天女は月夜に恋をする






一方、都では。

ときの皇帝の息子で次期皇帝であるロイ・マスタングが、退屈そうにため息をついていました。
遊び好きで顔だけはいいロイは、いろんな美女とお付き合いしていました。けれど最近はまわりから結婚を勧められ始め、そのつもりで見回せば自分のまわりに恋人と言える女がいないことに気がついてしまったのです。
美しいと評判の娘たちは皆、男性の気を引くことしか考えていません。美貌を鼻にかけ、傲慢で我儘。そんな女と結婚しても、幸せな生活が送れるとは思えない、とロイは浮かない顔で考えました。妾を持つのが当たり前な風潮はありましたが、ロイだって一応結婚に夢はあります。愛情があるのかないのかわからないような結婚をして、すぐに妾を抱えるなんて。なんだかあんまりにもあんまりな夫婦生活ではないでしょうか。
「………どこかに、素晴らしい相手はいないものかな。美人で可愛くて優しくて、私を本当に愛してくれるような人」
呟くロイに、そばに控えた側近が肩を竦めました。
「贅沢だぞ」
「いや、でも。世の女というのは皆同じじゃないか。もっとこう、清楚で可憐で慎ましやかな感じの女なら、結婚も考えていいんだが」
反論するロイに、側近ヒューズはため息をつきました。小さい頃から一緒にいた二人は、主従でありながら友人のような付き合いです。生まれたときから未来を約束されて大切に育てられてきたお坊ちゃんなロイを、諫めることができるのはこのヒューズだけでした。
「そうは言うが。おまえだってひとのことは言えねぇだろ」
眼鏡をかけなおし、ヒューズはロイを見つめました。
「顔がいい女ってのは、中身が伴わない場合が多い。知ってて美人ばかり選ぶあたり、お互い様だって気づけよ。向こうからすりゃおまえなんか、金があって顔がいいってだけのアクセサリーなんだからよ」
「……………」
自覚があるだけに、ロイは黙ってしまいました。今までたくさんお付き合いしてきましたが、自分が本気で愛したことがないのと同じで、相手に本当に愛されたこともありません。それでいいと思っていたのに、今頃になって寂しくなるなんて。
「……ま、急ぐことはねぇさ。ゆっくり探そうぜ」
ヒューズは慰めるようにロイの肩をぽんと叩きました。
「そういや、面白い噂を聞いたんだ。暇潰しに見に行ってみねぇか?」
「噂?なんの?」
ロイはまだちょっと落ち込んでいましたが、ヒューズの言葉に顔をあげました。ヒューズはよく街へ出るので、いろんな話を聞いてきては話してくれます。それはいつもロイの気を充分引くもので、しかも楽しいものばかりでした。
「おまえが好きそうな話だよ」
ヒューズはにやりと笑いました。
「すんげぇ美人がいるらしいぜ。天女みたいだとか、見た奴が言ってたらしい」
「………美人ねぇ」
たった今話していた内容を考えれば、美人なんて言われてもどうにも微妙な気分になります。ロイは思案するように顎に手を当てました。
「たいがいの美人は見飽きてるぞ、私は」
「いやいや、それがよ。そいつ、男の子なんだってよ」
「男?」
ヒューズがにやにやしている理由がわかりました。気晴らしと暇潰しに、その美人な男の子を見物に行こうというわけです。
ロイには男色の趣味はないので、これは純粋に遊びです。それなら、とロイも笑いました。
「それは興味があるな。どれだけ美人か、ぜひとも拝見させていただこう」

というわけで、ロイはヒューズとともに牛車に乗りました。てくてくと歩く牛に揺られながら、都から出て田舎道を進みます。やがて目の前に、たいそう牧歌的な雰囲気の村が広がってきました。
田畑に点在する小さな家。広がる牧草地に牛や馬が放牧されていて、その向こうには連なる山々が見えます。
「きれいなところだな」
感心したように言うヒューズに、ロイは頷きました。ずっと都にいたので、こんな近くにこんな田舎があるとは知らなかったのです。この景色だけでも充分来た甲斐があった、と思ったとき、はるか向こうのほうに一軒の家が見えました。
他と変わらない小さな家ですが、周囲にはたくさんの牛車や馬車がとまっていて、人々で賑わっています。近づいてみると、露店や物売りまでいました。家の入り口の横に受付と書いた紙が貼られた机が置いてあり、女の子が忙しそうに客の応対をしています。
「ここか?」
「そうみたいだな」
二人は牛車を降りました。ロイの顔は知れ渡っているので、まわりから小さなざわめきが起こります。お構いなしに受付に近寄ると、女の子が顔をあげてロイを見ました。可愛らしい子ですが、噂の天女は男の子なのでこの子ではないようです。
「いらっしゃいませ。面会希望ですか?」
にこやかな女の子の笑顔は、あからさまに営業スマイルです。これをどうぞと番号の書かれた紙を差し出され、ロイが戸惑いながら受けとると女の子はまたにっこりしました。
「のちほど順番がまいりましたらお呼びいたします。しばらくお待ちくださいませ」
「……………ああ」
正直、ロイは待つことには慣れていません。帝の息子として、今までなんでも優遇されてきました。どこに行っても順番待ちなんてなくて、誰もが先を譲ってくれます。
なので、57番と書かれた紙を見たロイはかなり不機嫌になりました。今が何番なのか知りませんが、待っている者たちの様子を見ればまだまだ呼ばれることはなさそうです。
「ヒューズ、こんなに待たなくてはならないのか?面倒なんだが」
ヒューズはロイの番号札を見て笑いだしました。
「しょうがねぇじゃねぇか、それだけ天女が人気者なんだからよ」
「………だが、男なんだろう。見たいのは見たいが、こんなに待ってまで見るほどでもない。また日を改めてから、」
憮然としてロイが文句を言う横で、次の男が番号札をもらいました。
その男を見て、ロイの声が止まります。
男もロイを見て、驚いた顔をしました。
「………ジャン、久しぶりだな」
「よぉ、ロイ。あんたも天女に会いに来たのか」
それは大臣の息子のジャン・ハボックでした。ロイとは学生時代からの友人です。女好きでタラシなところと負けず嫌いなところがよく似ていて、お互いライバル視している存在でした。
「ヒューズ、気が変わった。いくらでも待つぞ」
ロイがにやりとすると、ハボックも不敵に笑いました。
「天女はオレが墜とすぜ。あんたは指でもくわえて見物してなよ」
「それはこちらのセリフだな。貴様の悔しがる顔が楽しみだ」
ロイとハボックはしばらく睨みあい、それから同時に歩き出しました。
「まずはそこでアイスでも食うか」
「だな。それと牛車が禁煙だったから、一服してぇ」
ヒューズは肩を竦めてあとを追いました。ハボックの従者のブレダもそれに倣います。ロイとハボックはライバルではありましたが、同時に仲のいい悪友でもありました。
「こりゃ、当分ここに通わなきゃならんかな」
ため息混じりのヒューズの言葉に、ブレダがうんざりした顔で頷きました。
「天女さんにゃえらい迷惑な話だぜ」
二人の従者の浮かない表情など知らず、ロイとハボックはアイスクリームを手にタバコの吸える場所を探してうろうろと歩いて行きました。




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