結婚するって本当ですか




その14・話し合いは浴槽で➂



エドワードはひたすらロイを見つめてくる。思い詰めたような瞳には涙がいっぱいに溜まっていまにも零れ落ちそうだ。

「………鋼の、あのね」
「言い訳なんか聞きたくない」
「………………」

ロイは座り直した。正座の形で膝に手を置き、エドワードの瞳をまっすぐに見つめる。

「鋼の。私は浮気はしていない」
「あ、そう」
「きみと結婚の約束をする前からだ。好きだと思ったときから。きみが最後の恋だと思ったから、私は」
「過去の話はいらない」

言葉をあっさりと遮られて、ロイは一瞬黙った。こんなに泣きそうな顔をしているくせに、エドワードの決意は固い。
ああ、こんなときに限ってこの子はとても男らしい。
揺らがない瞳に、なにを言えばわかってもらえるだろうかとロイは拳を握って考えた。

「これからを考えろよ。あんたには責任があるんだ。子供を捨てるなんてオレは絶対許さねぇ」
エドワードの声は震えているけれど強い。それは自分が父親に傍にいてもらえなかったことが原因だろうとロイは思った。和解はしたと聞いたが、この子の傷は癒えてはいないようだ。
だが、それでも。
身に覚えがないのだから、わかってもらわなくてはならない。
「……もし、子供ができれば。捨てるなんてしないよ」
ロイの言葉に、わずかにエドワードが肩を揺らした。
「私の子供ならね。だが、私には覚えはない。詳しくは聞いてないんだが、彼女は何ヵ月だと言ったんだ?」
まだ彼女の腹はまったく目立っていなかった、と思うロイに、エドワードは小さく「3ヶ月だって」と答えた。
「3ヶ月か。私はきみと結婚してどれくらいになる?」
「………半年」
「そうだな、半年だ。では彼女と浮気をしたのは結婚した後ということになる。で、聞くがね。私がいつ外泊をした?」
エドワードはわずかに目を逸らした。思い出そうとするように視線をさ迷わせる。
「私は毎日まっすぐにここに帰ってきていた。残業で遅くなる日は連絡を入れたし、きみは毎回夜食を持ってきてくれただろう。出張には必ずきみを連れて行った。どうだ、どこに浮気をする暇がある?」
「…………でも、」
「彼女は昔私の部下だった男の奥さんだ。私が二人を引き会わせたようなものだから、妊娠したことを報告したかったらしい。きみが私の妻だと知っていたから声をかけたのだと言っていた」
一息にそう言って、エドワードを見つめた。金色の瞳はさっきまでの強い光を失っていて、零れそうな涙をたたえたままゆらゆらとロイを見つめ返している。
「わかったか?彼女には、ちゃんと責任を取ってくれる男がいるんだ。私が責任を取らねばならないのは、きみ一人だよ」
「…………………」
「鋼の。彼女がどんな言い方をしたのか知らないが、望んでいた子供がやっとできて浮かれているんだ。多少言葉が足らなかったかもしれないが、許してあげてくれないか。そして私のことも、頼むから信じてくれ」
ロイは握っていた手を開いて、ゆっくりとエドワードのほうへ伸ばした。目元に溜まった涙を拭ってやるつもりで。
エドワードはその手を見つめ、それからぎゅっと目を閉じた。恐れるような、拒絶するようなその顔にロイの手が止まった。

目をきつく閉じたことで、溜まっていた涙が溢れて落ちた。ぼろぼろと零れていくそれを止めたくて、ロイが小さな肩に手をかける。

エドワードはそのまま、突進するようにロイの胸に抱きついた。

「………だって、大佐さっき謝ったじゃねぇか」
苦しそうな声でエドワードが呟くのへ苦笑して、ロイはその背中に手を回した。
「あれはね……彼女と会うのは久しぶり過ぎて、誰だか思い出せなくて。きみと二人でいるのを見て、嫉妬したんだ」
「………浮気、だと思ったの?」
「だから、すまない。つい、その……勘違いしてしまって」
そのことを怒っているのかと。そう言ったロイにエドワードは首を横に振った。ロイはほっとして、エドワードの背中を抱いたまま浴槽にもたれかかった。

もう大丈夫かな。
そう思って安心したのも少しの間だった。
エドワードはロイにしがみついたまま。脱いだシャツの下に着ていたTシャツに涙が暖かい染みを作って広がっていく。
「鋼の、もう泣かないで。誤解は解いてくれたんだろ?」
ロイが優しく言うと、エドワードはますます強くしがみついてきた。時々漏れてくる嗚咽にロイの胸が痛む。
「……………だって………」
「え?」
小さく呟く声はひどく聞き辛い。ロイはよく聞こうとエドワードを覗きこんだ。

「…………だって、…………勝てないって、思ったんだ」

エドワードは震えながら言った。
「オレ、子供なんて産めねぇもん。だから……女の人が、あんたのこと好きっていう人が、妊娠したって言ったら………」
エドワードの言葉に、ロイは眉を寄せた。
「勝てねぇもん。どうしようもないもん。だから、怖くて」
エドワードの涙が止まらないのは、そんなことが理由か。
ロイはため息をついた。
「鋼の。子供が欲しければ養子をもらうこともできるぞ」
「………違う。そんなこと言ってんじゃねぇ」
「違わないね。子供がほしくなれば養子をもらえばいい。そんな簡単なことできみが悩む必要はない」
「簡単じゃねぇだろ!」
エドワードは顔をあげた。
「……簡単じゃねぇもん。だって、オレは」
「鋼の」
ロイは微笑んでみせた。
「簡単なことだし、悩むようなことじゃない。そんなものに拘るなら女と結婚するさ」
「……………」
「きみがいいからきみを選んだんだ。他の誰も欲しくなかった。きみだって私を選んでくれたじゃないか」
「…………オレは」
エドワードは俯いた。シャツをぎゅっと掴む手が可愛くて、ロイは小さな体を抱きこんだ。
「オレは……そこまで考えてなかった」
拗ねたように言う声に、ロイは笑った。考えたり悩んだりする暇を与えなかったのは自分だ。そんなことをすれば逃げてしまうと思ったから。

やっと掴まえたんだ。なにがなんでも、逃がすわけにはいかない。



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