内緒を教えて
大佐がオレをからかい始めたのは、もうずいぶん前のことだ。いつからだったか思い出せない。
「好きな人はいないのか」
最初はそんな感じだったような気がする。
いないからいないと答えたら、そのあと言われたのがコレだった。
「だったら私と付き合わないか」
付き合うってのは普通好きな人とすることであって、好きな人がいないオレは無理に誰かと付き合う必要はないと思うんだ。大佐が好きなら別だけど、あいにくそんな感情は一片も抱いていない。あんただってそんな趣味はないだろう。
そう言ったら奴はそのときはそうかと言って引き下がった。
それから、会うたび。
「好きだよ、鋼の」
バカのひとつ覚えみたいに、そればっかり。
あいつはモテるし、女タラシだって評判だった。だからオレははなから信じてなかった。絶対からかって遊んでるんだ。そんなことを言われ慣れてないオレが、赤くなったり目を逸らしたりするのを見て面白がってるんだ。
それだけならまだここまで腹は立たない。
オレが弟を取り戻し、資格を返上するためにここに来たとき。
奴はオレの手を握った。
「嫁に来てくれ」
バカだバカだと思っていたけど、本物だとは思わなかった。
「オレ、男だから。嫁は無理」
「じゃあ婿に来てくれ。結婚したいんだ」
「したけりゃそのへんで適当に都合してこい。相手はたくさんいるだろ」
「きみでなきゃダメだ」
「なんでだ」
「なんでもだ」
「意味わかんねぇし」
「わかってくれ」
「やだ」
頭悪そうな押し問答の末、奴はオレを抱きしめた。しかも、強引にキスまでしてきた。
あれでキレたんだ。せっかく人が楽しみにしていた初めてのキスを、いきなり無理やり奪っていくなんて。
いや赤ん坊のときに何度もしたとかホーエンハイムが言ってたが、それはノーカウントだ。信じたくない。まだ母さんのほうがマシだった。聞いた瞬間にホーエンハイムを壁までぶっ飛ばし、喉が痛くなるまでうがいをした。ついでに唇を腫れあがるまで洗って擦った。
とにかく、許せない。
絶対に奴の弱味を見つけて、いじめ抜いて土下座させてやる。
だって。
本気だなんて思えない。
遊びでそんなん、言わないでほしい。
なんでかわかんねぇけど、辛くなる。
いかん、また眠っていたようだ。執務室からまた中尉の声がする。
「お疲れさまです」
なんだ。もう帰るのか。
窓を見れば暗かった。何時間寝てたんだオレ。
「ああ、今日の飲み会は私はキャンセルだ。」
「あら。少尉たちはもう出てしまいましたが」
「きみも行くんだろう?伝えておいてくれ」
中尉のため息が聞こえた。
「デートの予定でも入りましたか?すっかりやめたと思ってたのに」
それから、中尉はちょっと声を落とした。
「エドワードくんに言いつけちゃいますよ」
オレ?
なんで?
「勘弁してくれ。誤解されたくない」
大佐は苦笑しているようだ。
「なにかというとみんながそう言って脅してくるんだ。まいったよ」
「そりゃ、あの子は准将のたったひとつの弱点ですからね」
………………は?
呆然としてたら、中尉は部屋を出ていってしまった。
仮眠室のドアが開き、大佐が顔を出す。
「起きてたのか」
ぼんやりしているオレを、寝起きだと思ったらしい。大佐は傍に来てベッドに座った。
「なにか気配がすると思って見てみたら、きみが寝ててびっくりしたよ」
待ちくたびれたんだろう。すまなかったね、会議が長引いてしまって。
オレがずっとつけ回していたことには気づいてないらしい。
オレが、こいつの弱点?
なにそれ初耳。
みんな知ってたの?だからあんな微妙な顔したの?
「待たせたお詫びに奢るよ。なにか食べたいものはあるか?」
聞いたことがないくらい優しい声と、見てるほうが恥ずかしくなるくらい嬉しそうに照れた顔。
「……………大佐」
「なんだ?」
どうしてなんだ。
なんでオレ、どきどきしてんの。
「…………あれ、本気だったんだ?」
「あれ?」
「……………よ、嫁、に……」
言葉に詰まったオレを見て、大佐が笑った。
「本気だよ」
てことは、あのキスも。
ふざけたわけじゃなくて。
オレは俯いた。
大佐が慌ててどうしたんだと聞いてくる。
どうしたのかなんて、こっちが聞きたい。何ヵ月も前にされたキスで今さら顔が真っ赤なんですなんて、口が裂けたって絶対言えない。
「鋼の、」
くそ。
顔が見れない。
「好きだよ」
そのとき頭に、大佐のあの真っ暗な家が浮かんだ。
家中に明かりを灯したオレが、玄関を開けて出迎えたら。
ため息をつかずに笑顔で家に入っていく大佐を想像して、くすぐったくて恥ずかしくて。
オレは真っ赤になったまま、また布団に潜りこんだ。
END,