煉獄の街
気がつけば、私は暗闇を歩いていた。
なにも見えない。誰もいない。手を伸ばしても、なにひとつ触れるものはない。
どうして、こんなところにいるのだろう。考えたが、わからなかった。
今朝はいつも通りに出勤して、仕事をしていたはずだ。昼を過ぎてから部下を連れて司令部を出て、街を歩いていた。あれはどうしてだったか。街の視察かなにかだったのだろうか。
そこからなにも思い出せない。自分の体に触ってみたら、いまだ軍服を着ているようだ。では、視察中にどこかに迷い込んでしまったのか。それにしては部下がいないのがおかしい。ホークアイもハボックも、命令なしに側から離れるようなことはしないはず。
考えてもわからないので、私は片手を前に突き出してまた歩き始めた。墨を流したような闇でなにも見えないが、そのうちには壁かなにかに当たるはずだ。それを辿ればどこかに出口があるだろう。
そろそろと歩いているうちに、少しは目が慣れてきたらしい。自分の指先が見えてきた。
それが血塗れなのに気づいて、驚いて立ち止まる。見下ろせば、軍服も血塗れであちこち破れてぼろぼろになっていた。
顔に手を当ててみて、ぬるりとした感触に眉を寄せる。どうやら怪我をしているらしい。しかも、これはかなりの出血だ。すぐに手当てをしなければ危ないくらいの。
だが、痛みはない。軽く跳ねてみても、どこもなんともないようだ。
どういうことだ。これは私の血ではないのか?
「よーぉ、ロイ」
後ろから突然声がかかった。
私は振り向き、反射的に右手をそちらへ向けた。手袋はしていないのに、条件反射というやつか。
声の主はいつ来たのか、私の数歩後ろに立っていた。こんな闇の中にいるのに、その姿がいやにはっきり見える。まるで闇から浮いているようだ。
「おいおい、久しぶりに会った親友にそれはねぇんじゃねぇ?」
私を見ながらにやにやと笑っている男は、軍服姿でオールバック。特徴ある眼鏡に顎髭。
懐かしい顔だ。
いつか、こいつの葬式で見て以来だ。
「……ヒューズは死んでる。貴様は誰だ?」
問いながら相手の動きを見、自分との距離をはかる。ひと飛びで飛び込める間合いにいるのは相手も同じ。
さぁ、どう出る。
用心しながら一歩下がる私に、男はくすくす笑った。
「そぉだよ、死んでるよぉ。だからここにいるんじゃねぇぇかぁ」
妙に間延びした話し方。
男は私を見つめた。
「おまえだって、死んだからここに来たんだろぉ?」
「……………え、」
死んだ?
私が?
「迎えに来たんだよぉ。迷ってんじゃぁねぇかなぁって思ってよぉ」
呆然とする私に近寄ってきた男が、私の肩に手を置いた。
冷たい手。
総毛立つような思いで慌ててそれを振り払う。男は気にしたふうもなく、私の向こうを指差した。
「ほら、あっちだぁ。早く行かねぇと、時間がねぇぞぉ」
闇に反響するように話す、その声が不快だった。
が、それよりも不快なのは男の体臭だった。腐臭と、なにか焼け焦げるような臭い。男が身動きするたびに漂ってくるそれが、どうしようもなく嫌だった。
「………おまえ、本当にヒューズなのか」
臭いから気を逸らしたくて、私はすぐ側に来た男の顔を見て言った。だが、すぐにそれを後悔した。男の顔は焼け爛れていて、半分溶けたような状態だった。
「そぉだよ、親友。会いたかったぜぇぇ」
口を大きく開けて声をあげて笑う男は、本当にヒューズなのだろうか。だが、どちらにしろ生きている者でないことは確かだ。
亡者となったヒューズに迎えに来たと言われた私は、亡者の仲間入りをしたということなのだろうか。
髪や顔に触れれば、ぬるつく血の感触。
痛みがないのは、もう死んでいるからだったのか。