小悪魔なきみに恋をする5題


小悪魔なきみに恋をする・7題



4.近づいたはずが遠くなって




翌日は私はほとんどぼんやりしていた。副官が苛立った顔で見つめてくるが、脳味噌が仕事に向いてくれないのだから仕方がない。

頭に浮かぶのは、昨日のことだけ。





彼の部屋は乱雑に本が積まれていて、他にはテーブルとソファ、それにベッドだけだった。ワンルームしかないそこは狭くて、彼の気配と匂いに溢れていた。
『なんもねぇけど』
そう言われながら差し出されたコーヒーに口をつけ、本の背表紙を読んだ。やはりというか、錬金術に関するものばかりだった。最年少の国家資格は伊達ではないらしい。
『片付けたりとかしねぇんだよ。あんま見んな』
気恥ずかしそうに言う彼に、うちも似たようなものさと笑ってみせた。男が独り暮らしなんだ、誰でも同じだ。
『へぇ?あんたんちは誰かが掃除してくれたりしてんじゃねぇの?』
他に座る場所もないため、ひとつのソファに並んで座って向き合っていた。そんなプライベートな場所で二人でいるのも初めてなら、こんなに近いところに並んで座るのも初めてだ。
『そんな人はいないよ』
『どうだか。別に誤魔化さなくても、オレは誰にも言わねぇぜ』
くすくす笑う彼はこの距離をどう思っているのだろう。
『ほんとにいないよ』
『はいはい、そういうことにしといてやるよ』
男は皆同じこと言うから信用できねぇんだよな。
そう彼が言ったとき、私はふと気になった。
この子はとにかくモテる。もしかして、噂に出ないだけで決まった奴が誰かいるのかもしれない。
『きみこそどうなんだ』
思わず口から出た。
『モテるそうじゃないか。こんなふうに誰かを連れて帰ったりとか、よくあるんじゃないのか?』
『………さぁね』
彼は横を向き、コーヒーを飲んだ。
『そんなん、関係ないじゃん』
関係ない。
確かにない。けれど、そんなふうに切って捨てられては隠していた気持ちが否定されたようで、苛立ちを抑えられなくなる。
『……まぁ、関係はないな。だが興味はある』
驚いた顔で振り向く彼の肩に手をかけて、引き寄せた。
『きみは、どこまでなら許すんだ?』
『なにを…』
なにをって。今さらきみが、そんなことを聞くとは思わなかった。私はくすりと笑った。漸く自分のペースに持ち込めたことに安心し、金色の瞳を見開いて見つめてくる彼を見つめ返す。
『私にだったら、どこまで?』
『……………そんなん、』
言いかけた彼の唇を塞いで、抱きしめる。
甘い香りがしたような気がして、めまいがした。





というわけで、今日の私は昨日と同じ服で出勤した。
もちろん彼の家からだ。
ベッドに寝ていた私を叩き起こした彼が鼻先に突きつけてきた鍵。かけといて、と言うなり彼は飛び出して行った。私とは出勤時間が違うから仕方がないのだが、できれば一緒に出勤したかったなと思った。
それから、まだ彼と顔を合わせていない。鍵を返さなくてはいけないし、昨日のことについてなにか言わなくてはいけない。私は何度目だかわからないため息をついて窓の外を眺めた。それを眺める副官もため息をついたが、構うような余裕は今の私にはない。

昼食の時間になって、私は立ち上がった。彼も昼の休憩のはずだ。
廊下に出て隣を覗くと、ちょうどファルマンが出てくるところだった。
「少将。お疲れさまです」
「やぁ。ファルマン、鋼のはいるか?」
相変わらず生真面目なファルマンは振り向いて室内を見回し、確認してから私を見た。
「もう休憩に行かれたようです」
「食堂か?」
「ええ。さっきハボック少尉とそんな話をされてました」
ハボックとか。
礼を言って食堂に向かいながら、私はまた苛立っていた。
ハボックは古参の部下で私の友人だが、人当たりがよくて気さくな性格で誰からも好かれている。はるか年下で上司になった彼とも、かなり仲良くやっているらしかった。
金髪、青い瞳、長身。体術も銃の腕も際立っていて、それでそんな性格だから、奴もなかなかにモテるほうだと聞いている。
まさか、あいつも彼を狙っているのか。

嫌な想像をしながら食堂に着いて席を見回すと、のっぽとチビの二人連れはすぐに見つかった。異様に目立っている。周囲がちらちらと見るのを、本人たちはまったく気にした様子もなく食事をしておしゃべりしていた。

「鋼の」

声をかけると、小さい金髪が振り向いた。遅れて大きいほうも振り向く。
「よ、少将。休憩っスか?」
「まぁな。鋼の、ちょっといいかな」
頷いて短く答えて、彼を見た。彼は私に笑って、自分の隣の椅子をぽんと叩いた。
「あんたも飯だろ?ここで食えば」
いつもと変わらない笑顔に、私は肩を竦めた。この子にとってはどうやら昨夜のようなことはたいしたことではないらしい。
「上官より飯が優先か?」
「固いこと言うなよ。オレまだ飯すんでねぇんだもん」
唇を尖らせた顔が可愛くて、私は降参した。ランチプレートを取りに行き、戻って彼の隣に座る。そのあとは主にハボックと話をして、食事をした。隣にいる彼が少しだけこちらに身を寄せている。もとから狭い間隔では腕や膝が当たりそうな距離だったが、今はほとんど肩を触れあわせている。膝だけではなく腿が当たる。
その、昨日とはわずかに違う距離が、ひどく嬉しかった。




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