少女と黒騎士の亡霊
ノクスに救われたのを機に少女ティナは幾度もノクスの前へと現れた。
帰れと言っても、彼女は言うことを聞かず、ノクスと共に過ごすようになった。
森で摘んだ花や木の実を集めてノクスへと差し出し、ノクスは静かにそれを受け取った。愛らしい声で歌を口ずさみ、ノクスの周りを跳ね回った。
ノクスはそんなティナの無邪気な姿を、ただ黙って虚ろな瞳で見つめていた。彼女の姿を眺めていると、忘れ去られていた優しさが、呪縛の隙間から溢れてくるようだった。
春は、森が花の香りに包まれる。ティナは咲き誇る花畑で可愛らしい花を積んでは花冠を作ってノクスに贈った。同じものをもう一つ作って、お揃いだね、と無邪気に微笑み、花冠をかぶって歌ってはしゃいでいた。
夏は小川で水遊びをするティナをノクスは木陰から見守った。陽の光を反射してキラキラと光る水面をパシャパシャと音を立てて遊ぶティナは、「亡霊さん暑くないの?」と笑ってノクスを手招いた。
秋は、涼しげな風が通る鮮やかな森を散策した。獣と遭遇しないよう、ノクスは彼女と共に歩み、食べられる木の実を積んでは頬張る姿を見つめていた。
冬は、しんしんと雪の降りしきる森へと入り込んだティナを嗜め、森の出口へと連れ戻した。亡霊さんが寂しいと思って、と口を尖らせる姿に、彼は初めて笑顔を浮かべた。
ノクスが何度彼女に、森に入るなと言ったところで彼女は聞かなかった。
だが、そのおかげか、無垢な少女の心に触れることで、ノクスは奪われていた人間性を取り戻し始めていた。
虚ろな表情で、言葉もなくただ佇んでいた彼は、ティナに微笑みかける事もできるようになっていた。
だが、それでも魔女の呪縛は強固だった。彼は相変わらず森の外に出ることはできず、また、自身が何者だったのかすら思い出せずにいた。
ティナは季節が一巡りするほど森に通っていた。両親や友人には内緒でこっそりと。しかし回数を重ねれば流石に隠し通せるものではなかった。遂に彼女が森に出入りしていることが両親に知られてしまい、強く叱られた。
「森には騎士の亡霊が出る。魂を奪われるぞ!」
しかしその言葉はティナには通用しなかった。なぜなら、ティナはその亡霊が心優しい人だということを知っていたのだから。
きっとみんな、亡霊さんがあんなみすぼらしい姿をしているから怖がるんだ、とティナは本気で思った。
ある時、ティナはカバンに櫛や剃刀、鋏などを詰め込んで森へとやってきた。
「亡霊さん、みんなが怖がらないように、ちゃんとお手入れしよう?」
ティナはノクスの髭や髪を綺麗に整えれば、みんなが彼を受け入れてくれるのではないかと思いついた。
二人は伸び放題の髭や髪を、ぎこちない手つきで少しずつ整えていった。絡まった髪は苦労しながら櫛を通し、短く切り、髭は剃刀で少しずつ、たまに頬や顎に刃が当たりながらも綺麗に剃り落とした。
そして彼の素顔を見たティナは驚いた。そこにいたのは老人ではない、若く、整った顔立ちの青年だった。
「亡霊さん……お兄さんだったんだ……」
青白く、やつれてはいたが、髭と髪に覆い隠されていた瞳は青空のように美しく、ティナが綺麗に洗い流してやったくすんだ髪は、金色に生まれ変わった。
ノクスはやっと本来の自分の姿をほんの少し取り戻したかのように、深く息をついた。
「どう? 亡霊さん」
「……軽く、なった……」
小さく笑い、頭を振ってみる。
ノクスはティナとの日々の中で確かに、少しずつだが失われていた人間性を取り戻そうとしていた。
しかし、そんな二人とは裏腹にティナの村では黒騎士の亡霊を恐れる声は増していった。