温泉に行こう





牧場には観光客用に小さなレストランがあったから、そこで昼飯を食った。バターが美味しくて、やっぱりリゼンブールを思い出した。
そのあと車に戻りながら、准将はオレをちらっと見た。
「これから、どうするんだ?」
資格を返したあとのことだとわかった。どうするって言われても、なにも考えていない。錬金術しかなかったオレがそれをなくしたんだ。他に興味があるものもなく、やりたいことも見つからなかった。
「まだ、わかんねぇ」
正直にそう言うと、准将はちょっと微笑んだ。
「まぁゆっくり探すのもいいと思うが」
ドアを開けて車に乗って、准将は不自然に言葉を切った。思うが、なに?気になるところで切られたら、准将から視線が外せなくなる。
「…………家事とか、する気はないか」
オレを見ないでそう言って、准将はエンジンをかけた。なんかほっぺた赤い。ちょっとキモい。
火事?いや放火魔にはなりたくない。
「火をつけて歩けと言ってるわけじゃないぞ」
あら。読まれてる。
じゃあ何?家事?
「いや……えーと、家政婦さんにはオレは向いてないと思う」
走り出した車は、丘の上で止まった。広がる牧草地と、これまた果てしなく広がる青空。遠くに山が連なって、どっかで牛が鳴いた。

「私のところに来ないかと言ってるんだ」

…………は?

准将んちで家政婦?

「違う。嫁に来いと言ってるんだ」

………………嫁。

奥さん。家内。妻。

………………はぁ?

「………おかしいと思ってたけど、とうとう……」
「いや、違うから」
准将はオレの同情と哀れみのこもった視線に眉を寄せた。

「本気できみが好きなんだ。結婚したいんだ」

…………けっこん。

いやいやいやいやいやいやいやいや!
オレは今回の旅行で一生分のいやいやを言った気がする。
てか、マジで?

「………なにそれ、突然………」
「突然じゃないだろう。前からずっときみが好きだと言ってたはずだ。のらくら返事を逃げるから、ちゃんと聞きたいと思ってこうやってチャンスを作ってだね」
逃げてるつもりはなかった。冗談だと思ってただけで。
「……でもあんた、女好きでタラシで……」
「いつのことだ。私はもうずっときみだけだぞ」
いつのことって。あれ、いつだろう。そういや昨日もなんかちょっとアレ?とか思ったような。
「ふたりきりになりたくて、旅行中は私たちに近寄るなとみんなに言っておいた。部屋も自腹で取った。どうか、返事を聞かせてくれないか」
自腹で。やっぱりあんな部屋、軍が用意するわけないと思ってた。てかそれなら昨日の風呂も……。
「きみがどうしてもと言うから、貸し切りにしてもらったんだ」

ああ、なるほど。

てかこいつ、嫌われてたわけじゃなかったんじゃん。

オレはどう答えようか悩んだ。周囲に広がる牧歌的な風景が急に遠くなったような気がした。

こいつと結婚?
今から先、ずっと一緒?

そんな未来は考えたことがなかった。薄くぼんやりと頭にあったのは、旅を続ける自分の姿だったり青い軍服を着て下っぱの兵隊やってる自分だったりして、こいつの傍にいる未来なんか想像したこともなかった。

「私にはきみしかいない。きみが一緒にいてくれたら、なんでもできる気がするんだ」

准将はこっちを見ない。俯いた顔はちょっと赤くて、ハンドルに置いた手がわずかに震えている。

本気、なんだ。

オレにはそれが衝撃だった。いつも軽くて、嫌味ばっか言ってて、女のケツばっか追いかけてるハゲかけのアホ上司だとばかり思っていたのに。
「………ハゲかけはひどいんじゃないか」
口から出ていたのか。オレは慌てて唇を引き結んだ。

「……えと………考えさせてもらっても、いい、のかな……」

ようやくでそう言ったオレに、准将は頷いた。



それからあとは昨日と同じ。山の中腹にある古い城まで行って、そこを眺めてまた准将の説明を聞いて。ファルマン少尉とフュリー曹長を見つけて、一緒に回った。ふたりも車を借りていて、駐車場で別れてまた次の場所へ。
楽しかったし、面白かった。
ホテルに帰って夕食を食べるときも、やっぱりふたりで食べた。准将は昨日と変わらなくて、オレはなんだか胸が詰まったような感じだった。

准将が嫌いなわけじゃない。ちょっとキモいし変だけど、嫌なわけじゃない。

その夜も同じ部屋に一緒に戻った。風呂はもう我儘を言わず部屋の風呂に入った。毎日貸し切りじゃ他の客に迷惑すぎる。

同じベッドで横になると、また准将がくっついてきた。相変わらずすね毛が気になるけど、黙っていた。准将の足はオレの冷たい左足を暖めるようにぴったり絡まっていた。

昨夜、こいつの黒い瞳を見たことを思い出した。
見つめていてほしいとか、初めて思った。
思い詰めたようにじっと見つめてくる瞳が、嫌じゃなかった。

どうしたいわけ、オレ。

ぐるぐる回る思考にすっかり眠気を吸い取られて、オレは朝まで眠れなかった。



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