小悪魔なきみに恋をする5題
小悪魔なきみに恋をする・7題
昼食のあとハボックと一緒に急ぎの仕事があるんだと駆けて行った彼を、やっと捕まえたのは夕方だった。
「鍵、必要だろ?」
わざわざ二人きりになってからそう言ってポケットから小さな鍵を出した。彼は笑ってそれを受け取った。
「スペアがあるから、急がなくていいのに」
「それは、私に鍵を持っていてほしいという意味にとっていいのかな?」
昨夜のことがあるから、私は強気だ。彼のおかげでしばらく遠ざかっていたこういう駆け引きのような言葉を楽しんでいた。
「はは。あんたにそんな趣味があるとは知らなかった」
彼はくすくす笑いながら鍵をポケットにしまい、私をちらりと見上げた。計算しているのかどうか、誘うような目つきにくらりとする。
「女が好きなんじゃなかったの?」
金色の瞳というものを、私は他に知らない。猫なら見たことがあるが、人間の瞳にもそんな色があるなんて彼に会うまで知らなかった。
琥珀ではなく、金。
妖魔のようだと思う。
見つめられたら、手を伸ばさずにはいられない。
「きみの思い違いだろ?」
「そうだった?」
引き寄せても彼は抵抗しない。私の胸に顔を寄せて、それでも私の目をまっすぐに見つめてくる。
逆らえずに唇を寄せると、彼はするりと腕から抜け出した。
「用事がそんだけなら、帰るね」
「は?」
「飯行く約束してんだ。じゃ、また明日」
「…………」
引き留める言葉を探す暇もなく、彼はさっさと部屋を出て行った。
執務室に残された私は、ひたすら今の状況を反芻する。
どういうんだ、今のは。
確かに私は昨夜彼の部屋に泊まったし、彼は嫌がらなかったし、昼だって食堂で隣に座って身を寄せてきただろう。今だって抱き寄せても嫌がる素振りは見せなかった。
なのに、逃げられた。
こんなことは初めてだ。今までどんな遊び慣れた女もあんな状況になればキスを拒んで逃げたりしなかったのに。
一度体を繋げたことで、体に触れる権利だけは得た。そういうことなのか?そこから先へ行くには、あれではまだなにか足りなかったのか?
わからない。
こんなに難しい相手は今までいなかった。この私が、いいように振り回されるなんて。
窓を見ると、私服に着替えた彼が門の外へ向かうのが見えた。
隣を歩いているのはハボックだ。時々視線を合わせてなにか楽しそうに笑っている。
なんなんだ。彼にとって、昨日のことは本当に取るに足りないことだったのか。
彼にとっての特別な存在になるには、どうしたらいいんだろう。
諦めるとか、昨日までのような傍観者に戻るとか、そんな選択肢は頭にはもうなかった。
一度でも甘い蜜を味わってしまえば、欲が出る。
もっと欲しくなるし、独占したくなる。
彼に、私だけを見て欲しくなってしまう。束縛したいなんて、いまだかつてどんな恋愛のときにも思ったことがなかった。初めての感情に戸惑って、私はただ外へ出て行く彼を見送ることしかできない。
近づいたと思ったのに。
手に入れたかと思ったのに、なんだかさらに遠くなったような気がして。
鍵を返してしまうんじゃなかったな、と思いながら、らしくもない気弱なため息をついて椅子に座りこんだ。