彼方の光

始まりは、ぼんやりと温かな何かに浸っている感覚だった。
ただひたすらに眠く、まどろみながらそこにいた。
「いい子、いい子」
時折どこからか優しく温かな声が聞こえてきていた。
漠然と、この声は母の声なのだと思った。
そうしているうちに自分の片割れが隣にいることに気づいた。
片割れは自分のように意識があるのかわからなかったが、そんなことはどうでもよかった。
ただ体の真ん中あたりがポカポカするような感覚があった。
自分は片割れにぴたりとくっつくようになった。
そうしていくばくか時が過ぎ、片割れが成長するにつれ己が弱まっていくことに気づいた。
意識が持たないことが多くなった。まどろんでいる時間が長くなった。
いつしか母の声がただのくぐもった音になった。
ただわかるのは片割れが無事に成長していることだけ。
別にかまわなかった。
片割れの呪力だけを感じ、もはや自分の状態もわからなかったが、それでもいいと思った。
ぼんやりと揺蕩う意識。片割れの温かな呪力。段々己が侵食される。
それだけを感じながら深い、深い、二度と覚めぬ眠りに身を任せた。


目を覚ました時、頭に縫い目のある男が見下ろしていた。
どうやら己は何か小さな入れ物に入っているらしい、ということだけは分かった。
ふと片割れのことを思い出したが、すぐそばに気配を感じて安堵した。
男は嫌な笑みを浮かべながら何かを言っていたが、ただひたすらに眠く不快に思いなが
らも眠りについた。
次に目を覚ますと隣に瓶が増えていた。
なぜだかわからないが、ああ弟なのだと思った。
相も変わらず眠たかったが、隣の弟のことは愛しく思った。
目を覚ますたびに弟が増え、母が恋しいと泣けば慰め、寒いと泣けば話をした。
身を貫くような寒さに襲われても、ふわふわとした思考は一向に定まらず、まどろみの中に己はいた。
半ば眠りの中にいる己では弟たちにきちんと話をしてやれているか、と心配だったがどうやら弟たちの様子を見るに大丈夫らしいということは分かった。
うとうととしているときに話しかけられても、己の口からきちんと声がしていた。
何と言っていたかはわからないが、弟たちが喜んでいるのがわかった。
時折、ほんの少しだけだが意識が浮かんでくるような、意識がはっきりとしているようなときがあった。
その時も弟たちと話をしたがほんのわずかに話をして再び眠りについてしまうことが多かった。
何度か深い眠りと覚醒をしているうちに、体の芯が凍えるような冷たさになることがあった。そのたびに弟たちの声は減っていった。
ああ、死んだのだとその時わかった。
己の無力さに歯噛みした。寒いと泣く弟を抱きしめてやれない体なのを嘆いた。
己が温かなまどろみの中にいるさなか、小さな弟たちは冷たい瓶の中で死んでいったのだ。
ついに残った弟は二人だけとなった。
死なせてはいけない。死なせるものか。
己に残った唯一の宝なのだ。これ以上奪わないでくれ。
そう願いながら長い、長い時を過ごした。
襲い来る眠気に抗い、負け、再び目を覚ます。
そう何度も繰り返しているうちに居場所が変わり環境が変わっていた。
それでも己たちには関係なかった。弟たちがいればそれだけでよかった。
それが崩れたのはあの日、人の形をした縫い目のある呪霊に弟たちと共に連れ出されてからだ。
その呪霊は真人と呼ばれていた。
弟たちと共に受肉をし己は人間の体を手に入れた。
しかしそれであってもぼんやりとした意識は変わらなかった。
体は動く、思考もできる、対話もする。
だがどこかそれは自分のものではない感覚もあった。
久しぶりに意識がはっきりとしたときがあったが、真人に「なんか面白い形してる」と言われ腹から胸にかけて撫で上げられた。
ぞわりと背筋が震え、思わず手が出たがそのあとまたすぐに眠ってしまった。
そして何時ものようにまどろんでいると、あの感覚が襲った。
身を貫くような、凍えるような冷たさ。
めぎょ、と何かを握りつぶした感覚があった。
「弟が死んだ」
勝手に口が動いた。
目の前にいる男たちは口々に何か言っているが、気にならなかった。
ぽっかりとした喪失感に襲われた。
そして弟たちを殺したのは虎杖悠二だ、と告げられた時は怒りが沸き上がった。
己の唯一残った宝を奪った、憎い相手。
10月31日まで勝手なことはするなと呪霊たちのいる場所から出しては貰えず、弟たちを失った喪失感と怒りを抱えたまま過ごしていた。
そしてあの日、10月31日に己は再び弟を見つけた。
末の弟は酷く傷ついていた。己の無力さを呪っていた。死に急ぐように呪霊を祓っていた。
どうにか生きてほしくて、できることは何でもした。
末の弟が生きることを望んでいないとしても。
弟の気持ちを優先できないのは兄としてあるまじきことだとわかっていても、そこだけは譲れなかった。もう二度と弟を失いたくはなかった。
そんな中でもまどろみと覚醒を繰り返しているうちに、弟は仲間たちの元へ戻り、己はあの憎い男と対峙した。
九十九という大切仲間を失い、天元を奪われ、己だけが逃がされた。
それから、悠仁の師である五条の封印を解き宿儺との戦いに備えて準備をし、新宿で決戦をした。そうして、己は悠仁を宿儺のフーガから身を挺して守り死んだ。
血を使って繭のように悠仁と共に覆い、呪力も全て回し、使えるものすべてを使った。
身を焼く痛み、高温となって巡る血の熱さを感じていたが、それよりも弟が無事にこの攻撃から守り切るという気持ちの方が勝っていた。
最期に弟と会話をし、小さな心残りもできてしまったが、おおむね己の生きたいように生きることができた。そこには満足していた。まぎれもない本心だった。
あぁ。そうか。
全て己だけの考えではなかったのか。
そうか。うん、思えばおかしなことも多かった。
眠くて、眠くて、寝てばかりいたのに体は動いていた。
半分呪霊だからといえ勝手に動くわけがない。
口は動いているのに、何を言っているのかよくわからないなんてことはない。
まどろみの中で見ていたものも、己を見下ろすようなときがあったじゃないか。
どうして、気が付かなかったのだろう。
どうして、わからなかったのだろう。
どうして、忘れていたのだろう。
己の体だと思っていたものは。
己だと思っていたのは。
母の腹で共に過ごした、大切な片割れじゃないか。
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