「王子様、卒業」編
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雨の止みかけた薄墨色の雲が、静かに夕闇に染まり始める。じとりと陽の落ちてくる街には、図書館の灯りは煌々としている。傘の雫を掃い、眩しさにちょっぴり目を窄めながらエントランスに入った。
連絡の着いた柴崎さんと、一般に解放されているミーティングルームに続く廊下で待ち合わせた。一緒について来てくれた直月くんを紹介すると、柴崎さんは少し目を丸くしたが、にこやかに名字だけ名乗って歩き始めた。
「ごめんね、庁舎の方取れなくて」
柴崎さんに連れられ、通されたのは図書館内のブラインドを下ろしたミーティングルーム。
一時間前に連絡して、急遽設けてもらった事情聴取の席だ。廊下から見えないようにしてくれているだけで、柴崎さんの心遣いを感じた。
「とんでもないです、むしろ…」
つい我侭を口走りそうになって、口を噤む。柴崎さんは首を傾げるだけで聞き返して来ない辺り有難いような、見透かされているようで怖いような。
自分で掘った墓穴にしどろもどろになっていると、抗議するように隣から少し強く肩をつつかれた。あっと思って見上げた友人の表情は、やはり不機嫌そうだった。
「あ、ごめんね、ありがとう。じゃあまた」
「俺、終わるまでその辺で待ってるわ」
「え?あ、はい」
着いて来てくれてありがとう、じゃあね。という流れではなかったのか。内心突っ込んでも、さっさと背を向けて図書館の方に歩いて行ってしまった直月くんは、まさに取り付く島もない。何なんだ、と背中を見送っていると、視界に柴崎さんが映り込む。
「先に入って待ってましょ。笠原にはこの部屋だってメールしといたから、すぐにでも来るでしょ」
「はい、よろしくお願いします」
笠原さんを待つ間に温かいお茶を頂いた。少し緊張が解れた途端、何だか今日一日は直月くんの口車にまんまと乗せられているような気がして、ふと、夏休み前に安達ちゃんから言われたことを思い出した。
『へー、可南ちゃん、片岡くんと仲良くなったの?』
『ん?うん、なんかお母さんみたいな?』
『確かに、なんか安心感あるよね。でもさ?高校一緒だったから経験あるんだけど、気をつけないとずーっとアイツのペースで事が進んで行くんだよね』
『それは安達ちゃんが乗せられやすいだけなんじゃない?』
『いや、あれは魔性の類よ!』
魔性。確かにそうなのかも…いや、違うな。違う違う。
小さめのペットボトルを掌で包んでいると、走って来たのか、前髪の上がった笠原さんがバンッと入ってきた。
聴取は、形式張った挨拶と個人情報取り扱い等の確認から始まり、毬江の証言記録だろうか、二人それぞれ手元の資料に目を落としながらの事実確認が成された。
でも質問に答えながら、向かいで伏せられた笠原さんの細い睫毛が硝子一枚隔てた外の雨みたいとか、昨日は気づかなかったけど柴崎さん前髪切ったんだとか、そんな事を考える余裕がある自分に驚いた。
此方に質問をするのはちょっと意外なことに笠原さんだった。柴崎さんは稀に確認をとるように一言発するだけで、笠原さんとは言葉を交わさない。それが少し慣れず、しかし下手に茶化し合わないこれが普段なのかと思うと、直月くんの言う通り、如何に甘やかしてもらっているかを感じた。
「これで一通り、確認は終わりになりますが、補足事項等はありませんか?」
「いいえ、大丈夫です」
「はい。それでは、これで事情聴取は終わりです。ご協力頂きありがとうございました」
これまた形式張った締めを最後に、顔を上げた笠原さんは漸くお疲れ様と溜息混じりに微笑んでくれた。いつもの明るく優しい笑顔に、やはり少しだけ張り詰めていた糸が緩んだ。
「お疲れ様、可南ちゃん。これは改めて作戦会議で報告するけど、いいかしら?」
柴崎さんが閉じたファイルを軽く振って見せた。はいと頷くと、柴崎さんはありがとう、と珍しく目が閉じそうなほど眉を下げて微笑んでくれる。そんなに大層なことを喋った訳でもないという自覚はあるので、思わず首を傾げる。すると少し目を開けた柴崎さんから柔らかく見つめ返された。
「こんな言い方するともしかすると怒るかしら。頑張って来てくれて、偉かったわね」
「え?」
「可南ちゃんの事情聴取がないと、後々最低男をしょっぴくの時に罪を重く出来ないのよね。だからありがとうね、可南ちゃん」
「いえ、そんな」
「可南ちゃん、堅苦しくしてごめんね。こうでもしないと、私怒り狂っちゃいそうでさ。可南ちゃん、よく頑張ったね。ありがとう、これからは私達が頑張るからね」
お二人の言葉を聞き終わる頃には、もう前が霞んで見えなかった。目を瞑って俯いて、頭を撫でるあったかい手と、横まで来て背中を大きく擦ってくれるしなやかな手を甘受するばかりで、伝えたい気持ちは嗚咽に埋もれてしまう。
泣くつもりなんてなかったのに。甘やかされてるって言われたのが悔しくて、でもまだ少し怖くて、でも頑張らなくちゃいけないって分かってたから。
大丈夫ですという気持ちで首を振ると、二つの手は益々温かく私に体温を分けてくれる。それが苦しくて、堪らなく誇らしかった。
「こんなことお願いするのは、駄目かもしれないですけど…小牧さんに言わないで…」
頭の上の手はひくりと震えたが、先を促すようにまたすぐに撫でてくれる。鼻を啜って、痙攣する息をゆっくり吐き出した。
「怖くても恥ずかしくても頑張らなきゃって分かってるんです。本当に。でも、小牧さんにだけは、……そういうことされたってもうこれ以上思われたくないんです」
ごめんなさい。
小さい声でしか言えなかった謝罪も、柴崎さんが受け容れ抱き締めてくれた。
「大丈夫、約束するわ。これは女同士の秘密よ。会議に使うときは、調書にも名前は載せないわ」
日頃女の私から見ても細くしなやかな腕が、今はとても暖かくて大きくて頼もしかった。また溢れてきた涙を制服に付けてしまわないよう顔を上げようとしたが、彼女の手に阻まれて薄い肩に押し付けられた。
驚いて固まっていると、柴崎さんと私まとめて背中からぎゅうっと抱き込まれた。
「可南ちゃん、可南ちゃんは今まで通り可愛くて優しくて、とっても素敵な可南ちゃんだよ。」
「そうよ。今だけちょっと泣いて、あとは今まで通り、堂々と立ってなさい。」
こくこくと頷きながら、しかしあまりに男前な二人に、涙のほかに笑いが込み上げてしまった。
「お二人とも、男前すぎませんか?」
二人の腕に両手でぎゅっと掴まれば、頭の上で二つの微笑う気配がする。
「当たり前でしょ、私達はいつも護るべきもののために闘ってるもの」
*
二本目に火を付ける気にはならず、小牧は暫く目を瞑っていた。そして一頻り風にあたると、事務室でのことを思い出した。笠原さんはまだ戻っていないのだろうか。
図書館を回るついでに、業務部ももう一度見てみるか。怠さを感じながらも、煙草をポケットに突っ込んで立ち上がった。
しかし、やはりいつも通りとはいかないものだ。注意散漫になっていたのだろう、角を曲がったところで、目の前まで迫っていた誰かにぶつかりそうになる。だがそこは防衛部というもので、意地で避けた。避けたと思ったのだが。
どうしてこうなったんだっけ。
手に握る缶コーヒーと何故か隣に居座っている青年に、小牧は現実逃避の疑問が頭を占める。
避けるときに見下ろした服装で一般人かと焦り、次いで驚いたような表情の綺麗な青年と目がかち合った。
「すみません、怪我はありませんでしたか。」
「え、いや、俺は大丈夫ですけど。あの、大丈夫ですか?なんか顔色悪いみたいですけど」
彼は怪訝そうに、しかし心配そうに眉を下げる。若いのに優しい子だ、などと感心したのも束の間、あれよあれよという間にフリースペース前のソファーに座らされ、ふらりと消えた彼は何やら缶を片手に戻ってきた。
「どうぞ」
差し出されたのは明らかにすぐそこの自販機に売っているコーヒーで。驚いて青年を見上げるが、青年は当然とでも言うように微笑んでいた。
「そんな悪いですよ。俺がよく見ていなかっただけなんだから」
「いや、俺のことは気にしないでください。それより、少し休んだ方がいいですよ」
青年は首を振ってまた微笑むが、此方の訴えを聞き容れる気はなさそうで、俺は内心全く笑えない。
彼の心遣いはとても有難い。けど明らかに年下の、何より今、会ったばかりの子に奢られるのはさすがにプライドが許さない。
「いやでも、ほんと。申し訳ないですから」
「そんなことないです。嫌じゃないなら受け取ってくださった方が有難いです。というか、もう買っちゃったんで。」
だんだんと不毛な気がしてくる。俺が困り果てたとき、彼は急に頭を片手でぐしゃりと握り潰して睨みつけてきた。
「だからッ!俺ブラック無理なんで引き取ってください!」
さっきまでの穏やかな雰囲気から一転して、逆ギレでは、と思う程の勢いに呆気にとられて反応が遅れた。
そして気づいた時にはもう手にコーヒーを握らされていたという何とも言えない結末だった訳だが。
いつもの自分なら考えられない流されっぷりに、何度思い出しても間抜けとしか言いようがない。少し落ち込みつつ、原因の横顔をチラリと窺う。この青年は、見れば見る程端正な顔立ちをしている。
中性的で、黙っていればそれこそ本が似合いそうな子だと思う。黙っていれば、なんて失礼か。手の中の缶をぼんやり見つめているとひしひしと感じる視線。
我慢できずに今度は何だとばかりの視線をやってしまったのは、彼の雰囲気故か。
「飲んでください」
「はい?」
胡乱げに声を出してしまったが、顔ごと向かい合った青年の表情は仕方のない弟でも見るような見事な呆れ顔だった。
「目の前の人が今にも死にそうな顔してるなんて嫌じゃないすか」
「死にそうって、君ね……」
開き直ったのか。最早言えない事はないとでも言うような態度に頭を抱える。今更とんでもない子に捕まってしまった気がしてくる。
「それ結構美味しいんですよ?だから温かいうちに飲めば、きっと元気出ると……」
彼の声が途中でテンポ悪く止まり、二人の間に沈黙が流れた。そして彼の、しまった!という顔を見た瞬間、俺は吹き出してしまった。
直ぐに口元を隠すが、目を逸らした先の握り締められた拳から憮然とした表情まで辿ってしまったときにはガッツリ上戸に入ってしまった。
通りがかりの人の心配をして、断っても全然引かず、飲み物を飲むまで帰さないぞとでも言うような視線を突き刺してきておいて。お節介ではあるけど、すごくしっかりした子だと思ってたのに。
さっき自分が"ブラックは無理"と言ったことを忘れるなんて。隠せずに大笑いしていると、顔を真っ赤にした彼にギロッと睨まれた。
「い、いーかげん笑うのやめて下さいッ!」
こんなことで向きになるのがやっぱり青くて、その素直さも、なんだか眩しかった。
「ごめんごめん、貰っておいてお礼を言ってなかったね。ありがとう。俺は、小牧と言います」
目で軽く促すと彼はかなり不機嫌そうに顔を背けたが、渋々こちらに目を向けた。
あぁ、この顔は女の子の好きそうな表情だ。
元が綺麗だと不機嫌そうにしてても絵になるのかなあ、なんてオジサンくさいことを思う自分に苦笑する。
「……片岡直月です」
名乗ることすら不満そうな様子がまた面白い。
「片岡君か。ごめんね、気を遣わせてしまって」
「いえ、それは気にしないで下さい。俺が勝手にした事なので。それに直月でいいですよ、小牧さんのことは一方的にですけど知ってたんで」
「え?」
レファレンスでもしたっけかな?と記憶を辿り始めるが、片岡君──直月君はそれを見透かしたように悪戯っぽく微笑った。
「いつも知り合いから聞いてるんで」
"知り合い"と聞いた瞬間、ぱっと思い浮かんだのはただ一人。だとすれば大きなトートバッグに、大学生らしいファイルやノートパソコンが入っているのも説明がつく。
「知り合いってもしかして、──」
「直月くん、お待たせ」
たった今尋ねようとした彼女の声に、小牧は反射的に振り返った。そしてかち合った目は自分と同じく驚きに揺れて、仄紅かった。
笠原さんと柴崎さんの不在、目を腫らした可南ちゃんに付き添いと思しき直月くん。状況はあまりに呆気なく察することができた。だが此方が何か言う前に、何事もなかったかのように笑う彼女に胸が絞られるように痛んだ。
「あれ、小牧さんどうして此処に?」
気丈に振る舞っているように見えてしまう可南ちゃんの笑みだったが、俺も漸くにこりと微笑み返した。
「さっきそこで知り合ってね」
そう目をやった先で直月君も首肯すると、可南ちゃんは納得したようだったが、その顔は先程より紅かった。
聴取と思ったが、読みが外れたのだろうか。具合でも悪いのか。何が何だか分からず、しかし何故かとても胸がざわついて思わず腰を浮かせた。
「じゃあ俺らはそろそろ帰ります」
そう言って立ち上がった直月君は、可南ちゃんに見えないように俺の腕を押さえて腰を下ろさせた。ぱっと見上げると、謝るように眉を顰めた目が見下ろしていた。
何も言えずに向けられた背中を目で追うと、さっき俺にコーヒーを差し出してくれた手が何の違和感もなく可南ちゃんの背中に添えられた。可南ちゃんの方もそれを気にする様子はなく、それどころか直月君が隣に並んだことで少しほっとしたような様子すら見せた。
また胸に刺されたような小さな音がする。
聞こえないふりをする、なんて態とらしいが、誤魔化すように口角を上げて微笑う。もう一度コーヒーのお礼を言うと、これまた気にしないでください、と返された。
「じゃあ小牧さんもお大事に」
直月君が振り返りざまにひょいと会釈すると、背を向けていた可南ちゃんが、ぱっとこちらを見た。
「小牧さん、どこか具合悪いんですか?」
思いもしなかったと驚きを隠せないような、心配そうな顔がよく見知った可南ちゃんで、不謹慎にも安心した。
「大丈夫だよ。二人とも帰り気をつけてね」
そしていつものように手を振ると、可南ちゃんは片岡君の腕越しにペコリとお辞儀して帰って行く。
二人が見えなくなると、小牧は大きく息を吐いた。脱力すると、背中に固い壁がぶつかった。
可南ちゃんが最後に見た俺は、上手く笑えていただろうか。
安心したように緩んだ可南ちゃんの表情。自然と寄り添った二人。いつもは振ってくれるのに、おろされたままだった彼女の手。
半分も減っていない手の中のスチール缶からピシッと乾いた音がする。
十も年の離れたおじさんなんかより、歳の近い何時も近くにいる男の方がいいだろうさ。
いい歳して、足掻いたところでどうなるというんだ。いや、結局、足掻いてみる気もないのだ。どうもならなかったときが怖いから。あれだけ真っ直ぐな恋情を向けられても、それがいつの間にか誰か違う男に向くことになるのが怖いのだ。
まさに、先程の彼のように。あの眩しさに相応しい男が現れるのが。
何にせよ、胸の中に埋まっている心を掻きむしりたいほどのこの感情に名前を付けてしまっている俺は、もう手遅れだ。
*
歩く度、手に提げたビニール袋が擦れる。蛍光灯に青白く照らされた廊下から扉を開けると、出る前にはいなかった客がベッドに背を預けて居座っていた。驚きはしたものの、半ば諦めてサンダルを脱いだ。
「お前、鍵どうした」
「開いてた」
「嘘つけ」
半ば寝ているとも取れる程に開ける気のなさそうな目は暗く、どこを見ているのか分からない。
「おい、寝るなら帰れ」
「寝ないよ」
だらりとベッドに凭れていた男は缶を片手に、心底気だるげに少しだけ居住まいを正した。それを視界の端に捉えつつ、これからの面倒をある程度覚悟して向かいに腰を下ろした。
「……大丈夫か」
「大丈夫…ではないかな」
急に笑い混じりになった声は、小牧が缶を傾けたことで途切れた。そしてその空笑いも力のない小牧を一瞥し、堂上は肩を竦める。
外で買ってきた袋を引き寄せ、乾き物を一つ取って向かいに座る男との間で開いた。
「何があった」
相変わらず直球しか投げられない自分に内心少し眉を顰めながら、プシュッと缶を開けた。
「いや、」
お互いにいい大人であるから、というのもあるが、男同士無理に聞き出す気はない。
だがここに来たということは、そういう事だ。自覚はあるのか知らんが。正直、この男の話を聞くのは好きじゃない。部下達のような若い頑なさがない代わりに、のらりくらりと好き勝手に吐き出して、此方が理解する前に完結するか若しくは既に答えを持っているのだ。堂上は苦い顔をして小牧の周りを思い浮かべた。
「毬江ちゃんか?」
「あ、いや、毬江ちゃんは大丈夫。あの子には彼がついてくれてるし」
「……ならお前、体調でも」
「それはもっとないんじゃないかな」
その返事に、思わず眉間の皺が深くなる。なら何なんだ一体。お前が体調を崩したかなど、俺とて本気で聞いているわけないだろう。
余程不満そうな表情だったのか、小牧は微かに笑いながら缶を煽った。
だが空だったらしい。らしくなく、きゅっと眉間にシワを寄せてビニール袋に手を伸ばした。
「おい、差し出しておいてなんだがそれ何本目だ。明日は朝から哨戒だろ」
「そんな心配しなくても、まだ三本だけだよ」
テーブル上の空き缶の数と申告との一致をさっと確認し、白々しく茶化す姿勢の小牧を堂上は本家らしく眉間に渓谷を刻み睨みつけた。冗談だよ、と微笑む小牧に溜息をつき、缶を煽った。
「あのさ、……大丈夫そうだった?」
可南ちゃん。
躊躇いがちに呟かれた妹の名前にまたプシュッと音がかぶる。缶を開けても口を付けない同期を訝しみながら、堂上はあぁ、と返事か溜息か自分でも分からない声を酒で潤した。
「今朝メールしたが、本人は大丈夫だと言っていた。……あの様子じゃあ普通に学校にも行ったんだろうな」
「……、」
聞いておいて反応のない同僚をつまみ片手に目で捉えると、プルタブに指を掛けた姿勢は先程と寸分違わず、あぁとでも言いそうな横顔を晒していた。
全く、これだ。
自分で勝手に納得して、脳内では今頃無事に思考が着地しているのだろう。妹の心配をしてくれているのは分かるし有難いのだが、此方は何を納得すればいいのか。
「解決したか?」
「え?あぁ」
「それはよかったな」
投げやりに返して、口に放ったつまみを咀嚼する。もうお前は勝手にしてろ。それより可南だ。
一度可南のことを思い出してしまえば、思い浮かぶのは可南のしょげた笑み。その顔程見ていて切ないものはないのに、浮かぶのがそればかりではやるせない。
早く可南を安心させてやらなくてはと思うのに、何もかもがこれからなのが歯痒くて仕方がない。
「堂上はさ、……大事な子のためなら身を引く?」
「あ?」
今度はどこからそんな話が出てきたんだ?
いい加減小言の一つでも言ってやろうかと、不機嫌を隠さず男の顔を睨んで固まってしまった。なんて顔してるんだ。同僚の見たことも無い表情に、恨みを込めた揶揄いも出なかった。
「どうした、急に。お前そんな人いたのか」
「いるっていうか、例えばの話だよ」
嘘だな。反射的にそう思いながらもポーズで頷いた。
恋愛というものに関して、堂上は小牧に対して何処かすかした印象を持っている。大学時代、この見た目に一見人当たりのいい此奴の隣には女性がいない方が珍しかったが、誰も彼もさらりと付き合い初めて、いつの間にか別れていた。
此奴には惚気たり悩んだりという恋愛にありがちな"浮き沈み"というものがないと思っていたのだが、これは。
「まあ、なんだ……其奴の幸せは願うだろうな」
「あぁ、そうだよね。……もしもさ、もしもだよ。それがすごい年の差があったら」
「は?」
「ごめん、やっぱり何でもない。お前に話す事じゃないよな」
「いや、毬江ちゃんか?」
引こうとした小牧に被せるように間髪入れずに声が出てしまった。心の端で名推理ではとも思ったが、それにしたら悩む順番が違うのか?彼女にはもう相手がいるから、身を引くも何もっていう感じなのか?
頭にクエスチョンマークを浮かべたまま見つめれば、小牧は珍しそうに、だが何故か少し安堵したように苦笑した。
「お前、なんで自分の事じゃないと頭回るの。でも残念、外れ」
「俺は何時からクイズをしてたんだ」
ふと笠原からのオジサン発言を思い出したが、自分の感覚はまだ大丈夫だったと少しの安心感と共に酒を喉に流した。
「じゃあ可南ちゃんが、お前と同い年くらいの彼氏を連れてきたら?」
「可南が?そんなの、」
すぐに納得は出来ない。
目を合わせた瞬間、またしても固まってしまった。そして小牧の顔を見て、分かってしまった。
そりゃあ、驚くだろうな。あいつが連れてきたのがお前だったら。
小牧は見たことも無いほど不安げな顔をしていたが、居た堪れなそうに身を捩り、口を開けたままの俺を置いて立ち上がろうとする。
「は、おま、付き合ってたのか?」
「いや、それは違う」
「それじゃあ、」
自分の散らかした缶を集めた男は、困った顔をして手を止めた。
「俺、好きなんだよね、可南ちゃんのこと」
唖然と見上げた同僚は、そう言って苦しげに嗤った。年が離れてるって、身を引くって、それは。
「………お前、」
「じゃ、おやすみ。」
そう言い残して、小牧は扉を閉めて出ていった。
暫し動けずにいた堂上は、テーブルの上に目を戻して深く息を吸った。俺は一体、何を告白されたんだ。だが一つ言わせてもらえるなら、声を大にして言いたい。
「まじか……」
妹を持つ兄の戸惑いは、誰に聞かれる訳でもなく秋の夜に消えていった。