「王子様、卒業」編
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「はーい、推測~」
作戦会議が始まって早々手を挙げた柴崎に皆の視線が集まる。
「鞄についてなんですけど、足にぶつけられた館員がかなり痛かったって言ってたから、恐らくその鞄に盗撮用の機材を仕込んであったのよ」
よくある手口ですよ、と資料を広げて見せて更に説明していく柴崎。男性と女性の知識量の違いを除いても圧倒的に詳しい柴崎の話に、皆一様に聞き入る。
しかし、しげしげと資料を眺める男性陣を前にしても尚見せるその饒舌ぶりは、もはや性格なのだろう。資料や説明に意識を向けながらも、此方に余計な話を振られないかひやひやする。だが郁は自分の反応の方が普通だと、尊敬を通り越して半ば引いていた。
「ってことはかなり周到で悪質だな」
居心地の悪さも感じていた郁だったが、その声にはっとして顔を上げる。
デスクを挟んだ斜向かいで、堂上は顎に手を当て資料を眺めていた。眉間に皺を寄せ考える様は一見するといつも通りの表情と口調だったが、よく見れば顰められている眉の下で目を鋭く光らせ、資料を通して犯人を睨んでいた。
「露見しないための偽装にも凝ってるみたいだし、行きずりの犯行とは明らかに違うね」
「さすが小牧教官鋭い」
だがそれに気づかない筈のない面々も、堂上を敢えて気遣う様子はない。あくまでも淡々と、泰然として会議は進む。
「だとすれば、そのショルダーがある程度の目印になりませんか。中に盗撮機材が仕込んでありそうな鞄ってことで」
手塚の意見は穿ったものだったが、郁は可南が話してくれたほかの特徴を思い出し口を開いた。
「あ、いや」
「駆けつけた館員がその眼鏡をよく覚えててくれたのよ。乱闘中に顔を覚えようとして、結果的に眼鏡覚えちゃったってとこね」
郁から引き継ぐようにそう言った柴崎はその館員を思い浮かべて苦笑していたが、器用にこちらにだけ寄越した一瞥は可南の名前を出さないようにと念を押すものだった。
「あり得ないくらいダサダサのフレームに、牛乳瓶の底嵌めたみたいなレンズで、顔の輪郭歪んでたって」
その後も柴崎は可南が話してくれた犯人の特徴を、館員の証言に織り交ぜて列挙していった。
「なんだか絵に描いたような風貌だね。確かに、盗撮するような奴がお洒落に気を遣うイメージはないけど」
小牧がそう苦笑いしたところで、今まで話の成り行きを見ていた玄田が、ばしっと自分の両膝を叩いた。
「魚の姿が見えてきたな」
犯人は捕まらなかった以上、わざわざ眼鏡を換えるなどという手間と金は使わないだろう。それどころか、この犯人の場合、自分の特徴に眼鏡が数えられていると気づいているかどうかすら怪しい。
私服の中肉中背に分厚い眼鏡、盗撮機材を仕込んでいそうな大容量ビジネスショルダー。これが犯人像だ。
「回覧はもう出したのか?」
「はい、一応。先日の時点で同様の被害があったとの回答も出ていますが、もう一度、改めて回覧を出します」
「よし、それは任せる。で、こっちの餌が一匹、二匹……か?」
一匹目として数えられた柴崎は喧嘩上等と言わんばかりにやる気な笑みを浮かべたが、二匹目として数えられた郁は思わず目をひん剥いて自分を指差す。
「あ、……あたしも!?」
「特殊部隊の女だ、こんなとき使わないでいつ使う。それとも手塚に女装でもさせるか」
玄田の単純明快な、冗談とも本気とも取れる声色にあの手塚もぎょっとして抗議の視線を郁に寄越した。とんだとばっちりを受けたものだ。そしてうっかり想像してしまったらしい小牧が肩を震わせ、それを小突く緒形も変な顔をしていた。
「あの、こういうのって向き不向きが」
「業務部の柴崎が協力するんだぞ、当の隊員が日和ってどうする」
「うっ、」
日和ると言われると弱い。確かに柴崎ほど割り切れないのは事実ではあるが、だからと言ってそのために餌になれないなどという訳では決してない。
「170cm級戦闘職種大女ですよ!?あたしで変態が釣れるとは思えません!取り押さえるほうなら自信ありますけど!」
「痴漢にあったことがあるって言っただろうが」
「あれは女子高生の制服マジックってやつで!」
必死に食い下がる郁の肩に、細い腕がするりとかけられた。
「大丈夫よぉ、心配しなくてもがっぷり食いつきたくなるくらいの餌にしてあげるわ。あんたは食われる覚悟だけしときなさい」
柴崎の甘い囁きがこんなに不吉に聞こえたことはない。郁は色々な意味で背筋がぞわりと粟立った。
そして会議がお開きになったとき、郁はふと首を傾げた。
「でも、なんであの子だったんだろ」
「何故とは、どういうことだ?」
今まで黙っていた堂上が呟きを拾ったことで、周囲の視線が再び郁に集まった。
「あ、いや、その…こんな事言ったらあれですけど、私が犯人なら彼女じゃなくても良くないかなって」
「だから、そんな事するような奴は、自分より弱い奴なら誰だろうと構わないんだろ」
不機嫌に言い放たれた手塚の言葉も勿論頷ける。だが顎に手を当てたままの郁に、小牧は手塚を視線で制した。
「というと?」
「えっと、」
口ごもって小牧をちらりと窺う笠原に、資料をまとめ終えた柴崎はなるほどね、と頷いた。
「つまり、笠原が言いたいのは、私と笠原がそれぞれ一人でいたら当然私を狙いますよねってことね」
「見た目の話か?」
郁は正直腹が立ったが、ぽんと言い放った手塚は何の気なしに首を傾げていた。堂上は眉を顰めていて、頷いたのはその横の小牧だけだった。
「なるほどね。まあ柴崎さんなら見た目大人しそうだし、抵抗されたとしても力もなさそうだから大抵の男なら勝てるって思うよね」
「その通りです」
「それなら可南ちゃんだろうと他の利用者だろうと、大概の女性が当てはまるだろう」
郁達が何を言いたいのか、まだピンと来ていない手塚が、可南の名前を口にする。堂上・小牧両人の手前で言うかと、柴崎は静かに睨みつける。
「耳に補聴器を付けていたら?」
小牧の返しに、手塚も思わずといった感じで、ぎょっとして小牧を見る。事務室中がしんと鎮まり、デスクに戻っていた人も、いつの間にか耳を攲てていた。
「もし、笠原さんが補聴器を付けていたら。笠原さんを狙うか柴崎さんを狙うか、迷わない?」
誰も答えなかった。小牧の口から聞く“補聴器”という単語から連想するのは、皆同じだ。
「まして、“あの子達”の体格はほぼ同じ。さて、“普通”はどちらを選ぶか。でも選ばれたのは“違った”。これがどういう事か、って事だよね。笠原さんが言いたかった事は。」
小牧にここまで言わせて尚分からない者はこの場に居ない。郁は恐ろしい予想に、堪らず目をつぶった。
「次の回覧で、被害者に関しても情報を集めます」
*
頭が破裂するようなアラームを、直ぐに布団の中から手を突き出して叩いた。ずれた布団の隙間から差し込んだ陽に浮腫んだ眼を刺された。
敵を引きずり込み、ロック画面の日付と曜日だけを見る。布団の重さと温かさに挟まれ、瞼の重さに耐えきれずにまた目を閉じた。微睡みかけたところで、今度は機械的な木琴の音に眠気をこじ開けられた。観念するしかなさそうだ。
「……もしもし」
「おはよ。もしかして寝てた?」
「ううん、起きてる……」
「はは、思いっきり寝起きじゃねーか」
悪い、と耳元で軽やかな笑い声がする。いつも聞いている声より少し高く聞こえるそれだったが、相変わらず安心できる心地良さがあった。
朝から元気だねぇと微笑うが、もう朝じゃないから、と返される。カーテン越しにもわかる陽の高さを手の陰越しにゆるりと仰ぎ見て、確かに、と思い直した。
「なんかあった?」
可南はよいしょ、と首をもたげた拍子にけほっと小さく咳き込みながらも反動をつけてそのままに体を起こした。
「いや、明日学校で言ってもよかったんだけど。夜バイトなくなったからさ、水曜三限のレポート一緒にやらないかと思って」
「あぁ、」
ちらりと見たローテーブルの上には、広げられたまま淡く陽に当たる講義資料と、開けばほぼ真っ白だろうWordソフト。直月の魅力的な誘いに可南はさっと頭の中のスケジュール帳を流し見た。
「是非やりたいけどごめん、明日5時からバイト」
「明日四限なかったか?」
「あるよ。でも結構近くだから」
「ふーん。じゃあ今日は?」
「ごめん、デート」
「は?」
片眉を上げて此方をジロリと睨めつける様が目に浮かぶような声色に、ぺたぺたとキッチンスペースに向かう可南の背中が愉快そうに揺れる。
「冗談。そんな低い声出さないで。でも昼間は用事あるから……6時からなら」
「わかった。じゃあ6時くらいに俺がそっち行くわ」
「ほーい。夕ごはんは?食べていく?」
携帯を肩ではさみ、水のペットボトルを取り出すついでに冷蔵庫を開ける。野菜は昨日使い切ったし多分発酵食品くらいしかないが、冷凍したご飯は小分けにしたのが二つあったはず。
「いや、面倒だから纏めて買って行く。何か食べたいのある?」
「んー、寿司?」
「カップラーメンな、わかった」
「シーフードがいい」
「要するに魚か。じゃあ、6時に」
「うん、6時ね」
「いいか、暗くなる前に帰れよ」
直月の真剣な物言いに、可南のキャップを閉める手が止まる。唇を引き結んで手元を見下ろしていたが、鼻から小さく空気を逃がし、口許を緩めた。
「わかってるよママ」
「は?黙れ」
地を這うような声に被さり、ポップな音が耳に響く。電話を耳から離すと、通話の吹き出しの下にぶすくれたうさぎのスタンプがあった。変なところ子どもっぽい気遣い屋にふっと微笑いながら、帰りに彼の好きなコーヒーでも買って来ようとリマインダーに"コーヒー"と書き込む。
ケトルのスイッチを入れてカップに袋を空けると、さらさらとスープの雨の音がする。未だにシパシパする目を擦りながら洗面台の前に立つと、鏡の中の少女に苦笑が浮かんだ。
「直月くん、お待たせ」
トイレで目元を確認して、笑顔をつくって踊り場へ踏み出した。一瞬、体が石のように冷えて一拍遅れてぐっと熱が上がり、そして一気に胸が早鐘を打ち始めた。自分の体なのに、その温度差に首筋に冷や汗まで出そうだった。
「……こまき、さん」
息苦しさを逃がそうと口にしたそれは、目線を縫い止める呪いだった。これでは小牧さんの瞳に観察の色を見つけてしまう。
私が彼処にいた理由、小牧さんなら気づくだろうことは容易に想像できる。もし変に気を遣われてしまったらと、そう考えただけで──。
そして小牧さんは目が合っても、やはりと言うべきかあまり驚かなかった。じっと私の目を見て眦を下げたが、その笑みが弱々しく見えたのは思い込みだろうか。私の恐れていた感情から来るものではないと願いたかったが、そのときの私の胸は容易に軋んだ。
「……あれ、小牧さんどうして此処に?」
たったそれだけの言葉を吐き出して、口元を引き上げた。
「さっきそこで知り合ってね」
微笑みと一緒に返されたのはいつもより殊更に優しい声で、心はまたツキリと痛みを訴えた。だが久しぶりでもないのに小牧さんの微笑みを見れたことも、声を聞けたことも、どうしようもなく嬉しくて。
会いたかったです──その一言が出てこなかった。
にこりと笑みを貼り付け、震え始めた腕をさりげなく後ろに隠した。気づいてくれるなと、早く気づいてと心が叫んでいた。
何も知られたくないだなんて言って、そばにいて欲しかったのが誰なのかなんて、そんなのとっくに決まっている。
ぱしゃりと顔を濡らした水が、蛇口から細く出続ける水に流されていく。
「……大丈夫。」
今日も楽しい一日になるんだから。
歯ブラシ片手にキッチンスペースに戻るとケトルは細く湯気を出し、携帯にはメッセージの着信が来ていた。
『おはよう!ねぼすけ大学生さんはもう起きた?』
タイミングの良さと、新たにぽこんっと現れた見た事のないふざけたスタンプに思わずふふっと笑う。すっかり新しい携帯を使いこなす彼女に、起きてますよーとだけ返信し、カップにお湯を注ぐ。
携帯に財布、そして小さな紙袋を鞄に入れ、ガチャリと鍵をかけた。
白壁の駅を出ると、陽に輪っかの架かった薄曇りが頭の上に広がった。可南は何となくそれを見上げて、すぐ横のコンビニに傘を探しかけたが、休日のお気楽で緩やかな人波に乗って並木道を歩き出した。ちらちら影を落とす木漏れ日の下を通り抜けて、交差点を目前にしたとき不意に背中を叩かれた。ばっと振り返るとそこには満面の笑みを浮かべる"デートの相手"がいた。
『びっくりした?』
「うん、びっくりした……」
ご丁寧に予め打ってあったらしい文字を見せつけてくる。滅多にない迎えは悪戯っぽくて彼女らしかった。一瞬だけ血の気が失せるような寒さが駆けた身体には知らない振りをして、未だ携帯を掲げて笑う毬江のおでこを突いてやった。
「だっていつもは来ないじゃん、どっか寄るとこでもあるの?」
『図書館に行きたくて』
「……図書館?本屋じゃなくて?」
『そう、ボランティア部のあれで。可南、久しぶりでしょ?ちらっと見に行かないかなぁって』
"ボランティア部のあれ"と聞いて、可南は絵本の隣で手話をしていた毬江を思い出す。都内の交流サークルで勉強していたそれを、読み聞かせに取り入れようと思っていることを笑顔で聞かされたのは、親友として嬉しい驚きだった。
「でも、」
「今日は朗読会じゃないからすぐだよ。それにちょっと居たら帰るから」
小路に入って声を出した毬江の、隣から回り込んできた形のいい目がくるりと光る。それだけで、毬江の思惑が何となく分かってしまった。向けられる声と眼差しは、配慮というには荒っぽい優しさが溢れていた。たぶん、これは"リハビリ"なんだろう。
「うん、わかった」
「ありがとう!」
「いいよ。でもなんで?毬江は今日しないでしょ?」
毬江と仲が良かった先輩と二人で導入した手話は、彼女達が引退した今でもボランティア部のほとんどの部員が練習しているらしい。彼女は、本当に素敵な人達に囲まれている。
「まあね。でもOBの先輩が来るから、久しぶりに会わないかって言ってくれて」
「へえ、手話を始めようって言ってくれたっていうあの先輩?」
「ううん、違う先輩。卒業のときにメアドを交換して以来なんだけど、アプリ入れられるようになったじゃない?それから」
「ふーん?もしかして男の先輩?」
「そうだよ?」
「え〜何なに、格好良い?」
「それは見てのお楽しみ」
茶目っ気たっぷりにそう言って、緩く握った手を口許に寄せて笑う。それだけで答えとしては十分だ。
「そんな人いたかなぁ」
「二個上だから可南は会ったことないかもね。そうだなぁ、香坂大地を少し渋くした感じ?」
「あー、こうさかだいち……うん、名前は分かる、分かるよ、ちょっと前ドラマに出てたよね?えっと」
「もういいよ、可南でも流石に分かると思ってた」
ごめんね、とさも申し訳なさそうに謝ってはくるが、おでこには不満の文字をはっきりと刻んでいた。こういうちょっぴり皮肉っぽいところは、何となくあの小牧さんの幼馴染みという感じがする。
「毬江が詳し過ぎるんだよ」
「可南が無知なの」
バッサリと切り捨てられ、可南は堪らず首を竦めた。
「……お兄ちゃんか小牧さんか手塚さんなら?」
「えぇ?何でその極端な三人?」
毬江にしては思いっきり顔を歪めてみせるので、思わず声を上げて笑う。
「敢えて言うなら堂上さん、なのかな?」
「……背が低いの?」
「そういう事じゃない!」
武蔵野第一より少しオレンジがかった灯の中を、図書館というより最近読んだ小説内の古書店みたいだなと見渡しながら毬江に続く。
入口脇のスロープを降りたところの児童書コーナーには、絨毯敷きの階段で円く窪んだ広場があった。段差に腰かけて読み聞かせる高校生、広場には靴を脱いだ子ども達が思い思いの姿勢で絵本を見上げていた。
『今読んでる子達はどっちも一年生。上手になったでしょ?さっき言ってた先輩は、一人で座ってるスポーツマンって感じの人。』
さっきは意識していなかったが、画面の大きさを考慮して買ったと言っていただけあって、毬江の打った文字は一つ前の携帯より断然読みやすい。毬江の言っていた先輩は、やはり背は高かった。
「うん、確かにキリッとして格好良いね」
毬江が手を振ると、彼は既に気づいていたようで薄く微笑んで見せ、可南が頭を下げると小さく頭を揺らした。
「……笑うと優しそうだね」
『でしょ?実際すごく優しいんだよ』
そうでしょうとも。
その一言を寸でのところで呑み込み、可南は耳の裏を搔いた。彼は素直な人なんだろう、きっと。毬江の耳に寄せていた顔を離して、件の彼を見る。彼の目にはこの親友しか映ってないのだろうと思いながら。
しかし彼は毬江ではなく此方を見ていて、可南は思わずきょとんとする。毬江が何かしたのかと右を見るが、彼女は彼女で読み聞かせの様子に釘付けだった。
また彼の方を向くと彼はつり気味の眦を下げて、それを可南と毬江との間を一度だけ行き来させた。両眉を寄せて首を傾げると、彼は先程より一層柔らかく笑った。それは可南にとって見慣れた兄の表情だった。その笑みのまま、口を動かす。
何度か繰り返されて、やっと読み取ったそれに目を丸くして可南が思わず謝ると、彼からは仕方のない妹を見るように微笑まれた。無声音の謝罪すら汲んでしまう様子に、とうとう肩を丸めるしかない。彼への評価を"ひっそり失恋した優しい先輩"へと素早く改め、数メートル上のエントランスへと目線を逃がした。
「じゃあ一時間後、ここに集合ね」
鈴のようなのに、随分と遠くまで通る声だった。スロープの手摺りやらエントランスの展示物やらの隙間から見えた二人に、思わず驚きの声が漏れる。可南の知る私服より幾分も可愛らしい服を身に纏った彼女たちは、とても目を引いた。
笠原さん、ああ言う格好もするのか。
休日に態々こっちまで来るのだなと、そう思いかけたとき、奥に消えていくショートヘアの隙間に白い機械を見つけて心臓が一拍、ぎゅっと絞られた。補聴器だ。ぐんと大きくなった心臓が耳の奥を過ぎておでこまで暴れ昇った。
巫山戯るな。
立ち上がろうとして、しかし腕を引かれて可南は再び腰を落っことす羽目になった。驚いて振り返ると、毬江が腕を片手で掴みながら真剣な顔で携帯を叩いていた。
『何処に行くの?』
此方を糾弾するような目は居心地悪く、目を逸らしたくて自然と顔は下を向いた。だが目線を追いかけるように、携帯だけは顔の下に突き付けられる。
「……ちょっと、トイレに行こうかなって」
『ほんとに?』
「……いや、大丈夫だよ」
急がないと。幾ら図書館の中とは言え、早く追いかけないと見失ってしまう。
さっさと立ち上がろうとして、今度は腰を一瞬浮かせただけで右側に圧がかかる。
『いい?何があったか知らないけど、解決してないの。それなのに誘ったのは私。だから私が責任もって可南を守るの。』
「そんなこと」
『ないって言える?私、もうあんなの嫌だよ』
毬江にしてはきつい言い方に、ぐっと言葉に詰まる。彼女にとって、今日の私は図書館という空間に恐怖感や嫌悪感を抱かないことが分かった、つまりミッションクリアな状態だ。それなら、それを試しに来た彼女も、大丈夫な筈だ。
「大丈夫、ここに居れば誰かが守ってくれる。すぐ戻るから」
『そういうことじゃないの!一人はダメなの!』
文字を打つことが煩わしくて仕方ない様子の毬江の手を携帯ごとぎゅっと握る。ぐしゃりという音は彼女の耳には入らなかったかも知れないが、握り込まされた感触で分かったのだろう。目を見開いて顔を上げた。
「すぐ戻るから」
首に提げた銀色を掲げ、言い逃げるように走り出した。後ろから追いかけてくる音はしない。スロープを上がり切ると静かに、慎重に笠原さん達を探し始めた。