温泉に行こう





バスガイドさんが頑張ってたのは最初だけだった。1時間もすると、ガイドさんは一番前の小さな椅子に座って不貞腐れたように前を睨んでいた。
バスの中の連中は、その頃にはほとんどが酔っぱらっていた。

始めのうち必死に行き先やルートの説明をしようとするガイドさんに、あちこちから質問が飛んだ。
「年いくつ?」
「彼氏いるの?」
「休みいつ?暇?」
適当に答えていたガイドさんの笑顔はどんどん険しくなり、酔っぱらいはどんどん酔っぱらっていく。
で、今に至る。
バスの中ではビールの缶が飛び交い、つまみがないとか誰か歌えとかの怒鳴るような声が響く。窓の外はきれいな田舎の景色が広がっているのに、誰一人そっちに目を向ける者はいなかった。
オレは前のほうに座って、黙って缶コーヒーを飲んでいた。アルは少尉たちに連れ去られて、後ろのほうで騒いでいる。はぁ、とため息をつくと隣に座った准将が気分でも悪いのかと聞いた。なんでこいつが隣にいるんだ。
ビールを片手に立ち上がった誰かが前にいるガイドさんに大声で話しかけた。
「ガイドさーん!家どこ?イースト?」
まだ諦めてなかったらしい。ガイドさんは振り向きもせずにマイクを取り、
「M78星雲です」
「えー?遠いじゃんー!ねぇ、休みいつ?デートしようよー」
「3分経ったら星へ帰るんで、無理です」
酔っぱらいはさらになにか言ってたが、ガイドさんはもう答えなかった。
後ろのほうにいたロス少尉が、前へ来てガイドさんに缶コーヒーを2本差し出した。
「ごめんなさいね、うるさくて。これ、あなたと運転手さんに」
「え!あら、ありがとうございます」
ガイドさんはようやく振り向いて、コーヒーを受け取って微笑んだ。その顔はとても疲れているように見えた。
「みんなで旅行なんて滅多にないんで、浮かれてるのよ」
ロス少尉が苦笑すると、ガイドさんはため息をついて後ろを見回した。
「東方にはイケメンが多いって聞いて、ラッキーとか思ってたんですけど」
視線はバス全体を巡り、オレがいるあたりで一度止まった。そしてまたロス少尉を見た。
「イケメン司令官さんって誰のことなのかしら。見当たらないわ。可愛い子はいるけど、横に変態っぽいのが張りついてるし」
「ああ、えーと」
ロス少尉はオレを見て笑った。
「イケメンは今日は来てないのよ」

おかしいな。東方でイケメン司令官って言ったら、モテモテでタラシのマスタング准将しかいないはず。イケメンかどうかは異論があるが、それでもガイドさんが見逃すはずはないのに。オレはちらりと横を見た。
そのイケメン司令官は、景色も見ずにオレを見つめてとろけそうな笑顔を浮かべていた。
「うわキモ!なんだよあんた、なんでこっち見てんだ!」
思わず引いたオレに、准将はにっこりした。
「私の目はきみしか映らないようにできててね。可愛いよ鋼の」
「バカじゃねぇのあんた」
オレはため息をついた。そういやこいつは以前からこんな冗談をよく言う奴だった。オレなんかからかってどこが楽しいんだか。ガキだった頃はいちいち反応して怒ったり赤くなったりしたが、オレももういい加減慣れた。バカは相手にできない。
「そんなセリフはどっかのねえちゃんとかに言ってやれよ。喜ぶぞ」
「私はきみを喜ばせたいんだが」
「これが喜んでるツラに見えるんなら医者に行け」

こんなんで旅行を楽しむことができるんだろうか。オレはガイドさんとすっかり仲良くなっておしゃべりするロス少尉を眺めながら、これが帰りのバスならいいのにと思ってまたため息をついた。











ホテルに着くと、将軍様ご一行が来訪とあって従業員さんたちが総出でお出迎えをしてくれた。オーナーさんらしき偉そうなおっさんが来て准将に頭を下げて挨拶をする。きれいで立派なホテルにさすがは国軍が取る宿だなと感心しつつ、オレたちは中に入った。
部屋に案内されてすぐに大きくて広い部屋に呼び出された。准将が酔っぱらいを相手に真面目な顔で、
「明後日の昼まで自由行動だ。夕食だけはみんなでここでとるが、あとは好きにしろ。くれぐれも、軍人であることを忘れず節度ある行動をするように」
「イエッサー!」
修学旅行の引率の先生みたいな准将の言葉に、すでに軍人であることも節度という言葉の意味も忘れ去った酔っぱらいたちが一斉に敬礼した。

さて。アルはどこかな。
オレはきょろきょろして、しばらく探してようやく弟を見つけて近寄った。だが弟はさっきのガイドさんに笑顔を振り撒いていた。
「どんな名所があるんですか?ボクこのへん知らなくて。案内してくれたら助かるなぁ」
待てアル。一緒に旅をしていた頃、この辺りにも何度か来たじゃねぇか。案内なんかいらねぇだろおまえ。
「まぁ、じゃ一緒に行きましょうか。ロスさんたちも一緒に行くのよ」
オレはアルをあんなタラシに育てた覚えはないんだが。でも現実に弟はガイドさんと笑いながら外へ出て行く。そのあとをおしゃべりしながら女性軍人たちが続いた。ロス少尉もホークアイ中尉もその中だ。

弟に捨てられた。
がっくり肩を落とすオレに、准将がへらへらした笑顔で言った。
「鋼の、一緒に観光しよう。どこかでお茶でも飲まないか」
あんたいったいどうしたの。いつもならあんたがガイドさん連れ出して口説きまくるはずなのに。
「言っただろう。私はきみしか見えてないんだ」
だから医者に行けって言ってんじゃんか。

そう言ってから気がついた。ずいぶん前から、こいつが女を口説いたりするのを見たことがない。

あれ?なんでだ。タラシじゃなかったっけ、こいつ。



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