昨日を探そう
病院での検査結果は良好。記憶も完全に戻った。なくしていた間の記憶はないが、それはよくあることだと医者が安心させるように笑った。
もう通院はしなくてよろしい、と言われ、頭を下げて診察室を出た。
その間ずっと呆然としたまんまのロイを、エドワードは不安そうに見上げた。
「なぁ、もう記憶戻ったんだし、オレ帰るよ」
ぽつりと言ったエドワードに、ロイははっとして小さな肩を掴んだ。
「帰るってどこへ」
「どこって…リゼンブール。だってあんたんちにずっと世話になるわけにもいかねぇだろ」
やっぱ迷惑だしさ、と顔を伏せて言うエドワードを見つめて、ロイは焦った。
帰ってほしくない。いつまででもいていいのに。
「…うちは別に構わんぞ。どうせ寝に帰るだけの家だし、豆粒ひとつ転がっていたくらいでどうということもない」
なんでいつもこんな言い方なんだ。ロイは自分に呆れた。エドワードは金色の瞳を細めて、それこそ猛獣なみの獰猛さで睨みつけてくる。
「オレがいることであんたのストレスが溜まってハゲが進行しねぇようにっていう優しさだろ?ったくオヤジはこれだから」
言いながらエドワードはロイを置いて病院のロビーから外へ駆け出した。光を浴びて一層輝く金色に道行く人が振り返るのを見て、ロイは急いで追いかけた。
誰にも渡さない。どこへも行かせない。ロイは通りに出てすぐにエドワードの腕を捕まえた。
「待ちなさい鋼の。私は迷惑だとは思ってない」
振り向いたエドワードの瞳が自分をまっすぐ見ていて、ロイはそれに既視感を覚えた。こんなふうに見つめられたことが確かにある。そのときの自分はとても素直だったはず。
ロイの瞳がまっすぐに自分に向けられている。それを確かに自分は見たことがある。エドワードの脳裏を掠めて過ぎていくイメージはあまりにも鮮明すぎて目眩がするほどだ。
あのとき自分はどうした?なんて言った?
意地も見栄もなにもかも忘れた真っ白な心で、なにかとても大事なことを言ったし言ってもらったはずだ。それは全身を幸福と安心で満たし、もう他にはなにもいらないとさえ思ったはずなのに。
二人はそれを思い出したくて、ひたすらお互いの瞳を見つめた。
それがわかれば。
そうしたらきっと、なにか変わる。
疲れた足を引きずって、二人はロイの家に帰った。エドワードがポケットから出した合鍵を見て、ロイは息が詰まるような気がした。
なにも思い出せないまま、往来で見つめ合っていることの気恥ずかしさに気づいてそのまま帰ってきた。
だけど思い出さなくては。記憶のないときの自分は、こんなにも簡単にこの子を手に入れている。
ドアを開けて中へ入り、エドワードは改めて部屋を見回した。二人分の食器や自分の好きな色のカーテン、ロイが知らないと言った大きなクッション。それは自分がここでこの男と二人で暮らしていたことを証明していた。
早く思い出さなくては。ごく自然な動作で考えなくても合鍵を出した自分に、苛立ちと焦燥を感じてエドワードは俯いた。
エドワードの荷物はまだ全部片付いてはいないようだった。新しく買ったものが多いからだろう。ロイは手近な袋を開けた。普段着らしい服が入っていた。
「これはきみのだろう。着替えたらどうだ」
ロイが声をかけると、エドワードは躊躇いがちに袋を覗きこんだ。
「……でも大佐が買ったもんなんじゃねぇの?まだ新品だし、返品できるんじゃねぇ?」
「返品なんかしなくても。着ればいいじゃないか、私にはこんな小さい服は入らないし」
「誰が子供服体型だって?まぁオッサンにはこんな色は無理だよな。腹が出てちゃサイズも無理だし」
「失礼だなきみは。ま、新しいものを買わなくてもきみは永遠に成長が止まってるんだし、いつまででも同じ服が着れて羨ましい限りだな」
「あー、オレまだ若いもんで。誰かさんみたいに成長期の胴回りとか気にする年じゃねぇもんな」
「……………」
「……………」
またやってしまった。
二人は同時に黙った。
素直にならなければいけないと思うのに、口を開けば余計な言葉が飛び出してくる。言われれば返さなくては気がすまないし、返されたら腹が立つからまた返す。悪循環だ。
なんで自分はこうなんだろう。自己嫌悪でいっぱいになりながら、二人はため息をついた。
「あの、大佐……」
「なんだ」
余計なことを言わないように。エドワードは慎重に言葉を選んだ。
「あのさ、……えーと」
「…………」
ロイは辛抱強く待った。言葉は厳選しなければならず、そうすれば自然と無口になる。黙ったままエドワードの次の言葉を待ち続けた。
「…………くそ、なんて言ったらいいかわかんねぇや」
「………では、先に私のほうから言うが」
「なに」
「………………えーと」
覚えはないが、こんなことは前にもあった気がする。ロイは焦った。そんなに前のことじゃないはず。ついこないだだ。エドワードを見つめ、今しかないと決心して詰まりながらも自分の気持ちを言葉にした。そのときの自分はとても素直で、出てくる言葉も簡潔で。
「一緒に、暮らさないか」
そう、そう言った。
瞬間、ロイの頭に病院での2日間が蘇った。