知らない世界の、知らないきみと





◇◇◇◇



全員が私の状況を理解したようだ。
真ん丸な目で見つめてくる周囲に、私は頷いてみせた。
「そういうわけだから、今日は私は休む。あとはよろしく」
「まだ寝ぼけてるんですか」
すかさず言葉を挟まれる。中尉はこちらでも容赦がないようだ。
「うちの会社に、頭数はこれだけです。つまり仕事をこなすのにギリギリの数しかいないってことで、あなたにも働いてもらわなきゃ仕事が回らないってこと。それくらいわかりますわよね?」
こちらの中尉は、私がいた世界の中尉よりも表情が豊からしい。最初に見たときの違和感の原因もそれだった。今も眉を寄せて唇を少し突き出して、不満そうな顔をしている。こうしていれば可愛らしい女性なのに、どうしてあっちの中尉はあんななんだろう。冷たいというか。長年生死を共にしてきた仲間なんだから、もうちょっとくらい優しくてもいいのに。
同時に、私のデスクの上に積まれているはずの書類の山を思い出した。あんなもの、サインを書きなぐるだけの簡単な仕事だ。こっちの能天気で薄ぼんやりな私にでもそれくらいはできるはず。なんとか頑張ってもらわなくては、帰ったときが怖い。
「だが私はトラックの運転経験がない。荷物を積んだりおろしたりする方法も知らないんだから、仕事のやりようがないだろう」
だから不可能だ、と肩を竦めてみせる。それを見たヒューズが、やれやれと首を振った。
「仕方ねぇや、エドの車のオイル交換は明日だ。オレが行くよ」
「すまんなヒューズ。持つべきものは親友だ」
「今度おごれよ」
笑って言うヒューズに笑顔を返しながら、不思議な気分になる。こいつとこんなふうに話すことなんて、二度とないと思っていたのに。
「……仕方ないわね。じゃ、社長は横乗りでお願いします」
譲歩した中尉がため息をつく。横乗りとはなんだ。
「助手をやるってことだよ」
隣で鋼のが教えてくれた。なるほど、まぁそれくらいならやれるかもしれない。
「鋼のはどうするんだ」
愛してやまない新妻の手を握ったまま、中尉を見る。
「ハガネノじゃないって言ってるのに。……エドワードくんは、一応社長の追っかけを頼んでおいたんですけど……」
何を言ってるのか理解不能。なにを頼んだって?
「もし積みきれなかったとき、残りをエドワードくんが積んで後追いで走るってことです」
後追い?
「だから……もういいわ、皆仕事に戻って。遅れちゃう」
説明を諦めた中尉の号令で、皆がそれぞれ支度を始めた。書類を持つ者、鞄や鍵を取って立ち上がる者。見ていると、ほどなく部屋の中は私とヒューズと鋼のだけになった。
ドアから出かけて振り向いた中尉が、鋼のに真剣な目を向ける。
「お願いね、エドワードくん。そのバカよく見ててちょうだい」
「うん、わかった」
ここまではっきり目の前でバカと言われたことはなかったのだが、こちらの私にとっては普通のことなのか。鋼のは当たり前みたいに頷いて、中尉に手を振った。
ドアが閉まり、やがて外からトラックのエンジン音が聞こえてくる。
たまに道を走っているのは見たことがあるが、トラックを間近にしたことはない。私は窓に近寄って、外を眺めた。
真っ黒いボディの、大きな車。派手なエンジンの音に紛れて、皆の話し声がする。やがてそれぞれが車に乗り込んで、一台ずつ空き地から出て行った。地響きのような唸り声が、少しずつ遠くなっていく。
「……なかなか、迫力だな」
「トラック見るのは初めてか?」
呟いた言葉に、ヒューズが笑う。
「まさか、おまえの世界にゃトラックがないなんて言わねぇよな?」
「いや、走っているのはたまに見た。私がいた世界は、車自体そんなに多くないんだ」
「へぇ。じゃ渋滞もねぇのか?羨ましいな」
「渋滞……とは、車のか?事故や事件のとき以外は、聞いたことがないな」
「そんな世界もあるんだな。おまえはそこで、将軍様をやってたわけだ。親友が出世して、あっちのオレは悔しがってなかったか?」
鍵を握って立ち上がりながら、無造作に聞かれた言葉。
私は、返事ができなかった。
「ロイ、市場でなんか飲み物買う?」
鋼のが側に来て見上げてくる。
「オレもうお茶とか全部飲んじゃったし。コンビニ行こうよ」
「そうだな、行こうか」

見知らぬ世界で、知っているのに知らない連中に囲まれて、さらに今から未知なる仕事に向かう。
豪胆を自負する私でも、不安と緊張はどうすることもできないが。

「なんでヒューズなんぞと密室で二人きりにならなきゃならんのだ。私は鋼のの車に乗るぞ」

「…………おまえ、そういうとこはどっちのおまえも変わんねぇなぁ……」

苦笑するヒューズの、変わらない笑顔。
一瞬こいつが死んだのは夢で、こいつはずっとこうして側で笑っていたんじゃないかという錯覚に陥る。
フラッシュバックする血塗れの電話ボックスと、晴れた空に響く葬儀の鐘。目の前には、笑顔で手を振って車へと歩くヒューズ。
足元が揺らぐ感覚に、目眩がしそうになる。

でも、鋼のがいるから。
私の愛しいあの子とは違うと、わかってはいるけど、それでも。

金色が側にいる。

だから、私は今、自分を保っていられるんだ。








小さめなトラックに乗り込んで、エンジンをかける鋼のを見つめた。ヒューズが私の車だという大型トラックに乗って、ゆっくりと頭を出口に向ける。それを目で追いながら後を追う鋼のは真剣そのもの。ハンドルを切って大きな道に出ると、ギアを切り替えてアクセルを踏み込んでいく。
「……あんまりじろじろ見られると、運転しにくいんだけど」
前を見つめたまま頬を染める鋼の。可愛い。
「きみが車を運転するところなんて初めて見るからね。珍しくて」
「だからって黙って見つめなくても。普段うるさいロイが黙ってるのって、なんか怖い」
「私はきみに、なにかうるさく言ったりするのか?」
聞き返すと、鋼のははっとした顔で黙った。
それから、小さな声。
「……ごめん。あんたロイじゃなかったんだった」
寂しそうな横顔に、胸が痛んだ。この子もきっと、恋人と同じ顔のまったくの他人を前に、どうしていいのかわからずに戸惑っているんだろう。
「………心配するな」
手を伸ばして、鋼のの頭をぽんと撫でた。
「きみの恋人は、すぐに帰ってくる。だから大丈夫だ」
「ほんとに、そうかな………」
「当たり前だろう。きみがいるんだ、帰らないわけがない。それに私も、大事な大事な鋼のを置いてこんな世界に長居するわけにはいかないからね」
「その鋼のって、あんたの世界のオレだよね?」
「そう。なにより大事な、私の妻だ」
「……………つ、」
鋼のの顔が真っ赤になった。
「け、結婚してんの?」
「驚かなくても。なんだ、こちらの私はきみにそんな話はしないのか?プロポーズとか」
「いやえーと……婚約は、したけど」
信号待ちで停まって、鋼のは恥ずかしそうにもじもじした。うーんどうしよう。可愛すぎるんだが。
「結婚はまだ、っていうか……オレまだ全然、一人前じゃないし……」
そのあとは、市場に着くまで恋愛相談みたいになってしまった。こちらの私がどんな男で、どんなふうに付き合っていて、どうやって婚約したか。一緒に働き始めたら会う時間が減って、時々不安になるんだ、等々。
正直言えばおもしろくない。愛する鋼のの口から、他の男の話しか出てこないからだ。
聞けば聞くほど、こっちの私は私とは違う男なのだとわかる。そして目の前にいる鋼のは、その男を本当に愛しているんだと痛感する。
そして、私はどこのどんな世界の鋼のでも、鋼のだというだけで無条件に愛することができるのだと思い知ってしまった。
嫉妬が渦巻く胸のうちを悟らせたくなくて、私はごまかすように話題を変えた。
「きみのご両親は健在なんだな」
「え?あ、うん」
こちらの私は、婚約の際ご両親に挨拶に行ったらしい。羨ましいことだ、私の世界の鋼のにはどちらもとっくにこの世にいなくて、私は墓にしか挨拶ができなかった。
「……そっちでは、もう死んでるんだ……」
驚いた顔の鋼のに頷く。
「お母さんは、きみがまだ幼い頃に病で亡くなったと聞いたよ。お父さんは忙しい方で、あまり家に帰ることのできない方だったそうだ。亡くなったのはちょっと前だったな。私はちらりとしかお会いできなかったが」
「そうなんだ……」
「だからきみはとても強かったよ。弟と二人で、いつも前だけ向いて生きていた」
「弟、って、アル?」
「そうだよ。こちらにもいるんだろう?さっき話に出てきた」
「うん、いる。……けど、アルと二人だけとか、なんか想像できねぇ……」
この子は優しくて、明るくて暖かい。
両親がいて兄弟がいる、普通の家庭で普通に育ったら。そしたら鋼のも、この子のようになっていたんだろうか。



市場に到着し、車から降りた。広い場内にたくさんの荷物があって、たくさんのトラックがそれを積み込んでいる。
「コンビニはこっちだよ」
手を引かれてついて行きながら、ヒューズのほうを見た。先に着いていたヒューズは、たくさん積まれた箱の側でどうやら数を数えている様子。
いや待て。あれを積むのか。なんかものすごくたくさんあるように見えるのは気のせいか。最近の私はデスクワークが主で、肉体労働は管轄外なんだが。
「どうかした?」
鋼のが見上げてくる。
「ああ、あれ。うん、いつもあれくらいだよ。リフトがあるから大丈夫だよ」
事も無げに言われても。
リフトとはなんだ。いつもって、私はいつもあんな荷物を運んでいるのか。
「さっさと戻って来いよー、積むぞー」
ヒューズが手を振って言い、鋼のがそれに応える間になにか機械みたいなものに乗り込んで荷物を動かし始める。

未知すぎる。

助手くらいならと思ったが、これでは私は役に立ちそうにないじゃないか。



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