少女と黒騎士の亡霊
それからしばらく時は経ち、多くの仲間を殺された執念か、オルテの親友への強い想いもあってか、遂に魔女の棲む古塔へと彼らは辿り着いた。
「外が騒がしいわ。ノクス、掃除をしてきてちょうだい」
「仰せのままに……モルウィナ様……」
モルウィナは冷酷に命じた。それはかつての仲間を手にかけよという無慈悲な命令だった。
呪いによって心を封じられたシリルは、ノクスとしてその命を受け入れた。モルウィナの人形と化した彼はもはやかつての仲間すらも認識できてはいない。
そう、親友の顔すらも覚えてはいなかった。
魔女の根城を突き止めた討伐隊は塔に張り巡らされた結界を突破しようと奮闘していた。
しかし、その塔から姿を現した男の姿に一同は驚愕する。
死んだと思われていたかつての仲間が生きてそこに現れたのだから無理もない。
だが再会の喜びは一瞬のことだった。
漆黒に染まった鎧、闇に沈んだように光の灯らぬ瞳に、騎士たちは一様にただならぬ様子を感じ取った。もはや目の前にいるそれはかつての仲間、シリルではないと悟り、悲痛な面持ちで剣を引き抜いた。
惨劇は瞬く間のことだった。
魔女の加護を受けたノクスの力は強大で、多勢をもってしても抗えず、気がつけばその場に立っているのはノクスとオルテの二人きりとなっていた。
仲間達の血で染まった地に、無惨な骸が散らばっている。
そんな凄惨な光景の中で、二人の親友は再会していた。
シリルの意識は今も尚闇に沈み、ノクスとしてオルテに剣を向けていた。
「シリル……!! 頼む、目を覚ましてくれ……ッ!!」
栗毛色の髪を振り乱し、襲い来る親友の剣を凌ぎながら、オルテは呼びかけた。
彼の悲痛な呼びかけに、ノクスの表情は僅かに揺らいだ。しかし、振り下ろされる剣の切っ先は揺るぎないものだった。
森の中に剣戟の音が響き渡る。
オルテはただ一人の親友に向けて斬り込むことに躊躇っていた。もはや魔女の手足に変わって働く傀儡となっていたとしても。
シリルがかつての心を取り戻すと信じていた。
「シリル……! 俺だ、オルテだ! わからないのか!?」
だが、その瞬間、迷いのあったオルテの剣を弾き、遂にノクスの刃が彼の肉体を捉えた。
強い衝撃と共に肩を貫く痛みが体を駆け抜けた。噴き出た血がノクスの顔を汚す。
肩に突き立てられたその剣先はそのままオルテの肉体を切り裂いた。
深く傷ついたオルテはついに友の前に崩れ落ちた。傷口からは夥しく流血し、もはや助かるすべはないことが一目で明らかだった。
しかしオルテのその姿を目の当たりにしていたノクスに変化が現れた。その目に明らかな動揺の色が浮かんだのだ。唇を振るわせ、剣を取り落としたノクスは倒れ伏したオルテを抱き起こした。
「お、おる、て……」
「……ッ、ぅ……」
痛みに顔を歪めながらも、ノクス、いや、シリルを見上げる。
オルテの金の瞳に映ったのは、魔女の傀儡ではない、友の姿だった。
闇に封じられた彼の心は、オルテの声を聞いて抗ったのだ。しかし、遅かった。その手はすでに仲間や親友の血で穢れてしまった。
「……し、シリル……ッすまない……お前を、助け、られなくて……」
口から血を吐きながら、オルテは詫びた。この手で必ず取り戻すと誓った決意は、魔女の邪悪な思惑の前では無力だった。
もはや体に力は入らない。浅く呼吸をするたびに、体から血が体温と共に流れ出す。
オルテのその冷えつつある体を抱きしめ、シリルは涙を流した。自分の手で、唯一無二の友を死へと追いやってしまったのだ。その自責の念たるや、計り知れない。魔女によって支配されていたとはいえ、大切なものをこの手で屠るなど。
「……あ、あぁぁ……、お、オルテ……オルテ……ッ!!」
涙が頬を伝い、零れ、オルテの頬を濡らした。オルテは最期の力でその涙を拭ってやる。
「……お、お前が、こんなに……泣くところ、初めて見た……」
「喋るな!ああ……、すまない……! すまないオルテ……ッ!!」
力なく笑う親友に、ただ謝罪を繰り返す他ない。
命は容赦なく流れ出る。親友の腕の中でオルテは徐々に瞼が降りていく。その最期の時に、微笑みながら呟いた。
「許す、よ……お前は、わるくない……」
小さく、か細い呟きを残し、瞼は重く閉ざされてしまった。
その瞬間、不吉な気配が背後に忍び寄った。
「あら、そんな汚いものを抱えてはいけないわノクス」
「!!」
振り返ると、そこには闇を纏ったように漆黒のドレスを身に纏った魔女モルウィナの姿があった。
日が沈み始め、夜闇が辺りを包み始めていた。暗がりに浮かび上がるその姿は常よりも禍々しく恐ろしいものだった。
「お、オルテを、オルテを助けてくれ!! 俺はどうなっても構わないッ、どうか! どうか……!!」
誇りも捨てて、この惨状の原因たる魔女に懇願した。魔女の力であれば、まだ息のあるオルテだけでも命を救えるのではないかと、自分の全てを投げ打つ覚悟だった。
「駄目ね、あたしの命令も満足に従えないなんて」
魔力を込めた手のひらが淡く光を帯びたかと思うと、閃光が迸った。
その光は一瞬にして死にゆくオルテの体を撃ち抜いた。
意識を失っていたとはいえ、まだ息のあった彼の肉体は胸に大きな穴を穿たれたことで呆気なく命を奪われた。
もはやぴくりとも動かない、損壊し、変わり果てた親友の亡骸を前に、シリルは呆然とした。そんなシリルを嘲笑うようにモルウィナは耳元で囁いた。
「お掃除も満足にできないようでは困るわ。いらっしゃい、あなたにはお仕置きが必要ね」
心を取り戻していたとしても、魔女の呪縛は未だに彼の体を蝕んでいた。魔女の言葉を聞いて、意思に反して体は命令に従ってしまう。
「も、申し訳、ありません……も、モルウィナ、様……ッ」
仲間たちを、親友を、死に追いやった魔女に、憎しみと怒りは燃え盛る。
しかし、体に刻まれた呪いの刻印がその全てを押しつぶし、服従を強要する。
震える体は、屈辱に打ち震えて深く頭を垂れていた。