第一章
想定通り、まだ夜明けも迎えていない午前4時半過ぎに目が覚めてしまった。まだ椿姫や小百合さんは起きていないだろうし、いつものようにインスタントのコーヒーはない。布団をかぶったまま、眠い目をこすって机に向かう。
適当に数学の問題集を引っ張り出し、最近解けなかった問題を振り返りながら、夢の内容を思い出す。夢を見るたびに、内容を咀嚼する。
昔に比べれば再現度が落ちたのは明白だ。そして、最後まで見終わらないうちに起きることが増えた。それは夢から無理やり目覚めることになれたからだろうか。それでも、あのシーンだけは絶対夢に見てしまう。それだけ忘れられない出来事だったから当然といえば当然だ。
どこかで電車の通り過ぎる音がする。かすかに葉がこすれる音が聞こえる。夜が明けなくともせわしなく動く存在に耳を傾ける。そして自分以外の起きている存在を探す。
時間が解けていく。まさにそんな言葉通り、数学の問題を解いていると、気が付かないうちに時間が過ぎ去ってしまう。数問解いて、時計を見たら、いつの間にか5時過ぎになっていた。
そろそろ小百合さんが起きる時間だ。この時間から起きているのを見られたら心配をかけてしまうかもしれないので、寝ているふりをしてやり過ごすことにする。とはいっても、何もしないのも暇なので、スマホで単語帳を復習する。
僕の前の部屋からアラームの音がする。少ししてから、扉があき、小百合さんが階段を下りる音がする。二階に戻ってくる気配がなくなると、僕はパソコンを取り出す。きっとそろそろだ。パソコンを取り出して立ち上げると
「ブログにコメントが付きました」
と、一件の通知が現れた。やはり、今日も僕のブログにはコメントが付いたらしい。これまで、なぜかアクセス数の少ない僕のブログには、一件だけコメントが付く。当たり障りのない文章で僕に共感してくれるから、読者がいるんだと実感できる機会でもある。
通知をクリックして、管理画面を開く。通知履歴を見ると、昨日だけコメントが付いていないことを知った。昨日は忙しくて後で返信しようと思っていたのだけれど、そもそもコメントがなかったんだ。
とりあえず今日の朝一のコメントを見る。
「新天地にやさしい人がいてよかったですね。有意義な300万の使い道が見つかりますように by さとちゃん」
名前を見るにいつもの人であることはわかった。名前からは男性なのか女性なのかさえわからないけど、優しい人なのはわかっているので、僕もまじめに返信を考える。
「いつもコメントありがとうございます。本当にやさしい方々で、居候も許していただいたので、本当に良かったです。300万の使い道は自分が最高な選択肢だと思えるものが見つかるまで、じっくり考えていこうと思います。」
多分今回も僕のコメントに対しての返信はないんだろうなぁ。時々この人と話してみたいと思うけれど、一方的にコメントを書き残す以上のことはしてくれない。身近な人だったら逆に怖いような気もする。
ブログのページを閉じると、パソコンを難して、さっきまで解いてた問題集を机に広げた。かなりの歳月同じ問題集を使っているが、先輩たちの問題集のようには使い古した風格が現れない。自分の中では丁寧に使っているからということにしている。
あれからようやく三問目が解けたころに、隣の部屋の扉があく音がした。椿姫が起きたのだろう。昨日の話通り、朝の六時ちょうどに起きているらしい。高校に通っていた頃の僕より早いと思うのだが、女子中学生としては普通の時間だとか。僕にはわからない世界だと実感する。
椿姫が下の階に降りてからすぐに、階段のほうから声がした。
「朝ごはんになるから降りといで」
まだ眠そうな椿姫の声だ。逆の意味で眠い僕も返事をする。
「はーい」
そういうと、問題集を閉じて筆記用具を片付けると部屋を出る。部屋を出るという行為だけで僕にとっては外の世界に出れるような気がしてしまう。実際にはただの廊下なんだけれども。
僕がリビングに入るころには、ちゃんと朝ご飯が用意されていた。トースト一枚に目玉焼きとコーヒー。普通の家庭のものだけれど、僕のこれまでの生活からしたら贅沢なものだ。
僕が席に着くと、三人同時に手を合わせ
「いただきます」
と言って食べ始めた。三人で食べるからなのか、それとも昔の朝の食卓に似ているからなのか。ともかくその朝ご飯は幸せなものに感じた。
朝ごはんを食べ終えると、椿姫の支度にかち合わないように調整しつつ、顔を洗い歯を磨いた。
僕の朝の支度が終わるころに、椿姫はちょうど家を出る時間になっており、セーラー服に学生かばんを持ち、さらにプラスチックのカバンを片手に持って家を出た。玄関からその姿を見ながら、中学生でも荷物が多いんだなぁと思った。
彼女が出て行ってしまうと、家の中は少し重い空気が流れた。居候者と居候元の家の家主。そう思って僕は早々と二階に引き上げてしまおうと思っていたけれど、そうは問屋が卸さないらしい。小百合さんに呼び止められてしまった。
「ちょっと話があるの」
「わかりました」
少し堅苦しい口調で小百合さんに答えた。促されるままにリビングの席に座り、小百合さんと向き合う。朝食と同じ座り方なのに、空気が全然違うように感じた。けれど、小百合さんは気にしていないらしい。
「少し、翔君に伝えておきたいことがあるの」
「なんですか?」
「彼女の、椿姫のお父さんのことなんだけどね」
椿姫のお父さん。いわれるまで全然気が付かなかった言葉を言われて困惑する。けれど、至極当然な言葉だ。お母さんがいるならお父さんもいるはず。
僕の思考を置いて小百合さんは続ける。
「彼女のお父さんはすでに亡くなってるのよ、彼女が中学一年のころかしらね。当時少しはやっていた病気にかかったまま、帰らぬ人になってしまったの。昔からお父さんが好きな子だったから、ふさぎこみがちになったり、少し危ないこともしたらしいのよ。今ではすっかり優等生になったけれどね。」
僕が咀嚼できるようにゆっくりと吐き出される過去には、僕の想像以上の悲しみが込められたいた。登場するべき人物が登場しなかった理由を知った僕は、思いリュックを背負っているよな気分になった。
頭での理解が終わってから、小百合さんのほうを見ると、にやりとした表情で僕を見ていた。先ほどの話の内容から、笑っているのが不気味だった。しかし、小百合さんの考えはこうだった。
「これで椿姫の話をしました。次は翔君の番ですよね?」
彼女の笑みはこれを聞かせてほしいという意味だったのだろうか。少し先ほどの笑みの理由が解けた僕は、少し負けたような気分で語り始める。
「僕は、心臓病を患っています。一応医師からの余命宣告であと一か月ということでした。ですから、頑張っても受験はすでに無理なんですよね。」
昨日話してない秘密の一つを語った。ついでのように話を付け足す。
「僕はこれまで入院生活をしていました。この家からそう遠くない病院でした。余命宣告を受けた次の日に、僕のお父さんがやってきてからの話は昨日話した通りです。」
これで小百合さんの要望に沿えただろうか。これ以上は話したくないので聞かれても答えないつもりだけれど。
「まあ今日のところはこれで許してあげるわ。いつかちゃんと話して頂戴ね」
少し腑に落ちないような表情の小百合さんはそう言い残すと、洗面所のほうに去っていった。いったい彼女には何が見えているんだろうか。
おいていかれた僕は、何もない空間を見つめた後、自分の部屋に戻った。いったい小百合さんはどこまで知っているのだろうか。それに小百合さんという名前、似てるだけでなく聞いたことがあるような気がする。
「それよりも問題を解くぞ」
自分にそう言い聞かせると、朝解いていた問題集をもう一度開いて、続きを解き始めた。
適当に数学の問題集を引っ張り出し、最近解けなかった問題を振り返りながら、夢の内容を思い出す。夢を見るたびに、内容を咀嚼する。
昔に比べれば再現度が落ちたのは明白だ。そして、最後まで見終わらないうちに起きることが増えた。それは夢から無理やり目覚めることになれたからだろうか。それでも、あのシーンだけは絶対夢に見てしまう。それだけ忘れられない出来事だったから当然といえば当然だ。
どこかで電車の通り過ぎる音がする。かすかに葉がこすれる音が聞こえる。夜が明けなくともせわしなく動く存在に耳を傾ける。そして自分以外の起きている存在を探す。
時間が解けていく。まさにそんな言葉通り、数学の問題を解いていると、気が付かないうちに時間が過ぎ去ってしまう。数問解いて、時計を見たら、いつの間にか5時過ぎになっていた。
そろそろ小百合さんが起きる時間だ。この時間から起きているのを見られたら心配をかけてしまうかもしれないので、寝ているふりをしてやり過ごすことにする。とはいっても、何もしないのも暇なので、スマホで単語帳を復習する。
僕の前の部屋からアラームの音がする。少ししてから、扉があき、小百合さんが階段を下りる音がする。二階に戻ってくる気配がなくなると、僕はパソコンを取り出す。きっとそろそろだ。パソコンを取り出して立ち上げると
「ブログにコメントが付きました」
と、一件の通知が現れた。やはり、今日も僕のブログにはコメントが付いたらしい。これまで、なぜかアクセス数の少ない僕のブログには、一件だけコメントが付く。当たり障りのない文章で僕に共感してくれるから、読者がいるんだと実感できる機会でもある。
通知をクリックして、管理画面を開く。通知履歴を見ると、昨日だけコメントが付いていないことを知った。昨日は忙しくて後で返信しようと思っていたのだけれど、そもそもコメントがなかったんだ。
とりあえず今日の朝一のコメントを見る。
「新天地にやさしい人がいてよかったですね。有意義な300万の使い道が見つかりますように by さとちゃん」
名前を見るにいつもの人であることはわかった。名前からは男性なのか女性なのかさえわからないけど、優しい人なのはわかっているので、僕もまじめに返信を考える。
「いつもコメントありがとうございます。本当にやさしい方々で、居候も許していただいたので、本当に良かったです。300万の使い道は自分が最高な選択肢だと思えるものが見つかるまで、じっくり考えていこうと思います。」
多分今回も僕のコメントに対しての返信はないんだろうなぁ。時々この人と話してみたいと思うけれど、一方的にコメントを書き残す以上のことはしてくれない。身近な人だったら逆に怖いような気もする。
ブログのページを閉じると、パソコンを難して、さっきまで解いてた問題集を机に広げた。かなりの歳月同じ問題集を使っているが、先輩たちの問題集のようには使い古した風格が現れない。自分の中では丁寧に使っているからということにしている。
あれからようやく三問目が解けたころに、隣の部屋の扉があく音がした。椿姫が起きたのだろう。昨日の話通り、朝の六時ちょうどに起きているらしい。高校に通っていた頃の僕より早いと思うのだが、女子中学生としては普通の時間だとか。僕にはわからない世界だと実感する。
椿姫が下の階に降りてからすぐに、階段のほうから声がした。
「朝ごはんになるから降りといで」
まだ眠そうな椿姫の声だ。逆の意味で眠い僕も返事をする。
「はーい」
そういうと、問題集を閉じて筆記用具を片付けると部屋を出る。部屋を出るという行為だけで僕にとっては外の世界に出れるような気がしてしまう。実際にはただの廊下なんだけれども。
僕がリビングに入るころには、ちゃんと朝ご飯が用意されていた。トースト一枚に目玉焼きとコーヒー。普通の家庭のものだけれど、僕のこれまでの生活からしたら贅沢なものだ。
僕が席に着くと、三人同時に手を合わせ
「いただきます」
と言って食べ始めた。三人で食べるからなのか、それとも昔の朝の食卓に似ているからなのか。ともかくその朝ご飯は幸せなものに感じた。
朝ごはんを食べ終えると、椿姫の支度にかち合わないように調整しつつ、顔を洗い歯を磨いた。
僕の朝の支度が終わるころに、椿姫はちょうど家を出る時間になっており、セーラー服に学生かばんを持ち、さらにプラスチックのカバンを片手に持って家を出た。玄関からその姿を見ながら、中学生でも荷物が多いんだなぁと思った。
彼女が出て行ってしまうと、家の中は少し重い空気が流れた。居候者と居候元の家の家主。そう思って僕は早々と二階に引き上げてしまおうと思っていたけれど、そうは問屋が卸さないらしい。小百合さんに呼び止められてしまった。
「ちょっと話があるの」
「わかりました」
少し堅苦しい口調で小百合さんに答えた。促されるままにリビングの席に座り、小百合さんと向き合う。朝食と同じ座り方なのに、空気が全然違うように感じた。けれど、小百合さんは気にしていないらしい。
「少し、翔君に伝えておきたいことがあるの」
「なんですか?」
「彼女の、椿姫のお父さんのことなんだけどね」
椿姫のお父さん。いわれるまで全然気が付かなかった言葉を言われて困惑する。けれど、至極当然な言葉だ。お母さんがいるならお父さんもいるはず。
僕の思考を置いて小百合さんは続ける。
「彼女のお父さんはすでに亡くなってるのよ、彼女が中学一年のころかしらね。当時少しはやっていた病気にかかったまま、帰らぬ人になってしまったの。昔からお父さんが好きな子だったから、ふさぎこみがちになったり、少し危ないこともしたらしいのよ。今ではすっかり優等生になったけれどね。」
僕が咀嚼できるようにゆっくりと吐き出される過去には、僕の想像以上の悲しみが込められたいた。登場するべき人物が登場しなかった理由を知った僕は、思いリュックを背負っているよな気分になった。
頭での理解が終わってから、小百合さんのほうを見ると、にやりとした表情で僕を見ていた。先ほどの話の内容から、笑っているのが不気味だった。しかし、小百合さんの考えはこうだった。
「これで椿姫の話をしました。次は翔君の番ですよね?」
彼女の笑みはこれを聞かせてほしいという意味だったのだろうか。少し先ほどの笑みの理由が解けた僕は、少し負けたような気分で語り始める。
「僕は、心臓病を患っています。一応医師からの余命宣告であと一か月ということでした。ですから、頑張っても受験はすでに無理なんですよね。」
昨日話してない秘密の一つを語った。ついでのように話を付け足す。
「僕はこれまで入院生活をしていました。この家からそう遠くない病院でした。余命宣告を受けた次の日に、僕のお父さんがやってきてからの話は昨日話した通りです。」
これで小百合さんの要望に沿えただろうか。これ以上は話したくないので聞かれても答えないつもりだけれど。
「まあ今日のところはこれで許してあげるわ。いつかちゃんと話して頂戴ね」
少し腑に落ちないような表情の小百合さんはそう言い残すと、洗面所のほうに去っていった。いったい彼女には何が見えているんだろうか。
おいていかれた僕は、何もない空間を見つめた後、自分の部屋に戻った。いったい小百合さんはどこまで知っているのだろうか。それに小百合さんという名前、似てるだけでなく聞いたことがあるような気がする。
「それよりも問題を解くぞ」
自分にそう言い聞かせると、朝解いていた問題集をもう一度開いて、続きを解き始めた。