私に教えられないのは分かったってことにしておく。でもね、毬江のどこが部外者だっていうの!?」
「じゃあ教えて貰いたいなァ!教えて何になる?本人に何らいわれのない責任を問うつもりか!?小牧の一件はあの子のせいだとでも言いたいのか!?」
勃発した兄妹ゲンカは予想を遥かに超えるほど凄まじい煽り合いだった。
しかし可南ちゃんの言葉を聞いて、確かにと毬江ちゃんに伝えない事への疑問が再び湧き上がる。それと同時に堂上教官の言い分に、ただ聞いていた郁もさすがに呆れて開いた口が塞がらなくなる。
どこまで朴念仁なんだこの男は!
「バッカじゃないの、誰がそんなこと言いました!?」
頭に血が昇っている自覚はある。堂上教官の席まで迫り勢いのままに噛み付くと、可南ちゃんも驚いて一度此方を振り向いたが、すぐに同意するように再び眉を吊り上げた。
「そうよ!大好きな人が窮地に陥ってるのよ!?そんなの知りたいに決まってる!出来ることなら自分で助けたいって思うもん!」
可南ちゃんからそんな言葉が出るとは思っていなかったのか堂上教官が一瞬怯んだように見えたが、すぐに立ち上がって可南ちゃんを見下ろした。
「それはお前の勝手な見立てだろうが!」
「朴念仁は黙っててください!大体自分だったらどうなんですか!?好きな女が自分をダシに窮地に陥れられたら、黙って見てられるんですか!?」
可南ちゃんを擁護するように叫べば、教官は何故か刺されたように言葉を詰まらせた。
自分で言っておいて何だが、そこまで固まる内容だろうかと何処か冷静な自分が言う。ざまぁみろと思いつつ少し調子は狂う。何だっていうんだと首を傾げた時、一瞬目を逸らしていた双眼が再び郁を睨め付けた。
「小牧は俺に知らせるなと言ったんだ!」
完全に冷静さがなくなったその頑なな表情に、逆に郁が刺された。
自分もその場に居たのだ。心配をかけたくないと、毬江ちゃんが間違っても責任を感じないようにと。色んな優しさを含んだ小牧教官の表情が蘇り、握り潰されるような痛みで胸を締め付けられた。
しかし当然、可南ちゃんはそれを知らない。隣の小さな体から怒気がぶわりと溢れたのが分かった。
「だからそれが勝手なんだってばッ!何それ、心配かけたくないとか男のプライド!?そんなのクソ迷惑だ!さっさと捨てちまえッ!」
「うわ、意外と言うこと」
いつの間に来たのか、柴崎の完全に面白がっている呟きが郁の耳に入った。しかし最早キレている可南ちゃんはもう止まらない。
「どうせ分かんないでしょうね、お兄ちゃんには。知らないとこで勝手に傷ついて、後から知らされて傷つくコッチの身にもなってみろ!」
涙声になった可南ちゃんを見ると、眉をこれでもかと顰めて、鼻を真っ赤にして叫んでいた。これは可南ちゃんの事だ、そう郁は直感した。小牧教官を待つ毬江ちゃんのことではなく兄を待つ妹の心で、それは此方まで泣きそうになるほど悲痛な叫びだった。
「うるさい!」
容赦なく一刀両断したように見えて、その会話放棄の罵倒はどうなのよ!?と憤慨して口を開こうとした自分にも、堂上教官はキッと怒りをぶつけてきた。
「小牧に頼まれたのは俺だ!お前らは口出しするな!」
「ちょっとッ!」
それはまさしく一方的な宣言だった。教官が足取りも荒く出ていくのを見送る。
「分からず屋ッ!」
可南ちゃんの怒りを通り越した声は、閉まったドアに阻まれた。