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結婚するって本当ですか




その4・引っ越し➁


「やぁ、おかえり鋼の」

大佐が笑顔で言った。デスクに貼りついたまま、立ち上がりもしないで顔だけ上げて。

なんでかっていうのはオレにもわかった。大佐の横で書類を抱き締めるようにかかえた中尉が銃を構えたままおかえりなさいと笑ったからだ。銃口は正確に大佐のこめかみを狙っている。

デスクの上には山積みの書類と資料。あとなにかパンフレットみたいなの。
覗いたらどうやら旅行会社のパンフレットらしい。

「大佐、旅行でもするの?」
思わず聞いたら、中尉の銃を持つ手に力が入ったらしい。ぎり、と嫌な音がした。
「いや、えーと……一週間くらい……」
大佐は暑くもないのに額に汗を浮かべて笑う。
中尉は上司に銃を構えたまま、オレににっこり笑った。
「ね、エドワードくんは別に今じゃなくていいわよね。仕事がたてこんでる今じゃなくて、そのうち落ち着いて暇ができてからでも」

なんでオレに聞くの?大佐の旅行じゃん。

そう言うと大佐は情けない顔になった。
「鋼の、きみも行くんだよ。新婚旅行なんだから」

いや聞いてないしそんなの。だいたいオレはもう国中旅行しまくってるし、今さらなんで改めて観光なんかするんだよ。

と思ったけど口には出さなかった。それほどに大佐の顔は情けなかった。

「えーと……うん、落ち着いてからでいいんじゃねぇかな」
長生きするためには。

そう言うと中尉はにっこりして、大佐に向けた銃を下ろした。
「エドワードくんもああ言ってることですし、旅行は延期でよろしいですね?それでしたらそこまで急がなくてもなんとかなりますので、休憩なさってもかまいませんよ」
大佐が複雑な顔になった。休憩はしたいけど旅行には行きたいのだろう。恨めしげにオレを見るが、知らねぇもん。

中尉が書類を持って退場すると、大佐は立ち上がって伸びをした。それからオレを見て、ポケットからなにかを出して放ってくる。

受けとめたら、それは小さな鍵だった。

「私の家の鍵だ。先に帰っていなさい。私は遅くなりそうだ」
大佐はため息混じりに言って、パンフレットをまとめてオレに差し出した。
「行き先を決めておいてくれ。私はこれなんかいいと思うが」
一番上のパンフレットには、小さな露天風呂に浸かったきれいなお姉さんが載っていた。もちろんタオルを体に巻いている。
『個室露天風呂つき!カップルに最適!』

…あくまで旅行に行く気らしい。

「………なに、旅先でナンパでもすんの?」
「は?」
「だって、カップルに最適って書いてある」
オレがパンフレットを指差して言うと、大佐はしばらくそれを見つめてから崩れるように椅子に座った。
「……鋼の……どこの世界に新婚旅行でよその女性をナンパして風呂に連れ込む男がいるんだ……」
「でも」
「私はきみと一緒に風呂に入りたいんだよ」
デスクに突っ伏した状態で、呟くように大佐が言う。
オレの頭にその言葉が浸透し意味を成すまでにしばし時間がかかった。

「オレと風呂………」

なんで?
男同士でシャワーなんてむさ苦しくて全然きれいになった気がしない、とかいつか演習のあとで言ってたじゃんか。軍のシャワー施設について、しばらく演説をしていたはずだ。最高権力を手にした暁には、シャワールームは完全個室にして欝陶しくて汗臭い男の裸を自分の視界から遮断するんだとか力説していた。

「なのに、なんでオレと?」

「結婚するからだよ。夫婦になったら入浴は一緒にしなくちゃいけない決まりなんだ」
「いっぺん死ね。そんな決まりなんか存在するのはアンタの脳ミソん中だけだ」
そんなこと言ったら、単身赴任やらの事情で離れて暮らす夫婦はどっちも汚れ放題じゃんか。
文句を言うオレをちらりと見て、大佐はまたデスクに額をくっつけてため息をついた。

「だって、せっかく鋼のと結婚するんだ。楽しく一緒に風呂に入りたいじゃないか」
「風呂に入るために結婚するんじゃねぇだろ」
「風呂はおまけだ。メインはそのあと…」

メイン?
メインてなんだ?

ぶつぶつ言う大佐の声をどうにか聞き取ろうと耳を澄ますオレの後ろから、中尉が声をかけてきて大佐の言葉は中断された。
「大佐、休憩は終わりました。お仕事の時間です」
「もう!?」
悲痛な声をあげて起き上がる大佐に追加の書類を差し出して、中尉は相変わらずの迫力ある笑顔で頷いてみせる。手にはいつのまにかまた銃が握られていた。

「じゃ、オレ先に帰ってるね」
頑張ってね、と手を振って、泣きそうな顔でオレを見る大佐を置いて執務室を出た。とりあえずハボック少尉でも探して大佐の家を聞かなくては。

オレは大佐の家に行ったことがないから、どこにあるのかも知らない。

そう思ったとき、オレは自分が大佐についてほとんどなにも知らないことに気がついた。




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