彼方の光

砂利を踏みしめる音だけが鳴る。
【脹相】が散歩をしたいと言い部屋を出てからずっと無言で歩いている。
白いツインテールをひょこひょこと揺らしながら、道端に咲いている花を見たり、木に登っているリスを興味深そうに眺めていた。
脹相も最初は後を追っていたが、途中からは同じように花を見たりリスを見ていたりしたため、傍から見れば完全に双子だ。
【脹相】と一緒にいて気づいたことがあった。
「これは何だ?」
「あれは?」
脹相自身も色々と覚え始めたのは最近ではあるが、この【脹相】は以前の自分のように知らないことが多かった。
「お前は、知らないことが多いのだな」
仮に模倣をされているならば知識も全て模倣されていると思っていたが、違うらしい。
「一応受肉体の知識はある。が、それ以外はあまり。必要ではなかったからな」
お前もそうだったろう、と目線を寄こされる。
「そうだったな」
悠仁と過ごした渋谷での一週間を思い出しながら答えた。
確かにあの時は受肉体の知識と、必要だと思った情報以外は切り捨てていた。今の自分には不要だと思ったからだ。
あの戦いが終わった今だからこそ、こうしてあれは何だ、これは何だと知りたい物が増えた。
悠仁からスマホの使い方を教えてもらい知りたいことが調べられるようになった。伊地知からおすすめの本や図書館の使い方を教えてもらったりもした。
悠仁はインターネットには嘘も書いてあるから鵜吞みにするな、とも言われたが流石にそこまでじゃない……と、思う。
知ることが楽しい。わからないままでも今まで問題はなかった。
「お前は色々知っているんだな」
「悠仁や伊地知……、他にも親切なもの達が世話を焼いてくれているからな」
「そうか」
「知らないことを知ると、悠仁と同じ景色が見えている気がして嬉しい」
「確かに」
「他の弟たちへの土産話もできる」
「そうだな」
ザァァと音を立てて枝が揺れる。
雨のように桜が降る。
ピィチチチと鳥のさえずりが聞こえた。
あぁ、本当。
「夢を見ているみたいだ」
【脹相】が呟いた。
心を読まれたのかと思った。
「あの時身を焼かれた熱さ、痛みを忘れたわけではない。死にたいわけではなかった。叶うのならばあの子の隣でその未来を見てみたかった。そう思っていた。……だが」
髪をたなびかせながら腕を撫でた。
「俺の記憶はあの時で止まっている」
【脹相】と脹相の視線が交わる。
「俺は呪胎九相図一番、脹相。虎杖悠仁の兄。弟たちと共に受肉し悠仁と殺し合い、共に過ごし、そしてあの日この体は燃え尽きた。……これが俺の全てだ」
ふぅ、と息をつく。
「もしかしたら俺はすでに死んでいて、これは悠仁と未来を生きたいと思っていたために見ている夢なのかもしれない。この姿も」
脹相の白い肌とは異なる、褐色の手をかざす。
「こんがりと焼かれたから……なんてな」
「……笑えん冗談だ」
「半分は冗談だ」
「おい」
クツクツと【脹相】がのどを鳴らす。 
半分は冗談じゃないのかと半眼で見る。
「だが命を懸けた縛りをしたのに、こうしてここにいるのはなぜなのだろうな」
かざした手をぐ、ぱ、と開閉する。
「縛りを課した術は間違いなく発動した。その時点で縛りは発動する。この命は尽きた、はずだ。俺も……お前も」
「それは」
その後に言葉を続けられず口をつぐむ。
縛りは課した。間違いない。術も発動した。それも間違いない。ならばあの時死んでいたはずだ。でも生きている。
「それは……」
わからない。なぜ生きているのか。そもそも本当に生きているのか。
こいつの言ったように、本当は死んでいて、ここは都合のいい夢なのではないか。
正直考えたことがないわけでは、ない。
悠仁と冬を越し、春を迎え、悠仁の誕生日を祝った。そうしたかった。悠仁の隣を許されていたい。そんな願いが、未練がこの世界。
いつの間にか足元にいた小鳥が脹相を見上げていた。
「……すまん」
チィチチ、と鳴いて飛び立つ。
砂を踏む音と共に視界にブーツが入ってくる。
「今のは俺の方の……いや、俺の憶測だ。……ここは、現実だ」
「なぜ、」
そうだと言い切れる?
全て言い切る前に、ぐにぃと頬を引っ張られた。
「いひゃい!あにふる!?」
「痛いなら夢じゃないな」
ふっと静かに笑った。
手を離され、頬を抑える。
「別にお前を責めたいわけではなかった。単純な疑問だ。気にするな」
「……だが」
「あとお前を泣かせて悠仁に叱られるのは嫌だ」
「誰が泣くか!」
「九十九や輝羅羅の前では泣いただろう」
「ぐぬぬ……っ」
はぁーやれやれ、と言わんばかりに肩をすくめられた。
お前も同じだろうが!と言う前に【脹相】が踵を返す。
「散歩は気が済んだ。次はあれだ、悠仁が話していたラーメンが食べたい。食堂か?」
「あ、おい、待て!先に行くな!」

***

ラーメンを食べて、次はアレを見たいコレをしたいとまるで子供のようにはしゃぐ様子を見ていると弟のことを思い出す。
壊相は興味があっても表面上は落ち着いた体で、しかし目を輝かせていた。
血塗は興味のあるものへは真っ直ぐ一直線だった。
悠仁は……血塗のように素直と思いきや、壊相のように興味がないふりをすることもある。
そうするとこいつは血塗っぽさがあるのだろうか。
こいつは自分と同じ存在だと言っている癖に、同じ体に呪力を持っているが、どうにも自分本人と言われると引っ掛かる言動だ。
それとも悠仁からすれば俺もこんな風だったのだろうか。
「あれ、脹相たちじゃん」
「悠仁か、報告書は終わったのか?」
「ん、提出してきた!脹相は?」
「いや、まだだ。さっきまでこいつと外を歩いてきた」
「そうなん?」
悠仁が【脹相】に顔を向ける。
「ああ。初めて見るものも多くて、なかなかに楽しかった。さっきも以前悠仁が話していたラーメンを食べたぞ。美味かった」
「ここのラーメンも美味いよな。でも店で食べるラーメンはまた違う美味さがあるんだよなぁ……あとで3人で行こうぜ!」
「そうだな」
「ラーメンの話してたら食いたくなってきた……。あ、二人はこの後用事ある?」
「いや……」
【脹相】はちらりと脹相に視線をやる。
「いや、報告書を出すくらいだがすぐ終わる。しばらくここにいても問題はないぞ」
悠仁は「そっか。あ、ちょっと飯貰ってくる!」と言って離れた。
数分後、食事をもって脹相の隣に座る。
脹相と【脹相】は向かい合っていたため対面するような形だった。
悠仁はラーメンと炒飯、餃子の乗った盆からマグカップをテーブルへ移した。
「ほい、食後のコーヒー」
「む、すまない。ありがとう悠仁」
「砂糖とミルクはこれな。あ、追加は言えばくれるって」
悠仁はポーションミルクとスティクシュガーを二本、脹相に渡す。
「そっちの【脹相】も。コーヒー大丈夫そ?」
「初めて飲むが……、この香りはいいな。嫌いじゃない」
「いいよな、コーヒーの匂い。こう、大人って感じがする」
【脹相】はスンスンとコーヒーの香りを嗅いでは、ほぅと息をついていた。
脹相はそれを横目にコーヒーに砂糖もミルクも入れずにくぴ、と一口飲む。
瞬間口の中に広がる苦みに「ミ゛ッ……」と小さく呻き、髪の毛の先までビビビッと震える。
口の中の水分が無くなるような感覚に、水を飲みたくなったが悠仁にお兄ちゃんなのにブラックコーヒーが飲めないと思われたくなくて、そのままチピチピとコーヒーをすすった。
「脹相ー、砂糖とミルク入れたら?」
「……大丈夫だ、お兄ちゃんだからブラックも飲める」
「いや、すごい顔してんじゃん……」
「も、問題ない」
【脹相】もその様子を横目に少しだけコーヒーをすする。 
ビビッと毛先まで震え目をぱちくりとする。
「なんというか、えぐみがあるというか、苦いな」
「無理しないで砂糖とミルク入れていいかんね?」
「ああ。……でもこれはこれで癖になりそうだ」
これはあとで入れる、と砂糖とミルクを貰いつつもくぴくぴとブラックのまま飲むのを見て脹相は唖然とする。
その顔には「俺は飲めないのに!?」というのがでかでかと書いてある。
「甘いのもいいな、好きだ。飲みやすい」
「俺も!目覚ましにはブラックの方が利く気がするけど、甘いのもいいよな」
脹相は二人のホンワカした雰囲気に、チクリと胸が痛んだ気がした。
あいつも俺のくせに。お兄ちゃんのくせに。悠仁は俺の弟なのに。……俺のなのに。
ドロリとした感情と独占欲が首をもたげ、ハッとして軽く頭を振る。
今、なんと考えた?
誤魔化すようにコーヒーをグビりと飲み込む。
口いっぱいに苦みが広がり、つい口を突いて出そうだった言葉と共に腹の中に落ちていく。
こんなのはお兄ちゃんらしくない。
変な飲み方をしたのがいけなかったのか、それとも別のものか、その日は胸がずっとムカムカしていた。
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