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鈍行

 平日の各停電車は空いていた。

 車窓の外で、ビルが隙間なく並んだ街並みが緩やかに流れていった。膝に乗せた小さなパソコンのエンターキーを押してから、私はやっとその様子を伺った。

 騒がしい東京の中心街は既に通り過ぎていた。

 数年の間離れていたあの場所へ、私は今日になって帰ろうとしている。
 私たちは永遠に道を違ったわけではないと、そう信じるために。


 電車を降りると、見知った制服の子供たちがまばらに急行電車を待っていた。この駅のすぐ近くに古い公立高校があって、彼らはそこの生徒たちであろう。
 かつての自分と同じセーラー服を着た少女が、一人俯いてスマートフォンを眺めている。今の私にはその項垂れた背中がとても稚拙に、それ以上に懐かしく見えた。

 校門の向かいを通りすぎ、駅周りの商店街を進む。
 ここは郊外とはいえ少なくない人が住む街で、買い物客の話し声やコーヒーショップのベルの音が聞こえる。私はその一つ一つを直視し、普遍的で幸福なことだと感じる自分を確かめた。

 こんなありふれた光景にさえ、どうしようもない疎外感を覚え、悲しくて俯いていた時期があった。

 生家から少しでも距離を置くために、反対を押し切って片道1時間ほどもかかる高校を選んだ。条件として通うことを定められた学習塾も、この近くにある。
 古い血筋を守り、権力を維持するための価値規範。それを基になされる冷酷な教育は、幼い子供の情緒を捻じ曲げる十分な理由になった。

 少しでも長くあの生き地獄から逃れるため、この地を休息地に選んだが、私は結果としてあの空間に馴染むことはできなかった。
 漫画、スマホのゲームにSNS、ちょっと怖い映画、休み時間の度に交換するおやつ、ポップス歌手の新曲。同級生たちが楽しそうに話すほとんど全ての娯楽が、私には恐ろしいものとしか認識できなくなっていた。

 自分が異常であることを知った私は酷く狼狽し、絶望し、憤った。
 それを見た生家の人間の、「ほら見たことか」と言わんばかりの態度にも耐え難い怒りを覚え、幾度か暴力沙汰になりかけたこともあった。

 唯一私の救いになったのは、どこの集団にもはぐれ者が一定数いるというありふれた事実だった。

 あの連中も大概、私と同じように生まれた家庭に問題を持ち、広くは理解され難い性質を持った子供たちだ。不思議なことだが、弱いもの同士が繋がりを持つのはある種のセオリーというものなのだろう。
 最初は気が合う同級生と言うだけの数人の集まりだったものが、知り合いの下級生を巻き込み、またその知り合いの爪弾きものたちを巻き込んで、最終的に私の周りには少なくない人数が集まっていた。

 彼らとの関わり、私は自分よりもずっと深刻な状況にある者の存在を目の当たりにし、それでも何の責めも羨望もなく肩を叩いてくれる優しさを向けられて、私は漸く握った手の力を少し抜くことができた。皮肉なことに、普遍的な娯楽の楽しみ方を私はそこで教わった。

 あれから何年かの月日が経ち、私は今ならありふれた日常に親しみ、ベルの鳴ったコーヒーショップのドアを開けるようにその一部となることにも躊躇いはない。
 友人たちと出会っていなければ、私は今の私を形作ることはできなかったことだろう。本気でそう振り返ってしまうくらいには、私は愚かで狂った子供だった。

 最終学年に進級した時、私たちは選択を迫られた。
 進学かそれ以外か。それは『家に戻るか抵抗を続けるか』という選択に等しい。碌でもない家であっても、高校を出るか出ないかという未熟な人間がそれを完全に切り捨てるのは簡単なことではないだろう。まして、学のない者に冷たいこの社会ではいうまでもないことだ。
 私たちは皆心苦しい思いで、友人関係と社会への適合を天秤にかけたのだ。そして私は、進学し彼らの元を離れることを選んだ。

 散り散りになった彼らの今を、私は殆ど知らない。

 卒業後の進路を知っている同級生たちはともかく、殆ど不登校の下級生たちがどう過ごしているかを知る術は今はなく、心身を壊され学校に行くことができなかった子や病的な放蕩者に至っては生死すらも確証がない。
 比喩でなく命を断つか断たれるかという状況にいる彼らとは、私たちが進路を決めた頃から徐々に連絡が取れなくなっていった。

 皆を忘れたことはない。
 大学へ行くと打ち明けたとき、なんでもないことのように『まあお前ほどの頭ならそうだろうね』と言い、余計なこと考えてないで勉強しろと足を蹴られた。
 その暖かさを覚えているし、それを糧に私は相変わらず火をつけたくなるような現実と対峙しているのだ。

 両親は私の進路に、尚も納得していない。
 あの家の人間が自らの行いを省みることはないし、私が負った傷を忘れることもない。彼らが安くない学費を払い、私に寝床を提供していることを分かっていても、何を言われても黙っていられるほど従順になったわけではない。

 私の脚はそのまま商店街を抜けて、ずっと人通りの少ない方へ向かう。
 途中の酒屋で小瓶を一つ買い、トートバッグの中に仕舞った。

 通りの端でバスに乗り、栄えた駅前を離れて、寂れたバス停からほとんど歩行者の通らない高架下をずっと歩く。ここからは、せっせと歩くしかない。いつも皆で文句を言いながら歩いていた。お土産にアイスは買えないな、なんて言っていたのを覚えている。

 うるさいギターロックで耳を慰めつつ、数十分ほど歩くと、忘れ去られた古い小屋がある。
 初めて来た時に軽く見た限りでは、どうやら何十年も前に倒産した会社の所有物だったらしい。取り壊されないまま捨て置かれたそれを行く宛のない子供達が見つけ、寝床としていたのだ。

 鍵の壊れたドアを開ける。
 相変わらず我々以外の誰かが目に留めることはなかったらしく、中はあまり変わっていなかった。
 それは長らく誰も訪れていないことを意味していたが、よく見ると幾つか見慣れないものを見つけることもできた。

 定期テストの答案が落ちている。
 到底高校生がやるような内容ではないが、中学時代に不登校だった者の実力を図るには良さそうな問題だ。

 底に一口だけ残った安酒の瓶。
 側に何か食べた跡はなく、どうせ切らした睡眠薬の代わりだろう。全く、屑に限って体が丈夫なのである。

 大きな尻尾が床を擦ったような跡。
 足で埃を払うと、前よりもいくつか増えているように思った。

 みんながこぞって椅子にするので、半分潰れてしまった段ボール。壁のいたずら書きに、忘れ物の消しゴム、教科書、賞味期限切れのお菓子の袋。
 そのどれもが厚く埃を被って、最後に使った場所にそのまま残されている。

 再会が叶わないことは、最初から予想がついていた。私はただ、私が去ったあとも、少なくとも彼らの生活が続いていたことの証を探しにきたのだ。
 だから、今はこれで充分だと思った。

 トートバッグからウィスキーの小瓶を出し、少し埃を払って部屋の真ん中に置く。
 睡眠薬と一緒に飲まないこと、とだけメモを残し、私は小屋をあとにした。

 外に出ると、もう陽が傾きかけていた。
 複雑にうねる高架橋の行先を眺めながら、私は一人で誰もいない道を歩いている。

 友人たちのうちの何人かは、もう苦しみの終着点へと辿り着いてしまっただろうか。
 仮にそうであったとして、私はそれに一抹の寂しさを感じても、嘆きはしない。

 私たちが、交わらない道を歩んでいるとは思わない。
 ただゆっくりと、のびのびと、遅れて同じところへ向かっているだけなのだ。

 私は、ありったけの呪いを撒き散らしてから行こうと思っている。ただ、それだけのことだ。


 夜の電車は混んでいた。
 扉のすぐ横に陣取り、私は小さなPCのエンターキーを押してから、徐々にけたたましくなる街の明かりを眺めている。

 離れ離れになった友人たちを思うとき、その感情を文章にしてしまい込んでいる。
 今はまだローカルフォルダで眠っているだけだけれど、気が向いた時か、死ぬ時にでもどこかへ置いておこうと思っている。

 いつかどこかで、死んでいなければ生きている誰かに気付いてもらえるように。
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