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第三章

 家に帰る道中、少しだけ僕らは収穫を分かち合った。僕が分かったことは、あの家は結局あのままあいつが住んでいるだろうということ、そして、あの家のものはほとんど変わっていなかったこと。椿姫は僕の家と彼女の家が似ていることを話した。

 駅周辺までついたところで、僕は椿姫に一つ聞いた。

「入ってすぐに二階に行ったけど、何かあった?」

 椿姫は少し肩を震わせたようにしてから、

「ちょっと今は...」

 そこまで言うと、口をつぐんでしまった。単なる疑問にすぎなかったから、予想以上の反応にびっくりして、少し椿姫の様子を見守った。僕が注視していることに気が付くと、椿姫は恥ずかしそうに言った。

「あんまり見ないでください。たいしたことないですから。」

 それ以上僕らは話さなかった。今は焦って話をする必要はない。その考えだけが共有されていた。

 家までつくと、まだ小百合さんが帰ってきていないことを確認した。スマホに連絡がないから大丈夫だろうと僕は言ったけど、あの人は疲れて寝ていることも多いですからと言って、念入りに確認していた。

 問題ないことがわかると、僕らは家に入る。やっぱりよく似通った構造の家だ。家に住んでいる人でなければその違いが判らないだろう。

 先に椿姫が手を洗いに行ったので、僕は二階に上がってリュックを床に置いた。そして、スマホで撮った二枚の写真をパソコンに転送しておいた。送信ボタンまで押すと、椿姫が二階に上がってくる音がした。

 交代して僕も手を洗うと、少し椿姫の部屋を確認した。小百合さんがいないから何か話をするならちょうどいいタイミングかなと思ったけど、椿姫は机に向かって勉強しているようなので、扉を閉めると自分の部屋に戻った。

 部屋に戻ると、勉強をする。と見せかけてパソコンを取り出した。どうしてもさっきの紙が気になってしまい、確認しないと勉強にも身が入らないと思ったからだ。

 パソコンを付けて、転送されたファイルを開く。スマホにしては十分な画質で、内容が十分に見れた。その中身を頭を全力で使ってかみ砕いた。

 まず一つ目。養子縁組届出のコピーから分かったことは、
・椿姫が僕の両親のところに養子として入ったこと
・時期としては今年の五月であること
・椿姫の未成年後見人に僕の両親が鳴っていること
の三つが分かった。内容こそ理解できたものの、わからないことだらけだ。

 まずなぜ椿姫が養子としてうちに来たのか。椿姫の話を聞く限り、両親と仲が悪かったり、養子に出すべき状況ではなかったはずだ。むしろ、椿姫は父親の死をもっとも悲しんでいて、自殺しかけたほどの子なのに、わざわざ親から引きはがすだろうか。

 次に、なぜ時期が今年の五月七日。しかも日程を見ると、ちょうど僕が入院を余儀なくさせられた次の日だった。僕の入院であいつも忙しかったはずなのに、なぜ養子を迎えたのか。いやそもそも、僕の両親は離婚したんじゃなかったのか。

 そして、最もわからないことは、僕の両親が椿姫の未成年後見人であることだ。未成年後見人は両親がいないときなどに選ばれる人で、椿姫の状況を見るに選ぶべき状況ではないはずだ。

 そう考えながらも、僕には一つの可能性が頭をよぎっていた。それを考えたらすべてのつじつまが合いそうだけど、考えてしまってはいけないことに思えて、頭からかき消そうとした。

 次に、二枚目の紙、養子縁組に関する契約書だ。その最初の条項を見て、僕はすべてを悟ってしまった。

1.この契約は、矢田部 小百合の死をもってして効力を持つ。

 頭の中で最後の歯車がはまった音がした。心がその歯車の回転を止めようとしても、理性はその制御を無視して思考をつづける。

 小百合さんが五月に亡くなった。そして、椿姫を養子として迎え入れるために、邪魔な僕を家から追い出す口実として強制的に入院させられた。そして、お母さんは椿姫の家に、あいつは今でもあの家に住み続けているんだろう。お母さんが小百合さんとして生活しているから、この家のいろんなものが僕の家と似ていたんだろう。

 それでもいくつかの疑問が僕には残っていた。なぜ小百合さんは、僕の両親に椿姫のことをお願いしたのだろうか。どこかの知り合いで、なおかつ顔立ちや体系が非常に似ていたんだろうとは思う。しかし、他人の空似で娘をだませるのだろうか。少なくともこの情報からではその疑問の答えはわからなかった。

 僕は得られるすべての情報を理解したうえで、大きなジレンマに襲われた。このことは、椿姫には絶対に話してはいけない内容である事は確かだ。それでも、僕は目の前にいるお母さんをお母さんとして認めたかった。

 僕が、小百合さんが自分のお母さんであることを認めてしまえば、椿姫はきっとこの事実に気が付いてしまうだろう。あれだけ賢い中学生なら、朝飯前だろう。そして、彼女はきっともう一度自殺をしようとするかもしれない。今度は失敗しないだろう。

 つまり、大きくいってしまえばこのジレンマは、僕の幸せと椿姫の幸せの比較なんだ。しかも、自分に時間がないことを知ったうえで、選択を迫られている。

 随分長い時間考えていた気がする。現実的にはたった数分で僕は答えを出していた。

 椿姫を優先して、このことは口外しない。それが僕が出した結論だった。

 確かに椿姫は僕にとっては居候させてもらっている家にいる女子中学生に過ぎない。その子と自分を比較して自分を取らないというのは、おかしい選択なのかもしれない、それでも、僕は彼女の幸せのほうが大切であると思ったんだ。

 だから、僕はこのことは見なかったことにし、すべて忘れ去ろうと心に誓った。ただ、今日の夜に一つだけ確認をしたら。そう決めると、僕はスマホから二枚の写真のデータを削除して、椿姫の部屋に向かおうとした。その時

「ただいま」

 玄関の開く音ととともに、小百合さんの帰宅を告げる声がした。自分の部屋に引き返すと、僕は勉強を始めることにした。こんな気分で集中できる科目は、得意科目の数学程度しかなかった。

 ある程度勉強が進んで、少し休憩していたが、いつものお風呂に入る催促が来ないことに疑問を覚えた。どうしたのかと思って、僕は下の階に降りると、小百合さんがリビングの机に突っ伏して寝ていた。その姿を見て何時しかのお母さんと重なる。

 夜勤をしてから帰宅したお母さんは疲れ果てていて、よくこうして突っ伏したまま寝てしまうことが多かった。そんな時は、僕は毛布を掛けてあげたり、ご飯を代わりに作ってあげたこともあった。あの時と同じように、小百合さんにもしてあげよう。

 小百合さんではないことは理解しているものの、心の中でも統一して小百合さんと呼ぶ。それがさっき僕が誓ったことなのだから。

 僕は朝に膝にかけていた毛布を部屋から持ってくると、小百合さんの背中にかけた。少しだけ小百合さんが寝言を言ったような気がしたが、よく聞き取れなかった。なるべく前進があったまるように、毛布の形も整えておいた。

 それから、僕は急いでお風呂を済ませると、夕飯づくりを始めた。お風呂の時間は数少ない休憩時間なのに、今日はゆっくりできなかったことを悔やみながらも、虚のメニューを考えた。

 お母さんが付かれている時に作ってあげあt、鶏肉のトマト煮を作ることにした。意識しないようにしていても、お母さんのことを意識したメニューになってしまう。まあ、ある種お母さんと僕の間の暗号みたいなものだ。

 鳥のもも肉を取り出して食べやすいサイズに切る。ビニール袋に移すと、塩コショウと薄力粉をまぶしておく。ついでに玉ねぎはくし切りにしておく。

 少し時間を置いたら、鶏肉の皮面を鍋で焼く。カリッとした川が好きなので、最後に少し強火で焼くと、裏返して火を軽く入れる。あ次に玉ねぎを入れて炒める、ある程度火が通ったのを確認したらトマト缶とコンソメと水を投入する。そして、じっくりと煮詰める。

 鍋からかおるトマトの香りがたまらなく食欲を誘ってくる。お母さんから教わったレシピなのに、僕のほうがおいしく作れるからと言って、お母さんが作るのをやめてしまったので僕が作るようになった料理だ。この香りをかぐと

「翔?」

 小百合さんが寝ぼけた声を出した。懐かしい光景に、僕は少し泣きだしそうになってしまった。それでも、僕は気が付かないふりをして小百合さんに声をかけた。

「今日は僕が代わりにご飯を作りますよ。今日はトマト煮ですよ」

 小百合さんは起き上がると、毛布を取り払うと言った。

「わざわざかけてくれたのね。ありがとう、翔君」

 小百合さんは毛布をたたんで椅子に置くと、お風呂に向かったらしい。僕はトマト煮の様子を確認しながら、小百合さんを見送った。小百合さんに代わるように、椿姫が下の階に降りてきた音がした。

「あれ、今日は翔さんがご飯を作ってるんですか?」

 キッチンに立つ簿記を見て、疑問を顔に浮かべながら言った。

「小百合さんが寝てたから、代わりに準備してるんだ」

「そうですか」

 いつもならそっけないその言葉だけど、今日はやけに明るく言った。僕の家にまで言って疲れているだろうに、今日の椿姫は少しご機嫌そうだったのが、僕には不思議だった。まあ、何かあったんだろうぐらいにしかわからなかった。

 椿姫はお風呂に向かおうとして、小百合さんが入っているのを確認すると階段のほうに向かった。階段を上るときに、僕の顔をもう一度見るととても緩んだ顔をしていた。僕の表情が何かおかしかったのだろうか。わからないまま、椿姫は過ぎ去ってしまった。

 しばらく煮込むと、だいぶ味がしみただろうと思い火を止めた。ちょうどその時に、小百合さんがお風呂から上がったらしい。小百合さんに負担をかけさせないように、僕は急いで一人でご飯の支度をした。

 全員分のランチョンマットの用意やカトラリーを準備、ご飯とトマト煮をよそると机に並べた。全部が終わったすぐに小百合さんがリビングに戻ってきた。ご飯が用意された机を見ると、懐かしいものを見るような眼をしていった。

「もう準備してくれたんだね、ありがとう」

 そんな小百合さんの言葉にも、僕は泣き出しそうになってしまった。ぐっと涙をこらえて、小百合さんから目を外すと、階段のほうに向かって大きな声を出した。

「椿姫、ご飯になるよ」

 涙を押しとどめて、小百合さんのほうを見るとトマト煮を眺めていた。僕はさっとその姿から目を離してしまった。どうせすぐにご飯になるので、僕も席について椿姫を待つことにした。

 僕が席に着くと、小百合さんは僕のほうに身を乗り出して、何かを言いかけた。しかし、椿姫が階段から降りてくる音が聞こえたためか、その口を閉ざしてしまった。もしかしたらなんて思ったけれど、僕はそれを見て見ぬふりをした。

 椿姫がリビングに来るなり、僕の隣の席に座った。やけにうれしそうな表情をしている椿姫に、小百合さんは声をかけた。

「どうしたの椿姫、そんなうれしそうな顔をして。」

 椿姫はあどけなさを前面に出した声で

「教えない」

 というと、ニコニコしながら席に着いた。三人が席に着いたことを確認すると、僕が最初に合掌した。その様子を見て二人も合掌すると

「いただきます」

 といった。

 三人同時に食べ始める。思った以上にトマト煮がおいしくできたので、満足した。小百合さんの様子を見ると、とても嬉しそうにトマト煮を食べていた。僕は小百合さんの様子に安心していた。

 椿姫は食べ始めた時はとてもおいし章に食べていたけれど、途中から少し世お薄が変わっていた。僕は少し不安に感じて、椿姫に話しかけようとしたら、先手を打たれた。

「お母さん、この料理知ってるの?」

 僕じゃなかったのかと安心した。しかし、小百合さんは少し焦った様子で答えた。

「いや、初めて食べたわよ。ただとてもおいしかったからね」

 その様子を見て僕は察したが、下手に助け舟を出すこともできなかった。椿姫は納得していない様子で

「ふーん」

 というと、トマト煮を食べ始めた。小百合さんは一瞬悩んだような顔をしたが、トマト煮を食べるとすぐにうれしそうな表情に戻った。

 最初こそ雲行きが怪しいかと思ったけれど、今日は珍しくテレビをつけることもせずに、いろんな話をした。椿姫の受験の話や学校の話、僕の勉強の話をした。どの話をしてもとても盛り上がった。そのせいで、全然ご飯が進まなかったけど、今日は勉強のことを忘れて団欒を楽しんだ。こんな生活がずっと続いてくれる、そんな気がした。
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