内緒を教えて
執務室前。
ホークアイ中尉が書類を持って中に入り、オレのために少しだけドアを開けておいてくれた。オレはそこに膝をついて中を覗きこむ。通りかかる軍人たちが笑ったり頭を撫でたりしていくが、構う暇はない。オレはまずは耳に神経を集中した。
「准将、こちらは急ぎと申し上げたはずですが」
「ああ、うん。いや、まぁ。ちょっとね、忙しくて」
「サインしまくる以外の用事がなにかありましたか?」
「えーと、ほら。アレだ、その」
「アレとはなにか、ご説明いただけませんか」
「…………」
相変わらずだ。昇進して呼び方が変わったくらいでは、中身はそう変わらない。奴は奴だ。しかし、こういうのはいつものことだし誰でも知ってる。弱味にはならない。
「では、こちらをよろしくお願いいたします。30分で取りに参りますので」
中尉が出てきた。数枚の書類を抱え、オレをちらりと見て微笑んで歩き去る。背筋の伸びたその後ろ姿を見送って、オレはまた部屋を覗きこんだ。奴は泣きながら紙にペンを走らせている。内容なんて読んでる様子はない。あとで中尉に言いつけよう。
20分ほどで奴はサインをやめた。あやうく寝るところだったオレは、はっとして頭を振って奴を見た。
奴は机をごそごそして、なにか取り出した。こちらからはデスクとその上の書類が邪魔で見えないそれを、奴はじっと見つめてため息をついた。
それからそれをしまい、次は窓を見る。天井を見る。部屋の隅を見回す。なにかを探しているようだ。
なんだろう。身を乗り出そうとしたとき、中尉が向こうから歩いてきた。
オレを見てくすっと笑った中尉は、細くてきれいな指でオレの頭をちょっと撫でてから部屋に入って行く。
「准将、書類は」
「ああ、できてるよ。それより中尉」
「なんですか」
「どこかに、なにかいないか?」
う。気配に気づかれたか。緊張するオレの耳に、奴の声が聞こえてきた。
「なにかこう、小動物の気配がするのだが」
飛び出して行って殴りたいのを、拳を抑えて必死に我慢した。
「…………そうですか?お疲れなんじゃないですか」
中尉は誤魔化して、さっさと書類を抱えて出てきた。間が空いたのと声が震えていたのは笑うのを我慢していたからか。奴はまたまわりを見回し、そうかなぁとか呟いている。
今すぐあのツラを整形したい。耐えるオレを通りすがりに見た事務官が怯えた顔をした。
その日は結局なにもわからなかった。自宅へ帰る大佐のあとをつけたが、まっすぐに家へ帰って玄関を鍵を使って開けていた。窓はどれも真っ暗。人の気配のない家へ入るとき、大佐はひとつため息をついていた。
誰かが待っていたりすれば面白かったのに。そう思いながら見ていたら、1階の窓に明かりがついた。カーテンは厚いらしく中は見えない。
わりと大きな家。
オレなら一人だときっと寂しいと思った。
翌日は大佐は外に出るらしい。視察だよとブレダ少尉が教えてくれた。
ラッキーだ。中にいるとなかなか尻尾を出さないあいつも、外なら油断するかもしれない。
街を歩く大佐のあとを、見つからないように尾行する。今日の格好はというと、迷彩のジャンパーに迷彩のパンツ。ふふふ、街路樹に溶け込めばもうわかるまい。ビルや木の陰を移動しながらついて行くオレを、ハボック少尉がちらちら振り向きながらにやにやしていた。あんま見んなよ、見つかっちゃうだろ。ホークアイ中尉なんか全然こっち見ねぇぞ。ちっとは見習え。
しばらく歩いていたら、女の人が大佐に声をかけた。彼女出現か?と喜んだが、大佐はちょっと挨拶しただけですぐに離れた。
視察先の建物にはさすがに入れないので、オレは外で待っていた。なぜだか警備のおっさんが声をかけてくる。やたら目立ってるよアンタとか言われた。なぜなんだ。やはり溢れる知性は云々。
おっさんとおしゃべりしてたら大佐が出てきた。さっと隠れるオレにおっさんが不審そうな顔をする。なにか言おうとするのを、オレは手をあげて制した。
「黙って!見つかっちゃうよ」
言われておっさんは黙り、大佐たちを見送ってオレを見た。
「今の、マスタング准将だろ?」
「そう!オレ、あいつのことを調べてるんだ」
真面目な顔で言ったのに、おっさんは肩を竦めて笑った。
「探偵ごっこかい?無理するなよ、捕まっちまうぞ」
すっかりバカにしきった声にムカついたけど、それどころじゃない。大佐たちは次の視察先へと歩いて行く。ゆっくりなのは市内の見回りも兼ねてるからだ。オレはおっさんに手を振って、追いつくうちにと駆け出した。
その日もなにもなかった。大佐はまっすぐ暗い自宅に帰り、玄関を開けてため息をつくだけ。
なんとなく、大佐も寂しいのかもしれないと思った。