少女と黒騎士の亡霊





 いつも遊び場にしていた古塔まで、ノクスはティナを導いた。

 道中ティナがいくら話しかけても、ノクスは一切応えることはなく、まるで本当に亡霊になってしまったようだった。



 たどり着いたその古塔のそばに、見慣れない女性が佇んでいた。

 古塔の周りは木の密集がないため、そこは美しい月光の光が降り注ぎ照らされている。



 漆黒のドレスに身を包んだ黒髪を靡かせたその美しい女性は、月の光を受けながらティナとノクスに微笑みかけた。



「モルウィナ様……連れて、参りました……」



 ノクスはぎこちなく跪き、モルウィナへそう告げた。その声は微かに震えている。

 彼の言葉を聞いて、ティナはわずかに顔をこわばらせる。



「モルウィナ……?」



 ティナも彼女、魔女モルウィナの話は聞いていた。多くの犠牲の事実と共に。

 モルウィナはその反応を満足げに受け止めながらティナの元へと歩み寄る。



「こんばんは。可愛いお嬢さん。あたしのお人形と仲良くしてくれて、ありがとう」



 お人形。まるでノクスが物であるかのような言い方だ。

 美しいのに、どこか禍々しいモルウィナの血のように赤く光る瞳に見下ろされ、ティナは足が震えて立ち尽くした。恐怖で目を離すことができない。



 その時、跪いていたノクスが口を開いた。小刻みに震え、額からは玉のような汗が滲んでいる。今この時も、彼はモルウィナの支配に抗っていた。



「も、モルウィナ、様……どうか、お許し、ください……ティナは……関係ない……彼女を巻き込むのは……」

「あら、関係なくはないわ。私はこのためにここへ戻ってきたのだもの」



 さらりと告げた言葉に、ノクスは顔を上げた。



「ど、どういう、ことです……?」

「私はね、“素材を“探しにここへ来たのよ。この美貌と命を保つための素材となり得る若い女を、ね……」



 魔女モルウィナは若い女の血を搾り取り、それを用いて命と美貌を長らえさせていた。人の命を用いた魔術は禁忌だ。その禁忌に触れたせいだろう、彼女が冷酷で人間らしさのない魔女となったのは。



 ノクスは絶望に打ちひしがれた。そんな欲望を満たすことのために、彼女はこれまで何人もの人間の命を奪い、そして今、まだ幼い少女の命すら摘み取ろうとしている。それも、ノクスにもそれに手を染めさせる形で。



「そんなこと……! お願い、します……この子だけは……!」



 その瞬間、ノクスの胸の刻印が再び彼の体に電流でも走ったかのような衝撃を与えた。



「がッ……あ、あぁぁッ!!」



 地に崩れ落ち、苦悶に身をよじるノクス。

 その姿を見てティナは駆け寄った。怯えて震えていたにも関わらず。



「や、やめて! お願い、亡霊さんをいじめないで……!」

「……よ、よせ、ティナ……ッ」



 ノクスの掠れた声が、必死に彼女を遠ざけようとする。

 しかし、魔女はそんなノクスに冷酷に命じた。



「さぁ、ノクス。貴方の手でその子を処理なさい。なるべく血が流れないようにね。」



 遂にその命令が下されてしまった。



 ビクリと身体が反応し、意に反して傍に立つティナを蹴り倒した。

 仰向けに転がった少女の胸を踏みつけ、ノクスの手はそのまま腰に差した剣へと伸びる。刃を引き抜こうとしたその腕を押さえ込んで、ノクスは声を上げた。



「いやだ!! やめてくれッ!!」

「ぐ、うぅ……亡霊、さん……ッ!」



 苦痛と恐怖に歪むティナを見下ろして、ノクスは悲痛な懇願を繰り返す。

 胸の刻印が再びノクスの体を蝕んだ。苦痛に顔を歪めながら、それでも必死に言うことを聞かない体を押さえつける。



 だが、それも時間の問題だ。剣は徐々に鞘から抜けていく。このままでは、本当にティナを……



「す、すまない……ッ、ティナ……すまない……こんな、ことに巻き込んで……ッ」



 足元には、恐怖で身を固くし、カタカタと震えて涙を流す少女。一刻も早く彼女を抑えつける足をどかして抱き起こしてやりたいのに、それができない無力な自分に絶望する。



 ノクスの下で苦しみ喘ぐ少女は、唇を震わせながらも、小さく言葉を紡いだ。



「……亡霊さんは、悪く、ないよ……」



 恐怖にすくみ、涙をこぼしながらも少女が口にしたその言葉に、ノクスはかつての記憶が呼び起こされた。



『許す、よ……お前は、わるくない……』



 親友が最期に残した言葉。

 目の前の少女に、あの時の親友の姿が重なった。



 また、自分は同じ過ちを犯してしまう。かつて、親友を死に追いやったあの時と同じように、今度は罪のない無垢な少女を手にかけてしまう。

 そんなことは、自分自身が許せなかった。



「う、うああぁぁぁぁぁッ!!!」



 遂に刃が引き抜かれ、それを頭上へと振り上げた。



 少女は固く目を閉じる。

 

 しかし、少女を襲ったのは剣の切っ先ではなかった。肉が裂ける音と共に、生ぬるい何かが顔に飛び散るのを感じて、ティナは恐る恐る目を開く。



 そこには、自身の右足に剣の切っ先を突き立てたノクスの姿があった。



「ぐっ……うぅ……ッ!」

「ぼ……亡霊さん……!」

「あらあら……」



 一部始終を観察していた魔女にとっても予想外の事態だった。ノクスは魔女の呪いに抗おうと、自身の肉体を傷つけてでも、命令の遂行を阻止した。



 自傷による傷によって身体は立っていることもできず、ティナの傍らに倒れ込んだ。自由になったティナはすぐに起き上がり、傷ついたノクスを助け起こそうとするが、鎧を着たノクスをまだ幼いティナの力では助け起こすことはできず、縋りつくしかない。



 足の傷は深く剣の切っ先が突き刺さり、脈を打つたびに血が溢れ出してくる。これではもう、まともに歩くこともままならないだろう。



「亡霊さん……!」

「ティナ……今のうちに、走って……逃げろ……逃げてくれ……ッ」



 魔女に目をつけられた今、走って村まで辿り着いたとしても、彼女が助かる道は鎖されてしまったことは、かつて多くの仲間を魔女によって失った彼には痛いほど理解できていた。

 それでも、一抹の希みをかけて、なんとしてもティナをここから遠ざけたかった。



 だが、恐怖に晒されたティナは震えて思うように立ち上がることもできない。

 魔女はそんな二人を愉悦を帯びた笑みを称えて眺めている。元より逃がすつもりもないことは明白だった。



その時だった。



「そこで何をしている!?」



 鋭い怒声が飛び込んだ。

 草木をかき分け、現れたのは王国の紋章を掲げた騎士たちだ。



 彼らは、ティナの両親が黒騎士の亡霊に関して、王国へと情報を提供し、討伐を要請したことで派遣された者達だ。

 村からティナを連れ出したノクスを発見した彼らは夜闇に紛れ、二人を追ってここまでやって来たのだ。



「貴様が、黒騎士の亡霊か!」

「待て、あの女……まさか、魔女モルウィナか!?」

「まずは少女を保護しろ、それから黒騎士と魔女をまとめて討ち取るのだ!」



 あっという間に三人を囲み、まずはティナを救うべく、魔女モルウィナに警戒しつつも、騎士たちはティナの元へと駆け寄る。



「邪魔者がうじゃうじゃと……そうはさせないわ、その娘は大切な素材なのだから。」



 しかし、魔女はそれを許すことはなかった。少女は今や魔女にとって、美貌を保つ素材。それをみすみす奪われることなど許すはずもなかった。

 魔女がティナを誘うように指を引くと、ティナの体は重力に逆らい、まるで何かに引き寄せられるかのようにモルウィナの傍へと移動した。

 驚き、悲鳴をあげるティナの長い栗色の髪を乱暴に掴み上げ、まるで騎士たちに対して盾にするかのように捕まえてしまう。



「お嬢さん、今から面白いものを見せてあげるわ。」



 そう、嗜虐的に微笑みながらティナの耳元で囁き、視線を倒れ伏すノクスへと移す。



「ノクス、まずは邪魔者たちを始末なさい。できるわね?」

「……ッ、は、は……い……」



 立つこともままならないノクスに、魔女は残酷な命令を下した。

 剣を地に突き立て、必死に立ち上がる。激痛に顔を歪めながら、一人で騎士たちと相対した。今もなお、魔女の呪縛に抗い、手負いであることも重なり、命令を完遂することなどできるはずもない。それをわかっていて、魔女は命じた。壊れかけの人形が、果たしてどこまで使えるのか、それを試すかのように。



「や、やめて……亡霊さんを、いじめないで……!」



 泣きじゃくる少女の訴えに耳を貸すものはいなかった。







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