結婚するって本当ですか
その7・はじめての➅
すっかり陽が落ちて暗くなってから、ロイは走って帰宅した。
運転手のハボックは車で視察に出たままだが、どこかでサボっているとしてもそれを責める気はまったくない。自分の代わりに残業してくれている部下に感謝しつつ、ロイは最後の角を曲がった。
だが、我が家には明かりは灯っていない。玄関を開けようとしたが鍵がかかったままだった。
ロイは不安になりながら、急いで鍵を開けて中に入った。しんとした家の中に人の気配はなく、寝ているのかと思ったが寝室にも誰もいない。
「鋼の……どこへ行ったんだ……」
予定が変わってアルフォンス達と一緒に食事に行ったのかと考えたが、書き置きもなにもなかった。
もしやなにかあったのでは。
嫌な想像が頭をよぎり、振り払うように窓から外を見た。
庭には洗濯物が干したままになっていた。
そんなことは今まで一度もなかった。ロイはますます不安になり、電話に手をかけたがかける先がわからずにまた手を離す。
とりあえず洗濯物をとりこむか。
早くなる動悸をごまかすようにそう呟いて、庭に通じる勝手口の鍵を開けた。
そこに、エドワードが倒れていた。
「鋼の!」
慌てて抱き起こしてみれば、体がすっかり冷えている。ロイは急いで小さな体を抱えて中へ入り、寝室へ連れて行った。
ベッドに寝かせてエドワードに顔を近付け、子細に検分する。外傷なし、目立った異常もなし。着衣に乱れもなく、脈も正常。
というか。
「………眠っているだけか?」
口元に耳を近付ければすやすやと規則正しい寝息が聞こえてくる。
ロイはベッドの横にへたりこんだ。
よかった。なにかあったのかと思った。
………死んでいるのかと。
ロイは自分の手が震えているのを見て、情けない声で力なく笑った。まったく、なにをやっているんだか。死んでいるのかどうかなんて、落ち着いて見ればわかることなのに。
んー、と小さな声がして、ベッドがわずかに軋んだ。起きたのかとロイが覗き込むと、エドワードはぼんやりとその金色を半分のぞかせていた。
「…………大佐?」
「ああ、ただいま。なにをしていたんだ?あんなところで寝るなんて。心臓が止まるかと思ったぞ」
安心させたくて無理やり笑顔を作って、ロイはベッドに上がってエドワードの隣にもぐりこんだ。
エドワードはまだ冷たい。
ロイは手を伸ばしてエドワードを抱き込んだ。
「すっかり冷たくなってる。ダメだよ鋼の、風邪どころじゃすまなくなるよ」
「……だってさぁ」
エドワードは唇を尖らせた。鍵を忘れて出かけたら、帰ってみればしっかり施錠されてるし待っても誰も帰って来ないし。玄関先は目立つから、裏に回って誰かが帰るのを待ってたんだ。そう言ってエドワードはロイの胸に額をすり寄せた。
「あんたが帰るの、夜中かと思ってた…」
「うん、今日は早く帰れてね。また明日は遅くなると思うが」
もう鍵はちゃんと持って出てくれよ。そう言って笑ってから、ロイはエドワードを見つめた。
頭の中には今日ウィンリィが言った言葉。
やっぱり、初めてが結婚式だなんて嫌だろうか。
今、キスしたいと言えば頷いてくれるだろうか。
怖くて言えなかっただけで、本当はいつでもしたかったんだ。ロイはため息をついてエドワードの髪を撫でた。いつでも、どこででも。この金色を見るたび、抱きしめたくてキスしたくて。
だが自分は男で、上司で、嫌われていたから。
そんなことをすればますますこの子は離れてしまう。笑顔さえ滅多に見れなかったのに、声も聞けなくなってしまったら。
そう思うとできなかった。
今は少なくとも嫌われていないことはわかる。
こうやって触れさせてくれるし、甘えてくれる。
言ってもいいんだろうか。
キスしてもいいかと、聞いてみていいんだろうか。
口を開いて、また閉じて。
柄じゃないと思いながら、ロイはふんぎりがつかずに迷っていた。
「大佐」
エドワードが顔をあげた。
「なんかあったの?なんか、心臓ドコドコいってるよ」
………ドコドコ?
「ああ、走って帰ったからね」
ごまかしながらロイは必死で動悸を静めようとした。
「そうなの?でも、ごめん。オレ中に入れなかったから、メシまだ作ってないんだ」
いや腹が減って走ったわけじゃなくて。
「なんか作るね。オレも腹減った」
エドワードが体を起こそうとしたのを、ロイは思わず腕に力を入れて止めた。
なに?とエドワードがロイを見る。近すぎる距離に目眩がしそうで、ロイはごくりと唾を飲み込んだ。
「鋼の……あの………」
「?」
「いや、そのね……えーと……」
確かこの子と出会う前、自分は色んな女性と付き合っていたはず。
キスなんか何度もした。数えられないくらいの女性と、それこそ星の数よりたくさんしたはずだ。
なのに、どうやって口説いていたのかまったく思い出せない。なにを言って、どんなふうに抱いたんだったか。行為はそれなりに覚えているのに、そこに至るまでがさっぱり記憶から消えている。ロイは焦りに焦ったが、饒舌なはずの口からは言葉はなかなか出てこなかった。