彼方の光

眩しい。
手を目元にやりカーテンの隙間から差し込む光を遮る。
もぞり、ベッドサイドの時計を見ると8時を指していた。
いつもより遅い時間の目覚めだが、倦怠感があるような気がした。
夢を見ていたような気がするがその内容は覚えていない。
しかし夢で妙に疲れたような、体が重くなるような感じがあった気がする。
これが悠仁との共寝ならば二度寝をしてもいいのだが、あいにく一人のためその気にもならなかった。
「ぅ、ん……っ」
ベッドの上に座り伸びをする。
はぁ、と息を吐き腕を下ろすとさっきより目が覚めたような気がした。
ただ、頭はまだ少しぼんやりしている。
前に悠仁が眠気覚ましには珈琲がいい、と言っていたなと思い出した。
「脹相にはまだ早いかもね」
なんて笑っていたが、なぜだろう。
キッチンに湯を入れるだけでできるインスタントコーヒーがあったはずだ。
目が覚めるし、悠仁に「お兄ちゃんも飲めるぞ」というチャンスかもしれない。
くふくふ、と笑みを浮かべながら脹相はペタペタと足音を立てながらキッチンへ向かった。


キッチンの棚を探ると、貰い物のインスタントコーヒーを発見した。
以前悠仁が友人の伏黒から貰ったものだったはず。その伏黒も貰ったものが余っているからとおすそ分けをしてくれたのだったか。
珈琲の隣には四角いクッキー缶も置かれていた。これも友人の釘崎から貰ったと話していたな。
悠仁はつくづくいい友人を持っていると思う。お兄ちゃんは誇らしいぞ。
このクッキーはあとで悠仁と一緒に食べよう。
今は目覚ましの珈琲だ。
どれどれ、とインスタントコーヒーの作り方を見る。
これは粉が包まれている紙に湯を注ぎコーヒーを抽出するタイプのものらしい。
自分のマグカップを用意し、縁に取り付け沸かした湯を注いだ。
とりあえず溢れない程度に湯を注ぐと、下からぽたぽたと珈琲が落ちていた。
ふわりと香ばしい香りが漂う。この香りは好きだ。
暫くしてマグカップに珈琲が溜まり粉と紙を捨てた。
「おぉ……」
真っ黒……いや、縁の辺りが少し茶色?っぽい。
悠仁でも飲めたのだ、兄である自分が飲めないはずがない。
それによくよく思い返してみれば、悠仁の先輩や先生たちもよく旨そうに飲んでいたと思う。きっとそれほど美味なのだろう。
火傷をしないようにふぅふぅと冷ましてから、くぴりと飲み込んだ。
「に゛っっっっ!!!」
舌が珈琲の味を知覚したとたん、ぎゅっ!と顔をしかめた。
あまりの衝撃に少し涙が出た。
確かに目は覚めた。これは覚める。
だが、こんなにも苦いなんて聞いてない!!
脹相は冷蔵庫にしまってあった牛乳を取り出すと、コップに注ぎゴクゴクと飲み干した。
とてもじゃないが、あまりにも苦くて飲めたものではない。
悠仁や他の物たちが飲んでいたものとは違うものだったりしないか?これ。
いやでもこの前悠仁が飲んでいたな、と思い直す。
弟が飲めて兄である自分が飲めないなんて……兄として情けない!と妙な兄心に火が付いた。
「くっ……、このままでは悠仁のお兄ちゃんは珈琲も飲めないと言われてしまう……!」
脹相の頭からは受肉体の知識にある珈琲にもブラック、加糖など種類があるという情報はすっかり抜け落ちており、打倒ブラック珈琲を掲げていた。

某日、街外れにて二人は任務へ向かっていた。
今回の任務場所は山の中らしく、車ではたどり着けない場所のため途中から歩いての移動となった。
田舎道の途中ぽつんと自動販売機が見え、まだしばらく歩くだろうと水分補給を行うことにした。
「あれ、脹相も珈琲飲むの?」
「あ、ああ」
「飲めんの?」
「お兄ちゃんだからな!」
それ関係ある……?と悠仁は脹相を見るが、脹相はプルタブを開け両手で缶を持ちながら恐る恐る口をつけた。
口いっぱいに苦みが広がり「んぐぅ」と唸る。
しかし悠仁がいる手前やっぱり飲めない、などと言うことはできない。
ちび……ちび……と珈琲に口をつける。
悠仁は水を飲みながら隣から「ぅ……にっ……!ぐぅ……」という声が漏れ聞こえ苦笑いをこらえる。
「(苦手なら無理して飲まなくていいのに。……てか、どうせまたなんか余計なこと考えてこうなったんだろうな)」
そう思って水を飲み干すと、財布から小銭を出し二本目を購入した。
ガコン、という音で脹相は涙のにじむ目を自販機へ向ける。
丁度、悠仁が二本目の飲み物を取っているところだった。
「(もう飲み終わったのか、流石だ悠仁。だが……)あんまり飲みすぎると、この後の任務に支障が」
でるぞ、と続く前にひょいと半分も減っていない珈琲缶が手から抜き取られ、唇にさっき悠仁が買ったばかりの缶が押し付けられた。
プルタブが既に開けられており液体が口に流れ込む。
慌てて両手で受け取りながら飲むとココアの甘味が口いっぱいに広がった。
珈琲の苦みでしょぼしょぼしていたが、ココアの味を感じたとたんにほわりと笑みを浮かべた。
「……!ゆ、悠仁、急にあんなことしてはだめだぞ、中身が零れてしまうだろう!」
ほわほわ、くぴくぴと夢中で飲んでいたが悠仁が微笑ましげに見ていることに気が付くとハッとして注意する。
鼻の上の痣が部割と揺れ動いたかと思うとぐずぐずと流れている。
「ごめんて」
そう言いながら脹相の飲みかけの珈琲を飲み干しゴミ箱へ捨てた。
「っし!そろそろ行こうぜ」
「ん……、ああそうだな」
脹相も残りを飲み干すと缶を捨て、歩き始めていた悠仁に続いた。
「今回の呪霊は山に入った人に幻覚見せてくるんだっけ?」
「ああ。対象のもっとも恐怖するモノや状況の幻覚を見せ、錯乱したところを捕食するらしい」
「うーん最も恐怖するモノっていわれてもいまいちピンとこないな。脹相は?」
「そうだな……。怖いモノといわれても、確かに想像はできないな」
「だよなー。大体の呪霊は殴って祓えるし」
「ただ、そうだな。俺は…………いや、なんでもない」
「……そ?」
悠仁は一度脹相に視線をやるがそのまま山へ向けた。
「ま、とにかくさっさと祓いますか」
「油断はするなよ」
「わかってるって」


事前に伊地知からこの場所では帳を下ろさなくても問題はないと聞いていたが、話で聞いていた通り昼間なのに薄暗い。
人里離れた山の中、来るのはこの山にある廃神社に肝試しに来る者くらいとのことだ。
実際、被害者はみんな肝試しに訪れた若者たちだ。
元々はきちんと整備されていたのか、山への入り口に神社へ続くと思われる道の跡が残っていた。たどってみれば草木が生い茂る獣道となっていたが。
それでも肝試しに来た者たちが通ったらしい跡も所々残っていた。
それを辿ると目的の廃神社へ到着した。
「ここが例の廃神社かぁ。ボッロボロ」
「……ん、確かに件の呪霊のものらしき残穢があちこちに残っているな」
「んじゃあ、この辺り探せばでてくるかな?」
「さて、どうだろうな。襲われた人間たちは夜に訪れていたのだろう?ならばやはり夜の方が確立は高いだろうな」
「やっぱ夜かー。まあ、もうすぐ日が暮れるし、一応辺り軽く調べて夜まで待った方が確実か」
「そうだな。とはいえ、あくまでも確率が高いだけだからな。まだ明るいからと油断していたところを、という可能性も捨てきれん。気を付けるんだぞ」
「わかってるって。心配性だな、脹相は」
廃神社は小さな本殿とその周囲が少しだけ開けていた。
本殿の扉は朽ちて開け放たれていた。見える限りでも床に穴が開いていたり、壁に穴が開いていたりと酷いものだった。
奥には台がありご神体らしきものが残っていた。
「これ、呪霊じゃなくて怒った神様とか出てきそう……」
「……それは呪霊と違うのか?」
「そりゃまあ違うでしょ。……どう違うかと言われると説明に困るけど」
もにょもにょと濁らせながら答える。
「そうか」
「そうそう(……あとで一応伊地知さんに言っておこう。呪霊祓った後でなんかあってもヤだし)」
悠仁は手を合わせて「呪霊祓うだけなので!あとちゃんとご神体報告するので怒らないでください!」と本殿に向かって言った。
脹相もそういうのをした方がいいのか、と悠仁の真似をして手を合わせ何を言ったらいいか迷った後で「片付いたらすぐ帰る」と言った。
その後は特にめぼしい発見もなく日が暮れるのを待った。
日が暮れてしまえば月明りだけが廃神社を照らしていた。
月の光さえ遮ってしまう森の中は真っ暗だ。
田舎の森とは聞いていたため懐中電灯など最低限の装備は持ってきているが、呪霊と対峙した場合は何の役にも立ちそうにもない。
ガザリと俄かに周囲の気配が騒がしくなる。
「悠仁」
「おう」

「ベエェェ……ゲケケケ……」

現れた呪霊は大きな角を持つ羊のような姿をしていた。
一つ目がぎょろぎょろさせ、悠仁たちを見つけるとに゛いぃ……とゆがめた。
「百斂」
同時に脹相が手を合わせ構える。
「穿血」
パウッと鋭い音をたて呪霊に攻撃が飛ぶ。
そう遠い距離ではないため被弾する……かと思われた。
ドウッと音をたて呪霊が上に飛びあがる。
「チッ」
腕を振るうが、木々を足場にドウッドウッと音を響かせながら飛び回る。
ビイィッと穿血は木々を切断するが、あと一歩呪霊に当たらない。
「ちょこまかと……!」
打ち止めると再び地面へ降り、脹相を見て「ベエェェ!」と吠える。
「っらぁ!」
「グギャッ」
脹相に気を取られている間に、走り出していた悠仁が呪霊の脇腹に呪力の纏った拳をたたきつけた。木々をなぎ倒し森の中へ吹っ飛ぶ。
呪霊はもんどりうちながらも体をねじり、低い体勢をとると「ベエェェェェエ!!」と吠え口から大量の霧を吐き出した。
「下がれ悠仁!」
瞬く間に周囲が霧に覆われ視界が遮断される。
「悠仁!」
「こっち大丈夫!脹相は!?」
「俺も無事だ!」
距離感がつかめず周囲を見回しながら答える。
この状態で穿血など周囲に攻撃を飛ばすものは悠仁も巻き込みかねない。
ズズと鼻の上の痣が変形する。赤鱗躍動を行い構える。
呪霊が動けばその動いた呪力で位置を特定できる。
「どこから来るかわからん。気を付けろ」
霧の中に向かってそう言うが返事が返ってこない。
「悠仁?」
さっきまで悠仁のいた方向へ顔を向けるが、濃い霧では影すら見えない。悠仁の呪力も見えない。
ヒヤリと心臓が冷たくなる。
「悠仁!」
そう簡単にはやられない、とはわかっているがこの視界不良で不意打ちを食らえばどうなるかはわからない。
「くそっ……悠仁!」
走り出そうとしたとき、視界の端にゆらりと影が映る。
一瞬、悠仁かと考えたが呪力が異なる。
ここまでの接近を許してしまったことに舌打ちをしながら低く構える。
影はゆらゆらと霧に紛れて揺れている。
大きさは脹相と同じくらいだろうか。先ほどの呪霊に比べれば小さく、悠仁に比べれば大きい。
「(新手か?)」
影を睨みつけながら問う。
「お前は何だ」
影がゆらり、と大きく揺れた。
ゆらり、ゆらり影が輪郭を持ち始めた。
脹相の周りの霧が薄くなってきていることに気が付き、影に向かって飛びこみ頭の位置を蹴り上げる。
ガツン、と鈍い音を立てるが防がれた感覚があった。
「兄さ」
同時に影から声が発された。
脹相は驚き飛びのく。霧が薄れ影の姿があらわになる。
黒い服に白の狩衣もどき。白い髪は二房頭上で結わえられている。
鼻の上の痣は変形し、額から頬にかけて縦に線が引かれている。
「10人兄弟の、な」
色素が反転したような脹相がそこに立っていた。
言葉を失う。
血により脹相は兄弟の存在や命の危機がわかるからこそ、目の前の男が同じだとわかったのだ。
―――こいつは己だ。
呪霊の領域の幻覚なのか。実体化したものなのか。
自分をそっくりそのままコピーされているのならば能力はおそらく互角。
お互い見つめあう。
そう離れていない距離、踏み込めば一撃は入れられる。
じりじりとお互いに出方をうかがっていると、なぎ倒された木々の方から足音と「脹相!」という声が近づいてきた。
「悠二!く「安心しろ」」
来るな、と続けようとした言葉にかぶせる様に目の前の【脹相】が言った。
「俺が弟に手を出すと思うか?」
「……お前が敵じゃないという証拠がない」
「わかっているくせに。お前も俺も同じだろう」
己の血が信じられないか?と静かな目で見つめてくる。
同じ顔、同じ声だというのに。お前と自分は同じ存在だというくせにどこか達観しているような雰囲気を出している。
「……悠仁に変なことをしたら殺す」
「知っている」
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