知らない世界の、知らないきみと





◇◇◇◇



「それ右」
「了解」
エドワードが指す方向へ、車を向ける。夕方の帰宅ラッシュの時間だが、道は混んでいなかった。石畳の上だからか、結構揺れる。
「アスファルトはないのか、この世界には」
「アスファルトってなに?」
「道を舗装するものだよ。路面が平らになって、走りやすいんだ」
「へぇ、あんたの世界って色んなもんがあんだな」
テレビ、携帯電話、パソコン。私の世界では当たり前に誰でも持っているものが、ここにはない。
写真や映画で見た外国の古い街並みにそっくりな景色を眺めながら、タイムスリップでもしたような気分になる。そこらに立ち並ぶガス燈も、通りの角なんかに経つ古めかしい電話ボックスも、私の世界にはないものだった。
「あ、あそこだよ」
エドワードが指した店の駐車場に、車を入れた。車庫入れをする私に、エドワードの尊敬の眼差しが降り注ぐ。
「たいさはこういうの全然ダメなんだ。何度やってもまともに入らなくて、もういいやってなって斜めのまんま放置すんだ」
どんだけ適当な奴なんだ。コツさえ掴めば、車庫入れなんて簡単なのに。
「さすがプロだよなー、オレもこんなんできるかなぁ」
「できるさ。将軍よりうまくなって、バカにしてやれ」
「頑張る。とりあえず明日、自動車学校のパンフもらって来よう」
決意の目をするエドワードを連れて、店の中に入る。将軍様御用達のレストランなんていうくらいだから豪華なところだろうと思っていたら、意外と庶民的だった。メニューに並ぶのも家庭料理が中心で、値段も普通。
「たいさはこういうとこが好きなんだ。普段仕事で会食とか多くて、ご馳走は食い飽きてんだって。あんた、ビールは?ワインのほうがいい?」
「いや、車だから」
ちょっと待て。将軍の奴まさか呑んで運転してるんじゃないだろうな。下手くそが飲酒運転なんて、走る凶器どころの話じゃないぞ。

たいさがね。たいさはね。たいさったらさぁ。
料理が来て食べ始めても、エドワードの口から出るのはそればかりだ。たまに私をじっと見つめ、瞳を揺らす。会いたくて仕方ない人と、同じでいて違う相手。話題を必死に探すのは、私がエドワードの言う大佐とは別人だと気づきたくないからなのか。
「……そんでさ。たいさのやつ、見つからないからって結局それ履いて行ってさ」
くすくす思い出し笑いをするエドワード。合わせて微笑んでみせるが、実際どうでもいい。靴下が左右で違うなんて、私もしょっちゅうだ。さすがに赤と白を片方ずつ履くなんてのはしたことがないが。将軍ともなると、そういうセンスも常人とは異なるんだろうか。

「………エドワード、」

「ん?」

大雑把に切った大きな肉を口いっぱいに詰め込んだエドワードが、私を見上げる。

「このまま、戻らなかったらどうする?」

「…………へ」

「寝たら来たからまた寝れば戻れるだろう、というのは私たちが勝手に考えたことだろう。もしも、このまま」

金の瞳から目を逸らさずにいると、わずかに動揺の色が見えた気がした。

「このまんま戻らずに、私がずっとここで暮らすことになったら、どうする?」

「………どう、って」

「離婚するかい?それとも、私とずっと一緒にいてくれるか?」

「……………………」

ゆらゆら揺れていた金色に、涙が浮かんでくる。

言葉もなく俯いてしまうエドワードに、やりすぎたかと肩を竦めた。
「冗談だ。私にだって可愛い天使が待ってるんだ、どうにかして戻らなきゃ」
そう、エドワードが待ってる。
それと、将軍に会社を潰される前に帰らなければならない。話を聞けば聞くほど、運送なんて仕事がまともに勤まる奴だとは思えないからだ。
「……冗談、にしたって、きつすぎ……」
呟くように責めるエドワードに手を伸ばし、髪を撫でる。私のエドワードと同じ、さらさらと心地よい感触。
「きみがあんまり将軍のことばっかり言うからだよ」
「なにそれ。やきもち?」
「そりゃ妬くさ。私はきみにベタ惚れだからね」
「………それは、あんたの世界のオレだろ」
「そう……だけど、違うな」
首を振ると、怪訝な顔になったエドワードがちらりと私を見た。
「私はきみが好きなんだ。どこの世界の、どんなきみでも」
きみはどうなんだ?
瞳を捉えて覗き込むと、エドワードの顔中があっという間に真っ赤になった。
「………アホ。口説く相手、間違えてんじゃねーよ」
ぷいと横を向いてしまうエドワードの、耳までが赤い。
こんな顔をすれば、獰猛な野生動物みたいなエドワードでも可愛くなるもんなんだな、と、思わず笑みが漏れた。

そのとき。

「マスタング様、お電話でございます」

ウェイターが、緊張した顔で駆け寄ってきた。








『テログループのアジトが判明しました。すぐ司令部へお戻りください』

いつもの事務でも伝達するみたいな冷静な声のリザからの電話に、慌てて会計を済ませて車に飛び乗った。エドワードが指すとおりに飛ばしながら、なんであの店にいるのがわかったのかと疑問を口にする。
「なんかあったときのために、行き先は報告しとかなきゃなんねぇんだ。他の奴はともかく、あんたは司令官だから絶対いつでも連絡とれなきゃなんねぇもん」
「だったら今すぐ携帯電話を発明することを勧めるね」
本部に戻ってさきほどの部屋に駆け込むと、帰ったはずの全員が揃っていて、一斉に私に敬礼した。

急いで来たのはいいが、私はこういうことには素人だ。地図を見せられても、土地勘もないのでなにがなにやら。
「以前からなにか計画している様子でしたので、探らせてたんです」
リザが早口に説明する。
「ことを起こされる前に、カタをつけたほうがいいと思いまして」
だから、エドワードから聞いていた店に電話をした、というわけらしい。
「……カタをつけると言っても……どうするんだ、全員とっ捕まえればいいのか?」
「それが理想ですがね」
戸惑う私に、ハボックが言う。
「難しいようなら、まぁ連れて帰るのは一人か二人でも仕方ねぇんじゃねぇスか」
「………残りは、まさか………」
見回すと、皆武器を手にしている。リザは猟銃みたいなのを肩にかけているし、ハボックなんかマシンガンぽいものの弾とか確認しているし、他の連中も似たようなものだ。殺る気満々といった雰囲気に、怖じ気づいているのは私だけらしい。
「いや待て、もう少し平和的な手段はないのか」
「そんなものがあるんなら、軍なんかいらねぇよな」
隣から聞こえた声に、そちらを見る。そこにいるエドワードが一番、殺る気満々の顔をしていた。
「急がねぇと。アジトがバレてんのがわかったら、明日にでもどっか引っ越しちまうかもしれねぇし」
「………………」
黙った私の代わりに、リザが皆を見回した。
「準備はいいわね?」
「はい!」
「うっす!」
それぞれ勝手な返事をする。
「あ、あんたは…」
エドワードが私を見て何か言いかけた。それを遮るように、リザが私を振り向く。
「准将は、私たちの後ろに黙って立っていてください」
そのまま、部屋から出て行く。
あとへ続く皆が、私を見て肩を竦めた。
「素人さんを連れてくような場所じゃねぇんだけどな。あんたがいなきゃ締まらねぇから、仕方ねぇや」
「絶対ボクたちが守りますから、安心しててください!」
「少人数のグループらしいし、すぐ終わりますよ」
見慣れた顔ぶれが、見慣れなさすぎるいかにも殺傷能力の高そうな武器を手に部屋から出ていく。
「……行こうぜ、たいさ」
エドワードが皆に続こうと歩き出すのを見て、思わず腕を掴んだ。
「きみはここにいなさい」
「は?」
振り向いたエドワードが、呆れたみたいにため息をつく。
「オレは、あんたの世界のオレじゃねぇぞ」
わかってる。けど。
「……きみ、身を守るものをなにも持ってないじゃないか」
「オレ様にそんなもん、必要と思う?」
にやりと笑って拳を握るエドワード。
「コレがありゃ、なんもいらねぇよ」
「………………エドワード、」

なにをしているのか、自分でもわからないまま、私は手を伸ばした。
突然のことに驚いて抵抗を忘れたエドワードが、腕の中に落ちてくる。

「心配なんだ。怪我をしてほしくない」

なにか反論しようと顔をあげたエドワードを、視線で黙らせる。

「どの世界とか、関係ないと言っただろう。エドワード、私はきみが一番大切なんだ。危険に晒すことはできないよ」

「………………」

しばらく黙っていたエドワードが、両手で私の胸を押した。

「離せ」

「だが、」

「うるせぇ!そんなん、オレだっておんなじだっつーの!」

怒鳴った顔は、レストランで見たときよりも真っ赤だった。

「早く来いよな!」

言い捨てて駆けていくエドワードを目で追って、今の言葉を頭の中で反芻する。

もしかして、私が行くからか。

皆が言うのを聞いて、軍人でもなんでもない素人の私が行かなければならないと知ったから。

だから、私を守ろうと。

「………情けないな、私は」

呟いて、走り出す。

それほど弱くはないと、エドワードにわからせなくては。

私が守るのだと、わかってもらわなくては。

だが、それにはどうしたらいいだろう。銃も扱えないし、経験ある武術といえば学校の授業でやった柔道と剣道くらいだ。しかもすでにまったく覚えていない。

考えながらもロビーから外に出ると、厳つい軍用トラックが私を待っていた。



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