煉獄の街
「たいさ……」
間近に聞こえてきた声に、ゆっくりと目を開けた。
そこは街の中で、私は石畳の上に倒れているようだった。
周囲は瓦礫が転がっていて、割れたガラスの破片が散らばっていた。人々の騒ぐ声や救急車のサイレンなどの雑音が、一気に耳の中に飛び込んでくる。
やかましさに眉を寄せながら、視線をずらしてみた。
私の胸の上に、金色がくっついていた。肩を震わせて、ただ私の昔の階級を呼び続けている。
「鋼の、」
驚くほど掠れた声が喉から押し出された。
鋼のが弾かれたみたいに顔をあげる。頬はびしょ濡れで、大きな金色の瞳からは涙がまだまだ溢れて流れていた。
「たいさ!たいさ、大丈夫かよ!なぁ、動ける?いや動いちゃダメだけど!」
涙で詰まって震える声で、鋼のがまくし立てる。言ってることが支離滅裂で、笑いたいのに体が痛くて笑えないのが残念だ。
「私は、どうなったんだ?なぜきみがここに、」
「しゃべんな!あんた、あちこち怪我してんだぞ!」
叱るような口調で言って、鋼のは周囲をちらっと見回した。
「爆弾テロだよ。喫茶店にしかけてあって、それが爆発したときあんたたまたまそこにいたんだ」
喫茶店?
そういえば入ったような気がする。ちょっと休憩しましょうよと提案したのはハボックだったか。
「オレ、今朝こっちに着いてさ。司令部に向かってたら、爆発すんのが見えて。来てみたらあんたがいて、びっくりした」
鋼のはそこまで言って言葉を切り、私の頬に手を当てた。ぬるつくのは血だろう。
手が汚れるからやめろと言おうとしたが、言えなかった。彼の手の温かさが、泣きたいくらいに愛しくて。
「………死んだかと思っ……だってあんた、動かなくて………っ」
金色からまた涙が溢れてきた。
「血、こんないっぱい出てるし………も、もうダメかと………」
ぼろぼろと涙をこぼす鋼のは、それ以上は言葉にならないようだった。
安心させたくて彼の髪に触れ、撫でる。血が金色を汚し、赤黒く斑に染めた。
「ハボックと中尉は?」
「軽傷だからって、今捜査に参加してる。あんたのこと頼まれたんだ、きっちり病院に連れてけって」
言われてみれば、喧騒の中にホークアイの声が混ざっている。誰かに命令しているようだ。了解、と答えたのはハボックらしい。
「……あ!こっち、こっちでーす!」
鋼のが急に立ち上がって、手を大きく振った。
「たいさ、救急車の人来たぞ!もうちょっとだからな!」
「私はあとでいい。先に重傷の者を、」
「あんたが一番重傷なんだよ!いいから黙って運ばれろアホ!」
本物の鋼のは、温かいのは手だけだ。
苦笑して目を閉じると、鋼のがそれをこじ開けてくれた。全身に加えて瞼まで痛くなってちょっと眉を寄せて睨んでみせると、彼はふいと目を逸らした。
「だって、…………さっき。目ぇ開けねぇし、なんか時々なにか言ってるし。またそうなったらと思って、怖くて………」
「なにか言ってたかい?」
「…………………」
鋼のは唇をぎゅっと結んだあと、小さく息をついた。
「…………ヒューズ、って」
「………………」
「言っとくけどな、たいさ!オレ、ヒューズ中佐が来たってそう簡単にはあんたを渡してやんねぇからな!」
闇の中の亡者が頭を過って黙った私を、鋼のはなにか勘違いしたらしい。
「だから必死に呼んだんだ!連れてかれちゃ困るし!」
「…………いや。たぶん、夢を見ていたんだよ」
真っ赤になった頬を隠すようにそっぽを向いた鋼のに手を伸ばすと、意を汲んだ彼が側にしゃがみこむ。
「きみがいる限り、私はどこにも行かないよ」
「………嘘ばっか。さっき、行きかけたくせに」
鋼のは唇を尖らせてつんと横を向いた。
「また勝手に行こうとしたら、オレ無理やりでも呼び戻すからな。それでもダメなら、オレも行く」
「…………きみは、そこがどんなところか知ってるのか?」
「知らねぇよ、死んだことねぇし」
肩を竦める鋼の。まぁ確かに、もっともな言葉だ。
「地獄だよ。……煉獄というやつだ。私はたくさん殺して、燃やしてきたからね」
一緒に来てくれるなんて。
これ以上の愛の告白は他にないんじゃないか。こんな言葉が聞けただけでも、生き返った甲斐があったというものだ。
けれど、鋼のを地獄へ連れていくわけにはいかない。彼には罪はない。私だけで充分だ。
「あんたさ、自分で言ったこと忘れたんかよ」
鋼のはそっぽを向いたまま、怒ったように言った。
「これから先一緒にって、言ったじゃん。それとももうアレ、無しになった?」
「………いや………もちろん覚えてるし、今も同じ気持ちだが」
生涯を共にしたい、という意味で言ったのであって、死んだあと地獄へ行くのまでも一緒に、なんて言ったつもりはなかったのだが。
「一緒って、そーゆうことだろ?オレ、嫌ってほど考えて、そんで一緒にいてもいいと思ったから来たんだ」
これは死亡フラグなのだろうか。
彼には、心の片隅にでも私の居場所を作ってくれればいいと、そんな気持ちでいたのに。なのに彼は、私が望む以上の気持ちで私と共にいてくれると言う。
もういつ死んでも大丈夫。
またあの闇に行っても、そのときには側に金の光がついていてくれる。
もちろん本当に道連れになどする気はないけれど、それでも嬉しくて。
私はほっと息をつき、駆け寄ってくる救急隊員を視界の端に見ながら意識を手放した。