彼方の光
「また、すごいことになってるな」
家入祥子は口で遊ばせていたタバコをしまう。
脹相の定期検査を行うために医務室へ訪れた三人をまじまじと見る。
「五条先生から一応二人とも連れてけって言われマシテ」
「一応報告は聞いていたけどね。まあ、こちらとしては検体の情報が増えるから願ったりかなったりだけど」
脹相は検診が始まっていないにもかかわらず既に疲れたような顔をしている。
逆に【脹相】はきょろきょろと医務室の中を興味深げに眺めていた。
「ま、なんにせよやる事はいつもと一緒。脹相はこっち。虎杖は……そっちの脹相のこと見てな。こっちの脹相の検診が終わったら次はそっち」
「うす!」
「……わかった」
脹相はのそのそと紫の衣を脱ぎ中のシャツとズボンという格好で奥の扉へ入っていく。
悠仁は「終わるまでこっちな」と【脹相】を椅子に座らせた。
一応来客用なのだろう、ふかふかのソファーは程よく体が沈み窓から入る暖かな日の光にウトウトとする。
「眠いん?検査そこそこかかるから寝ててもいいんじゃね」
「む……しかし……」
「交代になったら俺起こすし」
「だが、悠仁が起きているのに俺だけ眠るのは」
「いいからいいから」
クッションを渡され体を横にされる。
程よい暖かさと昼食を取った後の満腹感により、数秒後にはスー……と静かな寝息を立てながら夢の中へと旅立った。
「気になる?」
検査をされながら扉の向こうをチラチラと気にする脹相に家入が声をかける。
「そう……だな」
「彼も君なんだろう?少なくとも虎杖に害のあることはしないだろうに」
「……あれは本当に俺なのだろうか」
ぎゅ、と採血のためのゴムが腕に食い込み、アルコールが塗られる。
「気になる事でも?」
針が刺され赤黒い血が出ていくのを眺める。
気にするものではないと、気にしすぎだと言われるかもしれない。
「多分、俺とあいつは少し違う」
「違う?」
「……俺はブラックコーヒーが飲めないが、あいつは飲めた」
「んー……、味覚は変わることもあるんじゃない?」
「昨晩記憶のすり合わせをしたが、あいつはあの日――宿儺に焼かれた日が最後の記憶らしい」
三本目の採血が終わり針が抜かれ、小さな絆創膏……パッチ、というのだったか?が貼られる。
血は止められるから不要だと言っているのだが、律儀に毎回貼られる。
「まあ、一応この後彼も検査する予定だから何かわかるんじゃない?」
「……そうだな」
「とりあえず、まずは君の検査を終わらせないとね。私としては貴重な受肉体を調べるいい機会だからいいんだけど、君あんまり検査好きじゃないだろう?」
「やられる側で好きな奴はいないだろう……」
ため息をつきながら「次はこれ」と言う家入の後に続いた。
「お疲れー」
「あぁ……」
およそ1時間ほど。いつもの検査と同じ様に済んだ。
毎度のことながら終わるとどっと疲れる。謎だ。
【脹相】は閉じていた目を開けると何度か瞬きをして、くあ、と欠伸をした。
何とものんきやつだ。
「終わったのか」
「ああ。次はお前の番だと、家入が」
「わかった」
先ほどまで脹相がいた部屋に【脹相】が入る。
「あ、そういや俺も一緒に行った方がいいんかな。流石に監視中がから離れるわけにはいかんでしょ」
「いや、俺が行こう」
「脹相さっき検査終わったばっかりで、疲れてるでしょ」
「そうだが、また検査するわけでも無いから問題ない」
「そうだろうけどさー」
「悠仁はこの後、伏黒と任務があると話していただろう。今は体力温存しておきなさい」
「このくらいでは体力減らんよ……。でも、あんがと」
なんかあったらすぐ呼んで、というのを聞きながら部屋へ入る。
部屋ではすでに家入によって検査の説明をされたのか、上着を脱いでいた。
「ああ、脹相が来たのか。一応説明するけど、検査内容は君と同じものにプラスでいくつか追加されている。というわけで、とりあえず初めはこっちの検査からするよ」
「わかった」
家入の言う通り、さっき脹相が行われていた検査と同じ内容が行われていた。
さらに初めて脹相が検査を受けた際に行っていたが、今ではやっていない検査も行われた。
「最後は採血」
【脹相】は袖を捲られゴムを巻かれグ、パとしている。
「三本分取るから、いいって言うまで動かさないように」
「……俺を何だと思ってるんだ、そんなことはしない」
初めて採血をしたときと同じセリフに、やはり家入は俺のことを子供だと思っているのでは、という疑念が浮上した。採血パッチが可愛い柄の時があるが、まさかな。
「……はい、終わり。お疲れ」
思考が明後日の方へ飛んでいるうちに終わったようで【脹相】は服を直していた。
「検査結果が出るまでは少しかかるから、出たらまた呼ぶよ。脹相は分かっていると思うけど、今日は安静に。任務も入れてないだろうね?」
「ああ、伊地知にも今日のことは伝えてある」
「ならよし」
【脹相】はそのやり取りに首をかしげる。
「なぜ検査の日は任務を入れてはいけないんだ」
「一応、採血とか色々しているからね。いくら呪力で血が増やせたりするからといって、なんかあってからじゃ遅い。あと、検査が原因で任務でヘマしました、なんて言われるのも嫌だからね」
「流石にそんなことは言わないと思うが」
「だから一応だよ、一応。相手が人間だろうがそうじゃなかろうが関係ないよ。検査の日は誰でも任務休みにするように五条にも補助監督にも調整するようにさせてる」
「そうか……」
検査部屋を出ると、家入は煙草をくわえる。
「ふー……。結果が出たら五条か誰かからまた連絡行くだろうから、そうしたらまた来な」
そう言われ医務室を後にした。
昼食をとったのち、任務へ向かう悠仁を見送った。
食堂に二人。
奇しくも手元には昨日と同じようにコーヒーが置かれている。
真っ黒な表面が反射して自分の顔が映りこむ。
ちらりと正面を見ると、何でもないような顔をして【脹相】がコーヒーをすすっている。
視線を手元に戻し、意を決してコーヒーを口に含んだ。
「っ」
冷ましたりなかった熱湯が舌を焼く。
しかも勢いよく口に含んでしまったため、ゴグリと喉を鳴らして熱い塊が臓腑へ落ちる。
「ん、ぐっ、げほっこほっ」
「大丈夫か」
【脹相】が零れたコーヒーを拭きながら心配そうに聞いた。
咽てままならない呼吸、ビリビリと痛む舌。
挙句の果てに仮にも自分と同じ存在に心配される。
情けなさと、心臓が重くなるような得体のしれないもやもやとした感覚に涙がにじむ。
きっとこれが完全な赤の他人だったらこんな思いはしないのだろうな、とどこか切り離された思考で考える。
「急いで飲むからだ。誰も取らない」
もやもやする。イライラする。情けない。俺もこいつも同じなのに。なんで。俺はお兄ちゃんなのに。どうして同じなのにこいつだけ。どうして俺は。ずるい。俺だって!
「わ、」
……悠仁はこんな不出来な兄より、余裕のあるこいつみたいな兄の方がいいと思うだろうか。
「……かっ、てる」
ふいに浮かんだ考えに、苛立ちをぶつけたくなる感覚が急激に削がれだんだんと声が小さくなる。
俯くとコーヒーカップの中に情けない顔の自分がいる。
脹相はぎゅ、と唇をかんだ。
「……すまない、何か気に障る事でもしてしまったか」
「いや……」
【脹相】は何も悪くない。
頭ではわかっている。だから先ほどの自分の行動が情けなく、恥ずかしい。
冷静でいようとも、いられない。羂索との戦いでも頭に血がのぼってしまうことはあっ
たが、ここまでではなかった。これでは子供の癇癪だ。
「……」
「……」
沈黙が続く。
湯気の立っていたコーヒーは何時しかぬるくなり、舌はびりびりとした痛みからジクジクとした痛みへ変わっていた。
顔をあげたくなくてコーヒーの表面をただ眺めた。
時計の針の音がいやなほど大きく聞こえる気がする。
コチコチと刻むたびに沈黙が重くのしかかる。
いっそのことここから逃げ出したいと思い始めたころ入口から声が飛んできた。
「なんだ、この重っ苦しい空気は」
「真希か」
任務終わりなのだろう、荷物を片手に入口からこちらを除いていた。
「あぁ?なんで脹相が色違いで増えてんだよ……お前双子の兄弟もいたのか?」
「いや、こいつは……」
かくかくしかじかまるまるうまうま。
「なんだ、てっきりまた虎杖の兄弟が増えたのかと思ったぜ」
「まあ、増えたは増えたな」
真希がテーブルの、所謂誕生日席と言われる場所に座って二人を見た。
「しかしものの見事に色違い……、反転してるんだっけか」
じぃと見つめられて【脹相】は少し居心地悪そうに視線を泳がせた。
「ああ。違うのは見た目の色だけで呪力や身体的なものは同じだ」
「精神面でも特に乖離はない、と言われているな。乖離もなにもお兄ちゃんであることに変わりはないのだが……」
カチ、とカップにティースプーンがあたり薄茶色の雫が落ちる。
「そもそも壊相や血塗、悠仁が俺の兄弟であることがわかるように、こいつが俺だということは血でわかっている」
「ああ。それはこちらも同じだ」
「ほおん、便利だな」
「……いい事ばかりでもないがな」
壊相と血塗、そして渋谷で悠仁と戦ったときのことを思い出し呟いた。
ミルクと砂糖を入れたコーヒーは苦みが抑えられ、飲みやすくはなったもののじんわりと口の奥に残る苦みにはまだ慣れず眉を寄せた。
「ん」
「……いらん」
席を外して数秒、スティクシュガーを二本おかれた。
「我慢せずに入れたらいい」
「我慢なんてしていない」
「そんな顔してるのにか?」
「どんな顔だ」
「眉間のしわがすごいぞ」
「余計なお世話だ。お前こそ使ったらどうだ」
「俺は一本あれば十分だ。なくても問題はない」
「俺も大丈夫だ」
「……強情」
「うるさい」
ズイズイとシュガーが右へ左へ行ったり来たり。
それを眺めながら。
「いや……やっぱり兄弟じゃね?」
同一人物のやり取りではないだろ、とどこかで見たような実際にやったことのあるようなやり取りを見て呟いた。
***
「結論から言うと、お前たちは一卵性双生児だな」
「「「は???」」」
検査結果が出たから医務室へ来るように、と連絡が来て開口一番がこれであった。
「この前の検査結果で、一応DNA鑑定もすると話していただろう。呪霊の攻撃でそうなった可能性がある以上、同一人物だと本人たちが認識していても知らないところで何か異なる部分がある可能性もなくはないからな」
キィと椅子を回転させ、パソコンに映った資料を見せられる。
「DNAの一致率だ。99.99%。同一人物からとれるDNAも100%にはならないだろうけど、普段の言動も合わせると、同一人物と言うよりは双子の方が当てはまると思うぞ。絶対に、とはいえないがな。これに関しては例外もある。DNA関係でいうとキメラ細胞とかな」
「センセー、キメラ細胞って何?」
悠仁が質問、と手をあげて聞く。
「ん、そうだな。基本ひとりの人間のDNA情報は1つだけだ。当たり前だな。だが中には2つのDNA情報をもって生まれてくる人間もいる。過去にあった事例ではキメラ細胞を持っていると知らない母親が、自分が腹を痛めて産んだ子供なのに親子関係が否定されてしまい裁判沙汰になったとか」
「え!自分で産んだのに、母親じゃないっていわれんの!?酷くない!?」
「まあ、最初調べたところとは別ところのDNAを採取して調べなおしたら無事に親子関係を認められたらしい。詳しくは調べたら出てくると思うよ。他にもいくつかあるらしい」
「へー」
「そのキメラ細胞とやらはいい。俺とこいつが双子だと?」
脹相が【脹相】を指さしながら家入へ問う。
「少なくともこのデータを見る感じはね。専門家じゃないからそう詳しいことは口にできないけど」
「だがこいつは俺と同じ記憶を持っていた」
呆然としていた【脹相】もはっとして頷く。
「そ、そうだ。初日の夜に記憶に齟齬が無いか確認した際、間違いなく記憶は一致していた。念のため自分しか知らないことも確認したが、そこも一致していたぞ」
そう言われてもねぇ、と家入は煙草をプラプラと上下に動かす。
「それに、」
小さいが震えた声に視線が【脹相】へ向く。
「俺が脹相でないのならこの記憶は何だ?……俺は、誰なんだ?」
褐色の肌であってもわかるほど血の気の引いた顔に脹相はぎょっとする。
「っ、おい」
カクンと崩れた体を慌てて支える。
触れた指先は驚くほど冷たく小さく震えていた。
「すまん、それほどショックを受けるとは思わなかった」
家入がこっちに座らせな、とカーテンを開けベットに先導する。
【脹相】は未だ呆然としながらふらふらと座り込んだ。
悠仁は心配そうに見ながらええっと、と話を切り出す。
「記憶は脹相と同じなんだよね?」
「ああ、さっきも言ったが初日に確認済みだ」
「ならさ、もう一回ここで確認してみたら?俺たちも一緒だったら、なんか違和感あるところとか見つかるかもしらないしさ」
「だが……」
「いいから!とりあえずやってみよ!」
ね、と言う悠仁からの提案を断るはずもなく、【脹相】もうなずいていた。
「とりあえずどこから覚えているかの確認?というか、どこから確認したの?」
「確認したのは封印されているときのことと、受肉した後のことだな」
悠仁は脹相へ聞いた。
「じゃー、もっかいそこの確認から?」
「そう、だな……」
【脹相】は悠仁に一度視線を向けた後、うろ、と視線を右上に彷徨わせながらぽつぽつ語り始めた。
脹相はその一つ一つに相槌を打ちながら答えていった。
「やはりおかしなところはないように思うが……」
「うーん、あと確認してないのは……」
「あまり思い出したくないかもしれないが、封印される前とかか?」
家入に言われて【脹相】は「封印前、か」と呟いた。
まだ弟たちがいない頃。忌々しいあの男の顔。母の悲痛な声。温かな母の中。
―――己のそばにある、自分のものではない呪力。
「……あ?」
思考が停止する。
自分のものではない、呪力?
パチン、と頭の中で弾ける様な感覚がした。
突如【脹相】の脳内に溢れた、忘却されていた記憶。
家入祥子は口で遊ばせていたタバコをしまう。
脹相の定期検査を行うために医務室へ訪れた三人をまじまじと見る。
「五条先生から一応二人とも連れてけって言われマシテ」
「一応報告は聞いていたけどね。まあ、こちらとしては検体の情報が増えるから願ったりかなったりだけど」
脹相は検診が始まっていないにもかかわらず既に疲れたような顔をしている。
逆に【脹相】はきょろきょろと医務室の中を興味深げに眺めていた。
「ま、なんにせよやる事はいつもと一緒。脹相はこっち。虎杖は……そっちの脹相のこと見てな。こっちの脹相の検診が終わったら次はそっち」
「うす!」
「……わかった」
脹相はのそのそと紫の衣を脱ぎ中のシャツとズボンという格好で奥の扉へ入っていく。
悠仁は「終わるまでこっちな」と【脹相】を椅子に座らせた。
一応来客用なのだろう、ふかふかのソファーは程よく体が沈み窓から入る暖かな日の光にウトウトとする。
「眠いん?検査そこそこかかるから寝ててもいいんじゃね」
「む……しかし……」
「交代になったら俺起こすし」
「だが、悠仁が起きているのに俺だけ眠るのは」
「いいからいいから」
クッションを渡され体を横にされる。
程よい暖かさと昼食を取った後の満腹感により、数秒後にはスー……と静かな寝息を立てながら夢の中へと旅立った。
「気になる?」
検査をされながら扉の向こうをチラチラと気にする脹相に家入が声をかける。
「そう……だな」
「彼も君なんだろう?少なくとも虎杖に害のあることはしないだろうに」
「……あれは本当に俺なのだろうか」
ぎゅ、と採血のためのゴムが腕に食い込み、アルコールが塗られる。
「気になる事でも?」
針が刺され赤黒い血が出ていくのを眺める。
気にするものではないと、気にしすぎだと言われるかもしれない。
「多分、俺とあいつは少し違う」
「違う?」
「……俺はブラックコーヒーが飲めないが、あいつは飲めた」
「んー……、味覚は変わることもあるんじゃない?」
「昨晩記憶のすり合わせをしたが、あいつはあの日――宿儺に焼かれた日が最後の記憶らしい」
三本目の採血が終わり針が抜かれ、小さな絆創膏……パッチ、というのだったか?が貼られる。
血は止められるから不要だと言っているのだが、律儀に毎回貼られる。
「まあ、一応この後彼も検査する予定だから何かわかるんじゃない?」
「……そうだな」
「とりあえず、まずは君の検査を終わらせないとね。私としては貴重な受肉体を調べるいい機会だからいいんだけど、君あんまり検査好きじゃないだろう?」
「やられる側で好きな奴はいないだろう……」
ため息をつきながら「次はこれ」と言う家入の後に続いた。
「お疲れー」
「あぁ……」
およそ1時間ほど。いつもの検査と同じ様に済んだ。
毎度のことながら終わるとどっと疲れる。謎だ。
【脹相】は閉じていた目を開けると何度か瞬きをして、くあ、と欠伸をした。
何とものんきやつだ。
「終わったのか」
「ああ。次はお前の番だと、家入が」
「わかった」
先ほどまで脹相がいた部屋に【脹相】が入る。
「あ、そういや俺も一緒に行った方がいいんかな。流石に監視中がから離れるわけにはいかんでしょ」
「いや、俺が行こう」
「脹相さっき検査終わったばっかりで、疲れてるでしょ」
「そうだが、また検査するわけでも無いから問題ない」
「そうだろうけどさー」
「悠仁はこの後、伏黒と任務があると話していただろう。今は体力温存しておきなさい」
「このくらいでは体力減らんよ……。でも、あんがと」
なんかあったらすぐ呼んで、というのを聞きながら部屋へ入る。
部屋ではすでに家入によって検査の説明をされたのか、上着を脱いでいた。
「ああ、脹相が来たのか。一応説明するけど、検査内容は君と同じものにプラスでいくつか追加されている。というわけで、とりあえず初めはこっちの検査からするよ」
「わかった」
家入の言う通り、さっき脹相が行われていた検査と同じ内容が行われていた。
さらに初めて脹相が検査を受けた際に行っていたが、今ではやっていない検査も行われた。
「最後は採血」
【脹相】は袖を捲られゴムを巻かれグ、パとしている。
「三本分取るから、いいって言うまで動かさないように」
「……俺を何だと思ってるんだ、そんなことはしない」
初めて採血をしたときと同じセリフに、やはり家入は俺のことを子供だと思っているのでは、という疑念が浮上した。採血パッチが可愛い柄の時があるが、まさかな。
「……はい、終わり。お疲れ」
思考が明後日の方へ飛んでいるうちに終わったようで【脹相】は服を直していた。
「検査結果が出るまでは少しかかるから、出たらまた呼ぶよ。脹相は分かっていると思うけど、今日は安静に。任務も入れてないだろうね?」
「ああ、伊地知にも今日のことは伝えてある」
「ならよし」
【脹相】はそのやり取りに首をかしげる。
「なぜ検査の日は任務を入れてはいけないんだ」
「一応、採血とか色々しているからね。いくら呪力で血が増やせたりするからといって、なんかあってからじゃ遅い。あと、検査が原因で任務でヘマしました、なんて言われるのも嫌だからね」
「流石にそんなことは言わないと思うが」
「だから一応だよ、一応。相手が人間だろうがそうじゃなかろうが関係ないよ。検査の日は誰でも任務休みにするように五条にも補助監督にも調整するようにさせてる」
「そうか……」
検査部屋を出ると、家入は煙草をくわえる。
「ふー……。結果が出たら五条か誰かからまた連絡行くだろうから、そうしたらまた来な」
そう言われ医務室を後にした。
昼食をとったのち、任務へ向かう悠仁を見送った。
食堂に二人。
奇しくも手元には昨日と同じようにコーヒーが置かれている。
真っ黒な表面が反射して自分の顔が映りこむ。
ちらりと正面を見ると、何でもないような顔をして【脹相】がコーヒーをすすっている。
視線を手元に戻し、意を決してコーヒーを口に含んだ。
「っ」
冷ましたりなかった熱湯が舌を焼く。
しかも勢いよく口に含んでしまったため、ゴグリと喉を鳴らして熱い塊が臓腑へ落ちる。
「ん、ぐっ、げほっこほっ」
「大丈夫か」
【脹相】が零れたコーヒーを拭きながら心配そうに聞いた。
咽てままならない呼吸、ビリビリと痛む舌。
挙句の果てに仮にも自分と同じ存在に心配される。
情けなさと、心臓が重くなるような得体のしれないもやもやとした感覚に涙がにじむ。
きっとこれが完全な赤の他人だったらこんな思いはしないのだろうな、とどこか切り離された思考で考える。
「急いで飲むからだ。誰も取らない」
もやもやする。イライラする。情けない。俺もこいつも同じなのに。なんで。俺はお兄ちゃんなのに。どうして同じなのにこいつだけ。どうして俺は。ずるい。俺だって!
「わ、」
……悠仁はこんな不出来な兄より、余裕のあるこいつみたいな兄の方がいいと思うだろうか。
「……かっ、てる」
ふいに浮かんだ考えに、苛立ちをぶつけたくなる感覚が急激に削がれだんだんと声が小さくなる。
俯くとコーヒーカップの中に情けない顔の自分がいる。
脹相はぎゅ、と唇をかんだ。
「……すまない、何か気に障る事でもしてしまったか」
「いや……」
【脹相】は何も悪くない。
頭ではわかっている。だから先ほどの自分の行動が情けなく、恥ずかしい。
冷静でいようとも、いられない。羂索との戦いでも頭に血がのぼってしまうことはあっ
たが、ここまでではなかった。これでは子供の癇癪だ。
「……」
「……」
沈黙が続く。
湯気の立っていたコーヒーは何時しかぬるくなり、舌はびりびりとした痛みからジクジクとした痛みへ変わっていた。
顔をあげたくなくてコーヒーの表面をただ眺めた。
時計の針の音がいやなほど大きく聞こえる気がする。
コチコチと刻むたびに沈黙が重くのしかかる。
いっそのことここから逃げ出したいと思い始めたころ入口から声が飛んできた。
「なんだ、この重っ苦しい空気は」
「真希か」
任務終わりなのだろう、荷物を片手に入口からこちらを除いていた。
「あぁ?なんで脹相が色違いで増えてんだよ……お前双子の兄弟もいたのか?」
「いや、こいつは……」
かくかくしかじかまるまるうまうま。
「なんだ、てっきりまた虎杖の兄弟が増えたのかと思ったぜ」
「まあ、増えたは増えたな」
真希がテーブルの、所謂誕生日席と言われる場所に座って二人を見た。
「しかしものの見事に色違い……、反転してるんだっけか」
じぃと見つめられて【脹相】は少し居心地悪そうに視線を泳がせた。
「ああ。違うのは見た目の色だけで呪力や身体的なものは同じだ」
「精神面でも特に乖離はない、と言われているな。乖離もなにもお兄ちゃんであることに変わりはないのだが……」
カチ、とカップにティースプーンがあたり薄茶色の雫が落ちる。
「そもそも壊相や血塗、悠仁が俺の兄弟であることがわかるように、こいつが俺だということは血でわかっている」
「ああ。それはこちらも同じだ」
「ほおん、便利だな」
「……いい事ばかりでもないがな」
壊相と血塗、そして渋谷で悠仁と戦ったときのことを思い出し呟いた。
ミルクと砂糖を入れたコーヒーは苦みが抑えられ、飲みやすくはなったもののじんわりと口の奥に残る苦みにはまだ慣れず眉を寄せた。
「ん」
「……いらん」
席を外して数秒、スティクシュガーを二本おかれた。
「我慢せずに入れたらいい」
「我慢なんてしていない」
「そんな顔してるのにか?」
「どんな顔だ」
「眉間のしわがすごいぞ」
「余計なお世話だ。お前こそ使ったらどうだ」
「俺は一本あれば十分だ。なくても問題はない」
「俺も大丈夫だ」
「……強情」
「うるさい」
ズイズイとシュガーが右へ左へ行ったり来たり。
それを眺めながら。
「いや……やっぱり兄弟じゃね?」
同一人物のやり取りではないだろ、とどこかで見たような実際にやったことのあるようなやり取りを見て呟いた。
***
「結論から言うと、お前たちは一卵性双生児だな」
「「「は???」」」
検査結果が出たから医務室へ来るように、と連絡が来て開口一番がこれであった。
「この前の検査結果で、一応DNA鑑定もすると話していただろう。呪霊の攻撃でそうなった可能性がある以上、同一人物だと本人たちが認識していても知らないところで何か異なる部分がある可能性もなくはないからな」
キィと椅子を回転させ、パソコンに映った資料を見せられる。
「DNAの一致率だ。99.99%。同一人物からとれるDNAも100%にはならないだろうけど、普段の言動も合わせると、同一人物と言うよりは双子の方が当てはまると思うぞ。絶対に、とはいえないがな。これに関しては例外もある。DNA関係でいうとキメラ細胞とかな」
「センセー、キメラ細胞って何?」
悠仁が質問、と手をあげて聞く。
「ん、そうだな。基本ひとりの人間のDNA情報は1つだけだ。当たり前だな。だが中には2つのDNA情報をもって生まれてくる人間もいる。過去にあった事例ではキメラ細胞を持っていると知らない母親が、自分が腹を痛めて産んだ子供なのに親子関係が否定されてしまい裁判沙汰になったとか」
「え!自分で産んだのに、母親じゃないっていわれんの!?酷くない!?」
「まあ、最初調べたところとは別ところのDNAを採取して調べなおしたら無事に親子関係を認められたらしい。詳しくは調べたら出てくると思うよ。他にもいくつかあるらしい」
「へー」
「そのキメラ細胞とやらはいい。俺とこいつが双子だと?」
脹相が【脹相】を指さしながら家入へ問う。
「少なくともこのデータを見る感じはね。専門家じゃないからそう詳しいことは口にできないけど」
「だがこいつは俺と同じ記憶を持っていた」
呆然としていた【脹相】もはっとして頷く。
「そ、そうだ。初日の夜に記憶に齟齬が無いか確認した際、間違いなく記憶は一致していた。念のため自分しか知らないことも確認したが、そこも一致していたぞ」
そう言われてもねぇ、と家入は煙草をプラプラと上下に動かす。
「それに、」
小さいが震えた声に視線が【脹相】へ向く。
「俺が脹相でないのならこの記憶は何だ?……俺は、誰なんだ?」
褐色の肌であってもわかるほど血の気の引いた顔に脹相はぎょっとする。
「っ、おい」
カクンと崩れた体を慌てて支える。
触れた指先は驚くほど冷たく小さく震えていた。
「すまん、それほどショックを受けるとは思わなかった」
家入がこっちに座らせな、とカーテンを開けベットに先導する。
【脹相】は未だ呆然としながらふらふらと座り込んだ。
悠仁は心配そうに見ながらええっと、と話を切り出す。
「記憶は脹相と同じなんだよね?」
「ああ、さっきも言ったが初日に確認済みだ」
「ならさ、もう一回ここで確認してみたら?俺たちも一緒だったら、なんか違和感あるところとか見つかるかもしらないしさ」
「だが……」
「いいから!とりあえずやってみよ!」
ね、と言う悠仁からの提案を断るはずもなく、【脹相】もうなずいていた。
「とりあえずどこから覚えているかの確認?というか、どこから確認したの?」
「確認したのは封印されているときのことと、受肉した後のことだな」
悠仁は脹相へ聞いた。
「じゃー、もっかいそこの確認から?」
「そう、だな……」
【脹相】は悠仁に一度視線を向けた後、うろ、と視線を右上に彷徨わせながらぽつぽつ語り始めた。
脹相はその一つ一つに相槌を打ちながら答えていった。
「やはりおかしなところはないように思うが……」
「うーん、あと確認してないのは……」
「あまり思い出したくないかもしれないが、封印される前とかか?」
家入に言われて【脹相】は「封印前、か」と呟いた。
まだ弟たちがいない頃。忌々しいあの男の顔。母の悲痛な声。温かな母の中。
―――己のそばにある、自分のものではない呪力。
「……あ?」
思考が停止する。
自分のものではない、呪力?
パチン、と頭の中で弾ける様な感覚がした。
突如【脹相】の脳内に溢れた、忘却されていた記憶。