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神に拾われる話⑤
2026/01/02 20:21神に拾われる話
だが――
了は、壊れなかった。
澱神の眷属となったはずの彼は、他の“それら”と同じ場所に在りながら、決定的に違っていた。
穢れは確かに身体を侵し、思考を鈍らせ、感情を摩耗させていく。それでも、最後の芯だけが折れずに残っていた。
理由は、了自身には分からない。
彼はこれまで、特別な人間だと思ったことは一度もなかった。
神社の家に生まれたが、祭祀は父の役目で、自分はただの大学生だった。霊感もなければ、不思議なものが見えるわけでもない。友人たちと同じように悩み、笑い、将来に不安を抱く、ごく普通の人間だと信じて生きてきた。
――だが、血は嘘をつかなかった。
代々、神に仕え、土地を鎮め、目に見えぬものと境界を保ってきた一族。
その霊力は、本人の自覚を待たず、確かに受け継がれていた。
それが、自我を失うことを許さなかった。
触手に絡め取られ、吊るされ、穢れを浴びせられても、了の意識は沈みきらない。
逃げ場のない苦痛の中で、彼は“考えて”しまう。
――痛い。
――怖い。
――嫌だ。
そして。
――帰りたい。
胸の奥が、締めつけられるように痛んだ。
母の顔が浮かぶ。
心配性で、了が帰省すると決まっても、必ず前日から掃除を始める人だ。
今頃、電話を何度も確認しているかもしれない。警察に行くのをためらいながら、それでも眠れずにいるかもしれない。
父の背中。
多くを語らず、神社を守り続けてきた人。
自分がいなくなったことで、何も言わずに、ただ境内を掃き続けている姿が、なぜかはっきりと思い浮かんだ。
妹と弟。
鬱陶しがりながらも、結局は面倒を見ていた二人。
ラインの未読が増えていく画面を、妹は何度も開いているだろう。
弟は、わけも分からないまま、不安だけを抱えているかもしれない。
「……ごめん……」
声にはならなかった。
喉を震わせても、穢れに満ちた空間が音を拒む。
自由に動かない身体。
逃げることも、助けを呼ぶこともできない。
それでも、了の意識は家族のもとへ向かっていた。
――自分がいなくなって、泣いている人がいる。
――探してくれている人がいる。
それが、今の彼に残された唯一の“現実”だった。
黒く染まりゆく肌の上を、温かいものが伝った。
涙だった。
誰にも見られることのない、音のない涙。
穢れに塗れ、化け物の巣に囚われ、それでもなお人であることをやめられない青年は、
触手に吊るされたまま、静かに、何度も何度も家族の名を心の中で呼び続けていた。
――それは、澱神にとって最も不都合な、
“壊れ損ないの眷属”の在り方だった。
了は、壊れなかった。
澱神の眷属となったはずの彼は、他の“それら”と同じ場所に在りながら、決定的に違っていた。
穢れは確かに身体を侵し、思考を鈍らせ、感情を摩耗させていく。それでも、最後の芯だけが折れずに残っていた。
理由は、了自身には分からない。
彼はこれまで、特別な人間だと思ったことは一度もなかった。
神社の家に生まれたが、祭祀は父の役目で、自分はただの大学生だった。霊感もなければ、不思議なものが見えるわけでもない。友人たちと同じように悩み、笑い、将来に不安を抱く、ごく普通の人間だと信じて生きてきた。
――だが、血は嘘をつかなかった。
代々、神に仕え、土地を鎮め、目に見えぬものと境界を保ってきた一族。
その霊力は、本人の自覚を待たず、確かに受け継がれていた。
それが、自我を失うことを許さなかった。
触手に絡め取られ、吊るされ、穢れを浴びせられても、了の意識は沈みきらない。
逃げ場のない苦痛の中で、彼は“考えて”しまう。
――痛い。
――怖い。
――嫌だ。
そして。
――帰りたい。
胸の奥が、締めつけられるように痛んだ。
母の顔が浮かぶ。
心配性で、了が帰省すると決まっても、必ず前日から掃除を始める人だ。
今頃、電話を何度も確認しているかもしれない。警察に行くのをためらいながら、それでも眠れずにいるかもしれない。
父の背中。
多くを語らず、神社を守り続けてきた人。
自分がいなくなったことで、何も言わずに、ただ境内を掃き続けている姿が、なぜかはっきりと思い浮かんだ。
妹と弟。
鬱陶しがりながらも、結局は面倒を見ていた二人。
ラインの未読が増えていく画面を、妹は何度も開いているだろう。
弟は、わけも分からないまま、不安だけを抱えているかもしれない。
「……ごめん……」
声にはならなかった。
喉を震わせても、穢れに満ちた空間が音を拒む。
自由に動かない身体。
逃げることも、助けを呼ぶこともできない。
それでも、了の意識は家族のもとへ向かっていた。
――自分がいなくなって、泣いている人がいる。
――探してくれている人がいる。
それが、今の彼に残された唯一の“現実”だった。
黒く染まりゆく肌の上を、温かいものが伝った。
涙だった。
誰にも見られることのない、音のない涙。
穢れに塗れ、化け物の巣に囚われ、それでもなお人であることをやめられない青年は、
触手に吊るされたまま、静かに、何度も何度も家族の名を心の中で呼び続けていた。
――それは、澱神にとって最も不都合な、
“壊れ損ないの眷属”の在り方だった。