煉獄の街





闇がだんだん薄れ、目の前がぼんやりと薄明るくなってきた頃。

なにか声が聞こえた気がして、私は足を止めた。
怪訝そうな鋼のが早く早くと手を引っ張るが、それから意識を無理やり逸らして聞き取ることに集中する。

確かに、なにか。

遠く、とても遠くから声が聞こえる。

「大佐、なにやってんの。急ごうよ、みんな待ってんだから」

焦れた鋼のが私の目の前に立ち、両手を握った。氷みたいに冷たい感触に、さっきと同じ戦慄が走る。

「…………きみは、誰だ」

「誰って。あんたよく知ってんじゃん」

目を丸くして言う彼は、さきほど確かに言った。
あの骸骨と同じ言葉を。

「誰だ、と聞いてるんだ」

「………なんでそんなこと言うの?」

鋼のは悲しげな顔で俯いた。

「しばらく会わなかったから、忘れちゃった?」

忘れない。
忘れられるはずがない。生まれて初めて、人生をかけてもいいと思えた相手なのだから。

だが、その相手はこんなふうな言い方はしない。
同情を引くように涙ぐんでみせたりもしないし、甘えた口調で話したりもしない。

なにより、さっきから聞こえるこの声が。

「……さっきのヒューズもどきも、同じことを言ったな」

「ヒューズ?なに?」

俯きかげんで私を見上げる鋼の。
その口元には、抑えきれない笑みが浮かび始めている。

「みんなが待っているというが、みんなとはいったい誰だ」

鋼のの頬に、茶色いシミが現れた。

「みんなって言ったら、みんなだよぉ」

くすくす笑いながら、鋼のはさらに強く私の手を握る。
彼の滑らかな頬から、顔全体にシミが広がった。それはよく見ればシミではなく、火傷のようだ。
やがて髪がちりちりと焦げ始めた。一緒に赤いコートも焦げていく。

「忘れたのぉ?あんた、薄情なんだなぁぁ」

そんな状態でもまだ笑う彼は、振り向いて闇の向こうを見た。
そこには、燃え盛る街があった。
炎の中を歩き回る人々がいる。みな焼け焦げ、炭化した体を引きずってふらふらとさまよっていた。
崩れ落ちる瓦礫。倒れていく人々。周囲に耐え難い臭いが立ちこめる。肉が焼け、髪が焼ける臭い。
あれには覚えがある。昔、あれと同じ光景をさんざん戦場で見た。
私の、この手でつくり出した地獄だ。

「ほらぁ、早く行かないとぉ。みんな、あんたが来るのを待ってんだよぉ」

けらけら笑う鋼のの体は、どんどん燃えて焼けていく。私の手を掴む小さな手も、じりじりと焼けて崩れていった。

「…………やめろ。鋼のの姿で、そんなのは見たくない」

思わず言うと、鋼のの姿をした亡者は口を大きく開けて笑った。闇に反響する哄笑はさっき聞いたばかりだが、やはり慣れない。目眩がして、吐き気がしてきた。

「なぁに言ってんだかぁ!あんた、他人は遠慮なく燃やしちまうくせにぃ!」

ははははは、と笑う彼は、どんどん燃え崩れていく。
なのに私は、それに手を握られたまま動けずにいた。逃げなくては、離れなくては。そう思うのに、ほとんど骨だけになった手は私を捕まえたままだ。折れそうなほどの力で握られているのに、痛みは感じなかった。今の私が、魂だけの状態だからだろうか。

ぎりぎりと食い込んでくる骨をどうしようもなく眺めていると、また遠くから声が聞こえてきた。

弱く掠れ、それでもやっと耳に届く声。

『たいさ!たいさー!』

ああ、あの子だ。

私を呼んでいる。
行かなくては。

「…………鋼の、」

応えた瞬間、目の前で燃えていた骨が砕けて散った。



戒めが解けて、私はすっと後ろへ下がった。砕けた骨は闇に広がり、溶けるように消えていく。
かわりに、闇よりさらに濃い影がふわりと浮いた。

「ちぇ、もうちょいだったのにぃ。どぉにも、あの子は苦手だよぉ」

残念そうな影は、私を見てにやりと笑った。口らしき空洞が真っ赤な色を覗かせる。それは血と同じ色をしていた。

「でも、諦めないよぉ。あんたはいずれここにまた来るんだ。そんときは絶対、捕まえてやるからなぁ」

「………………」

どう答えようかと思案しているうちに、影はゆらりと消えて。



同時に私は意識をなくした。



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