少女と黒騎士の亡霊



 ティナが森へ通っていることから、村の子供が亡霊に呼び寄せられていると噂が村中にたち始めていた。

 ティナの両親はこの村の領主だ。娘が亡霊に執心していることは村人達の不安感を煽るし、何より大切な娘が取り返しのつかないことになってしまうのではないかと心配だった。

 ティナには事あるごとに森へは近寄らないよう言い聞かせていたが、大人の目の届かないうちに森に通っていた。

 村の大人たちは着々と準備を整え、遂に森の黒騎士の亡霊の正体を突き止めようとした。

 村の者達がそのようなことを計画しているとは露知らず、ティナはやはりノクスの元へと訪れていた。
 冬が過ぎ、また森にはぽつりぽつりと小さな花が咲き始めていた。塔のそばで無邪気にそれらを摘んでいたティナは草むらの中に光を反射する何かを見つけていた。

「これは…………?」

 拾い上げたそれは小さなペンダントのようだった。
随分長い間ここに転がっていたようだ、半ばほど土に埋もれ泥だらけのそれは、服の裾で磨いてやると美しい装飾が施されていた。

「ねぇ、亡霊さん。これ……」

 ノクスにそのペンダントを差し出すと、それを見たノクスは顔色を変えた。
 記憶にはない、だが、なぜか懐かしく、大切なものだった気がした。

 ティナの手からそれを受け取ると、ノクスはそれをまじまじと見つめた。

「亡霊さんの?」
「……わから、ない……でも、とても懐かしい……」

 銀色の楕円形に蔦のような模様が彫り込まれ、小さな宝石が埋め込まれている。
 それを見つめるノクスの目には涙が浮かんでいた。記憶にはないが、きっとかつてノクスにとって大切な何かだったのだろう。それはティナもそう感じた。

「きっと、亡霊さんの大切なものなんだね」

 ティナはそう言うと、ノクスの首にそのネックレスをそっと掛けてやった。

 その時だ。

 ノクスは人の気配にハッと顔をあげた。その気配は一人や二人ではない。何人もの人間の気配だ。それがぞろぞろとノクスとティナのいる古塔へと近づいてくる。

「いたぞ! こっちだ!!」

 まもなく、一人の男がノクスとティナの二人を見つけるや声を張り上げた。
 集まってきたのはティナの住む村の男たちだ。皆クワやカマなどを手にもち、殺気立っている。
 最初は見覚えのある顔の人間に、安堵したティナだったが、その不穏な様子にノクスの後ろに隠れようとした。

「ティナ! さあ、こちらに来るんだ!」
「お前が騎士の亡霊か!」
「村の子供を狙うなんて!」
「子供の魂を喰らう気なんだろう!」

 男たちは興奮した様子でノクスを罵る。
 ノクスの身なりを整えた程度では、彼らを納得させることなど到底無理な話だったことを、ティナは怯えながら思い知った。
 
 ティナがノクスの元へ通うようになった時から、ノクスはこんな日が来ることを予感していた。そして、それがティナとの別れになるということも。

 ノクスは決意した。
 自分はもはや、魔女にも忘れ去られ、この古塔と共に朽ちる日を待つばかりの、亡霊のようなものだ。それに比べて、ティナには未来がある。
 ティナと出会ってから、ノクスにとって彼女はかけがえのない存在になっていた。今こそ、彼女を亡霊から解放しなければならない。

「いかにも、私はこの塔を守る亡霊だ……」
「亡霊さん……?」

 ノクスは乱暴にティナの襟首を掴み上げると、ティナの父親と思しき男へ向けて投げつけた。驚いたティナは甲高い悲鳴をあげた。その声が、ノクスの心を突き刺した。しかし、ここで手を緩めるわけにはいかない。

「この塔に近寄るものを、排除する。命が惜しければ、ここから立ち去れ!」

 ティナが無事に父親に受け止められたのを見届けてから、村人たちへと警告する。
 村人たちは一瞬怯んだが、何人かの男たちが武器を手にノクスへと襲いかかった。
 だが、呪縛によって何年も孤独に生き続けていたとはいえ、村人の力に屈するほど衰えてはいなかった。剣を抜くこともなく、村人たちを一度に何人も相手取って、武器を取り上げ地に叩き伏せていく。

 その姿に恐れをなした人々は恐慌に包まれ、遂にティナを連れて森を逃げ出して行った。

「亡霊さん! どうして!?」

 逃げる人々に連れられて行ったティナの悲痛な声がノクスに届いたが、それには応えなかった。

 これでいい。あの子は人の中で生きていくべきだ。

 そう、自分に言い聞かせながら、村人たちが去り静寂を取り戻した森の中、塔の中へと足を運ぶ。
 階段を登り、何もない、朽ちかけた塔の一室に佇んで、ノクスは静かに涙を流した。

「すまない……すまない、ティナ……」

 怖がらせてしまった、裏切ってしまった。ノクスはティナの幼く柔らかな心を傷つけたことに謝罪しながら、嗚咽を漏らす。
 後悔はない。彼女は人の中で生きていくべきだ。そのために、ノクスができる精一杯をした。
 あのまま彼女がノクスと共にいれば、きっと人々からは奇異の目で見られ、人の輪から外されただろう。

 ティナを、そんな目に合わせたくはなかった。

 どれだけ時間が立っても、涙はとめどなく溢れてきた。肩を震わせ、壁にもたれかかって、声を殺して静かに泣いた。

 ティナとの別れを悲しみ、自身の呪われた宿命を憂い、涙を流す。この感情も、ティナとの日々で取り戻せたものだ。
 これまで彼は感情を失った人形だった。自身の置かれた境遇を疑問に思うことすらできずにいたのが、今はその長い時間せき止められていた感情が溢れ出すように止め処なく泣き続けていた。

 そのとき、不意に首元から何かが滑り落ちた。

「っ!」

 それはティナがノクスの首にかけたペンダントだ。劣化した鎖が切れたのだろう、ペンダントは音を立てて床に落ち、その衝撃で表面が欠けてしまった。

 いや、欠けたのではない。

 ペンダントだと思っていたそれは、ロケットペンダントだった。欠けたように見えたのは、ロケットの蓋が開いたのだ。

 拾い上げると、そこには魔術によって念写された写真というものが嵌められていた。

 それを見て、ノクスは更に涙を流した。

「ああ……ッ! 俺は、なんてことを……君の事を、忘れていたなんて……」

 そこにはかつての親友、オルテの姿が映っていた。そして、その傍らには彼の愛した妻である女性も映っている。
 これはあの時、魔女の思惑に踊らされたノクスの手で命を落としたオルテの亡骸と共にあったのだろう。獣によって亡骸は失われたが、彼が身につけていたこれだけはずっと近くに残っていたのだ。

 そうだ、オルテは任務の直前に、よくこのペンダントを見つめていた。愛おしそうに。きっと、生きて帰る決意を固めていたのだろう。そんな親友の姿が誇らしかった……

「そうだ……君は、いつもこれを大切に身につけていた……」

 封印されていた親友との思い出が、記憶が溢れ出した。
 オルテと共に駆け抜けた日々、そして、そんな日々を自身の手で破壊してしまった瞬間も。そのせいで愛する者を失った人がいたことも。

 きっとあの日も、このペンダントに覚悟を誓っていたのだろう。

「すまない……っ、俺の……俺の、せいで……っ!」

 ノクスもまた、魔女の呪いの被害者であるはずなのに、彼はそれでも、己を責めずにはいられなかった。

 ロケットペンダントに収まっていた写真に映る女性、彼女の姿はどこかティナと面差しが似ていた。そして、ティナの栗毛色の髪と琥珀のような金の瞳、それは親友オルテの色ともよく似ている。

 もし、そうであるならば、親友の大切な末裔すら傷つけてしまったということになる。

 ノクスはそれから何日も、ただ一人で静かに後悔と自責の念に苛まれ、涙を流し続けた。
 もう誰も傷つけたくはない、誰からも、ティナにさえ忘れ去られ、このまま静かに朽ちていきたい、それが彼の願いだった。
 あの村人たちが、もう訪れないことを祈った。もしまた武器を手に、襲いかかってくるようなことがあれば、この身体は呪縛の力に強制されて、意志に反して抵抗してしまうだろう。
 親友との記憶が蘇っても、呪いが解けたわけではない。現に自分自身については未だに封じられたままだった。
 
 誰も構わないでくれ、そっとしておいてくれ、そう願いながら、ノクスは塔の一室の隅でペンダントを抱きしめながら蹲り、ただ時が過ぎていくのを待っていた。

 だが、数日とたたぬ間に、その切実な望みは断ち切られた。

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