温泉に行こう
「ここだよ」
「………マジ?」
着いた先は最上階。スィートルームってやつだった。ホテルのくせにリビングがあり、奥に寝室がある。そこら中に花が飾られていて、カーテンの向こうの大きな窓からはバルコニーとその向こうに広がる山と空が見えた。
「ちょ、准将……ここ、ほんとに軍で借りた部屋?」
とてもそうは思えない。旅の途中で観光ホテルに泊まったことがあるが、スィートの宿泊料金を聞いて驚いた記憶がある。たかが錬金術師にそんな部屋を用意してもらえるなんて思えない。
「まぁ、うん。私もここに泊まるからね」
「……………はい?」
なかなかいい部屋じゃないか、と言いながら探検を始める准将を、オレは呆けて見ていた。こいつの部屋?オレとこいつの?なんで?
「おお、鋼の。見なさい、風呂が広い!」
寝室の隣のバスルームを覗いた准将が感嘆の声をあげた。いやいや、温泉に来てなんで部屋の風呂に入らなきゃならんの。さっきまでの部屋には風呂はついてなかったぞ。
行ってみると本当に広かった。無駄な空間の中は花で埋め尽くされている。なんでこんなに花があるんだ。
「准将、オレ温泉に入りたいんだけど」
まだ片足が鋼のオレは筋肉が凝りやすい。じつは温泉は楽しみだったんだ。そう言うと、准将は笑って手をにぎにぎしてみせた。
「任せなさい。私がマッサージしてあげよう」
いやいやいやいや!なんでだ!
「そんなんしてもらわなくても」
「遠慮するな。きみを温泉に行かせるわけにはいかんからな」
「なんで」
だったらなにしに温泉に連れて来たんだ。怪訝な顔を向けると、准将は目を逸らした。
「皆がいる風呂にきみを裸で放り込むなんて。野獣の群れに餌を投げるようなものだ」
…………頭大丈夫?
とにかくオレは温泉に行きたい。荷物をベッドに置いて、その中から着替えとタオルを引っ張り出した。メイクされたベッドから花が飛び散って床に落ちる。なんなんだ、これ。
シャンプーとか石鹸とかはアルが持っている。オレは着替えをタオルにくるんでアルを探しに部屋を出ようとした。
「待て、鋼の」
准将はベッドサイドに置いてあった電話をとってなにかを話し、笑顔で受話器を置いた。
「この部屋の風呂も温泉が出るんだそうだ。行く必要はないぞ」
「なんだそれ」
オレは振り向いて准将を睨んだ。怪しすぎる。なに考えてんだ、こいつ。
「オレはでっかくて広い風呂に入りたいの!せっかくこういうとこ来て、なんで狭い風呂にちまちま浸からなきゃなんねぇんだよ!」
「………では、少し待ちなさい」
准将はまた受話器をとった。
しばらく待ったあと、エレベーターで降りて温泉に行った。広い脱衣場、広い風呂。でかい窓からは景色が一望できる。
が、そこは無人の空間だった。
「なんで誰もいねぇんだ!」
がらんとした風呂にオレの声が反響する。
「さぁ、どうしてかなぁ。ほら早く脱ぎなさい。手伝ってあげようか」
准将は腰にタオルひとつの姿で無駄に爽やかだ。
ああそうか、こいつ嫌われ者だったんだ。普段は仕事で仕方なく付き合う皆も、こんなとこに来てまで一緒にいたくないってことなんだろう。
どんだけ嫌われてんだ。オレはため息をついて服を脱いだ。
准将の視線がウザい。
なんかやたら見てる。てか凝視してる。
「……あの、見られてると脱ぎにくいんだけど」
「気にしないでくれ」
「なるよ!いいから湯加減見てこいよ!」
准将は渋々風呂へ行った。
腰にタオルを巻いて、オレは風呂に駆け込んだ。急いで湯をかぶり、それから広い湯船にざぱんと飛び込む。程よい深さで、泳げそうだと思った。足の重さがあるからプールも海も入れないが、ここなら溺れることもないだろう。
のんびり浸かりながらこっちを相変わらず凝視する准将に、オレは機嫌よく笑った。
「なぁ、泳いでもいいのかな」
「え。でも、足が」
「大丈夫!ここなら溺れねぇだろ。沈まないようにあんた見ててくれよ」
「え、見てていいのか」
なぜか嬉しそうに准将が言う。
「うん。てかあんたさっきからずっと見てんじゃん」
「そ、そんなことはないぞ」
准将は目線を泳がせ、それからまたオレを見た。
「もし沈んだら助けてあげるから、泳ぎたければ泳ぎなさい」
「うん!」
マナー違反だとは思うが、どうせ他に誰もいない。師匠のところで修行したときに海で泳いで以来の水泳に、オレはわくわくしながら腕を伸ばして体を浮かせた。
その途端聞こえる苦しげな声。
見れば准将が顔を押さえて俯いている。その回りの湯は赤い。
「ど、どしたの准将!のぼせたの?」
慌てて近寄ると准将が後退った。よく見ると鼻からぼたぼたと血を流している。
「な、なんでもない!ていうか平泳ぎはやめろ、平泳ぎは!」
なんでだよ。どんな泳ぎ方でもいいじゃん別に。オレ平泳ぎは自信あるんだぞ。昔はリゼンブールのカッパとか呼ばれてたんだ。
「じゃどんな泳ぎ方したらいいんだよ」
「腕はいいから。足は揃えて、開かないようにして」
どうやるんだそれ。
「………いや、もういい。さっさと体洗って出ようぜ」
湯船から先に出て、それからオレは思いついて振り向いた。みんなに嫌われた可哀想な中間管理職に、たまにはサービスしてやってもいいかな。
「そうだ准将。背中流してやるよ」
そう言った瞬間、准将は湯の中にざばっと倒れた。
准将のまわりは、不気味なほど湯が赤かった。