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煉獄の街





ヒューズの指差す方向を見ると、わずかに闇が薄れているのが見えた。
「あそこに行かなきゃよぉ。みんな、待ってるぜぇ」
「みんな?」
聞き返す私を無視して、ヒューズは歩き出した。ずるずると足を引きずるその歩みについて行きながら考える。

私は死んだんじゃないのか。
死者に時間など関係あるのか?
私を待つ「みんな」とは誰のことだ?今までに先立った、両親や同僚たちのことか?

ヒューズはなにも言わない。鼻歌でも歌い出しそうに機嫌のいいその顔は、歩くにつれてどんどん崩れていく。肉が焼ける臭いがさらに強くなった。

「どぉしたぁ?」

突然歩みを止めた私を、怪訝そうに振り向いたヒューズの顔は、もうほとんど骸骨だった。

「…………もう一度聞く。おまえは本当に、ヒューズなのか?」

見つめる先で骸骨がかたかた笑った。

「そぉだって言ってんじゃんよぉ。疑い深いなぁおまえはぁ」

ゆらゆらと闇が揺れる。
焦げる臭いがまた強くなる。

「ヒューズは、撃たれて死んだ」

私の声は冷静だった。

「そのまま土の中に埋葬されたのもこの目で見た。なのに、なぜおまえからそんな臭いがしてるんだ?」

骸骨は一瞬黙り、それから一歩後退った。それでも、顔はまだ笑っている。

「そんなってぇ、どんなだぁ?」

「肉が焼けて、焦げる臭いだ。ヒューズからそんな臭いがするはずがない」

そうだ。
さっき声をかけられたときに反射的に戦闘体勢をとったのも、この骸骨の声に聞き覚えがないからじゃないか。
ヒューズの声なら、何年経っていたって聞けば絶対にわかるはずなのに。

骸骨はがぱりと口を開けた。顎の骨が外れてぶら下がるのもお構い無しに、そのまま大声で笑い始める。
闇にこだまして響き渡る哄笑は、不快を通り越して吐き気すら感じた。



そうして気づけば、私はまた闇に一人で立っていた。
周囲には誰もいない。
もうあの臭いもどこにもない。
だが骸骨が最後に残した哄笑の名残で、闇はさざ波のように揺らめいていた。ぐらぐらと揺れる足元に不安になって下を見ても、床は見えない。私は闇に浮いたまま、波に押し流されるようにふらふらと揺れていた。

私は死んだのか。
ここは黄泉の国の入り口なのか。進んで行けばそこにたどり着いて、二度と戻れなくなるのだろうか。

どうして、なにがあって死んだのか。それはまったく思い出せない。ただ、一緒にいたはずの二人の部下たちが無事ならいいがと、それが気にかかった。

それと、もうひとつ。

あの金色には、もう会えないのだろうか。




いつだったか、彼が望みを叶えたあと。
銀時計を私のデスクに置き、世話になったと珍しく殊勝に頭を下げてくれた。

あのとき、つい口にしてしまったのだ。言う気もなく、死ぬまで黙っていようと思っていた気持ちを。

『よかったら、これから先私と一緒にいてくれないか』

彼は驚いた顔で私を見て、それから眉を思い切り寄せた。

『なんの冗談?』

『冗談じゃないよ。本気で言ってるんだ』

『………………』

私の目を見つめ、本気だと悟ったらしい彼は、目を逸らして俯いた。

『………考えたこと、ねぇから。ちょっと考えさせて』

困らせる気はなかったんだ。だから言わないでいようと思っていたのに。

もう彼と私を繋ぐものはなく、会う理由もなくなってしまう。言葉をかわすことすら、できなくなるかもしれない。

そう思って、焦ってしまって。




あれから彼とは会ってない。聞いた話ではリゼンブールに帰って、それからまた旅に出たということだ。
あれが彼とかわした最後の会話になるのか。
私はちょっと落ち込んだ。最後になるなら、もう少し気の利いた言葉を探せばよかった。一緒に食事でもして、笑って別れればよかったのに。
頑張れよ、とか。
元気でな、とか。
そんなふうに言って、彼の肩をぽんと叩いて。
そうしたら、彼の中に少しでもいい思い出として残れたかもしれないのに。
あれきりになってしまったら、優しい彼が気にしてしまうじゃないか。私になにも返事をしなかったことを、悔いてしまうじゃないか。私は私のせいで彼が苦しむのは耐えられない。




闇に漂いながらそんなことをぼんやりと考えていると、また後ろから声がした。

さっきの骸骨ではない。
いくぶん幼さの残る声は、私をこう呼んだ。

「大佐」

振り向くと、闇に金色が浮かんでいるのが見えた。

「は、鋼の?」
慌ててそちらへ走った。床を蹴る感覚はないのに、体は飛ぶようにして彼の側へと移動していく。
「鋼の!どうしたんだ、こんなところに」
側に行ってよく見れば、やはりそれは鋼のだった。三つ編みも赤いコートも以前のままだ。金色の瞳に私を映した鋼のは、片手をすいと上げて闇の向こうを指した。
「大佐、ここにいたらダメだよ。あっち行かなきゃ」
「え?」
戸惑って彼とその指が差す方向を交互に見る。彼の眉が苛立つようにぎゅっと寄った。
「大佐はまだ死んでないんだ。早くあっち行かなきゃ、間に合わなくなっちゃうよ!」
ほら、と私の手を掴み、鋼のはその『あっち』へと歩き出した。

そうか、鋼のは私を迎えに来てくれたのか。
では、彼のあとをついて行けば、私はこの闇から抜け出せるのだろう。

引かれるままに彼のあとをついて歩きながら、久しぶりに見る三つ編みを眺めた。肩口でぴこぴこと元気に揺れていた三つ編みは、今はまったく動かない。それは、私たちが実際は歩くのではなく移動しているだけだからだろう。



だが、鋼のはどうやってここに来たのだろう。

彼が生者であるなら、どうしてこんなにも冷たい手をしているのだろうか。




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