永遠の願い





「だいたい、来なくてよかったんだよ。あの人はずっと入院してたし、知らせさえしなければまだ点滴と仲良く繋がってベッドにいたはずなんだ」
苛立ちをおさえきれない声でハボックが言った。
「それでなくても、余命がないのに」
辛そうに言うハボックの、皺の浮いた目尻には涙が光っていた。
若い軍人は俯いて、呟くように言った。
「……奥様のために、守りに来たんだと仰っておられました」
「そうだろうさ。あの人はそういう人だ。まわりの心配なんか、知ったこっちゃねぇんだよ」
ハボックがまた煙を吐いたとき、テントの中から悲鳴のような声がした。ハボックは素早くタバコを投げ捨てると、部下に怒鳴った。
「医者が来たらすぐ案内しろ!」
言い捨ててテントに戻るハボックに、軍人が敬礼した。
来た道を走って戻る軍人を見送って、エドワードは少し迷ったあとハボックに続いてテントの入り口を入った。

テントの中には簡易ベッドが据えてあり、ランタンが吊るされていた。弱く光るそれに照らされて、寝ている男がわずかに動いた。
「大総統!しっかり!」
叫ぶように言いながらその手を握っているのはホークアイだった。男の手を握りしめる両手を見て、エドワードは知らず息を詰めた。
ホークアイの左手の薬指に、銀色のシンプルな指輪が輝いていた。
横たわる男の握られた左手には、金色の細い指輪。
結婚指輪だな、とエドワードは思った。

蒼白な顔をホークアイに向けた病人は、あの日よりも老けて痩せていた。

いつ大総統になったんだろう。いつ結婚したんだろう。記憶がない間に、いろんなことがあったらしい。
黒髪に白髪が混じり、深い皺を刻んだ顔で男はホークアイに向かって微笑んだ。
「…私の書斎の引き出しに、今後を書いた手紙がある」
「なにを言って……」
「遺書など、戦場に向かう者は誰でも書くだろう」
「だからって、そんなふうに言わないでください!まるで、まるで」
ホークアイは言葉に詰まり、ぼろぼろと涙をこぼした。シーツに落ちる涙は、シミになって広がっていく。
「きみには世話になった。ハボック、おまえもだ」
「バカですか、あんた」
ハボックは吐き捨てるように言った。
「戦争は終わった。オレたちは国境を守った。あんたは帰って、山積みの仕事をしなきゃ」
「はは、勘弁してくれ」
エドワードが覚えていたよりも掠れて嗄れた声で男が笑った。

エドワードはぼんやりと、ロイが死のうとしているその場所に立っていた。
なぜ自分がここにいるのか、まだわからなかった。ロイには看取ってくれる人がいる。泣いてくれる人が。泣けない自分は場違いなのではないだろうか。

「私は満足だよ。病気に侵された情けない私でも、守れた。だから」
「……奥様のために、ですか?」
ハボックが肩を竦めた。無理やり明るくしようとしているのがわかって、エドワードはロイよりもハボックを気の毒に思った。なりふり構わず泣けるホークアイより、辛いに違いないのに。
「そうだよ。あの子が生まれて育った場所だ。守ることができて、よかった」
ロイは満足そうに笑って、左手の指輪を見た。

あれ?
エドワードはホークアイを見た。彼女の指に輝くのは銀色だ。結婚指輪というのは普通、ペアで同じものにするんじゃないだろうか。

「そんな、そんなことで満足されては困ります!」
ホークアイはまだ泣きながらロイの手を強く握った。
「あなたにはまだ、やるべきことがたくさん…」
「ないよ」
ロイはホークアイの手を握り返してまた笑った。
「願いは叶った。ひとつだけ、まだなのがあるがね。それももうじきだ」
「…………」
叶っていない願いを、ホークアイは知っているのだろう。黙ってロイを見つめる瞳からはただ涙が落ち続けている。
「そんなに泣かないでくれ。きみの旦那様に叱られてしまう」
ロイが苦笑すると、ホークアイも少しだけ微笑んだ。
「うちの旦那様はそんなに心が狭くありません」
「そうだったな」
ロイは長いため息をついた。

「疲れたな……」

その呟きが聞こえた瞬間、エドワードは悟った。

なぜ自分がここにいるか。
なにをしに、ここに来たのか。

足元から頭の先へ、恐怖が走り抜けた。
目を合わせてはいけない。気づかれてはダメだ。

逃げなくては。

早く、
ロイが自分に気づく前に。




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