知らない世界の、知らないきみと
◇◇◇◇
「………はじめまして、だな」
「ああ」
同じ顔の男と対峙する。本当に、そっくりだ。寝癖のついた髪型まで同じ。正直、気味が悪い。
「今まで、おまえの部屋にいたが」
男が眉を寄せて言う。
「少しは掃除をしたらどうだ。あと、もう少しマシな家具を買え。マンションは立派なのに、室内が残念すぎるだろう。鋼のが可哀想だ」
鋼の、とは、この男がエドワードを呼ぶときの愛称だと聞いていた。なんだってこんな厳つい名前にしたんだ。天使とか妖精とか、そう呼んだほうがぴったりだとは思わないのか。
「余計な世話だ。おまえこそ、成金みたいな悪趣味な部屋はやめろ。かえって居心地が悪かったぞ」
「それこそ余計な世話だ。あの家具は家具屋が選んだもので、私じゃない」
不機嫌な顔の将軍。多分私も同じ顔をしているだろう。
「……貴様、鋼のになにかしなかっただろうな?」
睨んでくる男を、睨み返す。
「それは私の台詞だ。貴様こそ、エドワードに余計な真似はしてないだろうな」
真っ暗なのに、お互いの表情はわかるとは。さすがは夢、なんでもありだな。
しばらく睨み合ってから、同時にふぅと息をつく。
「しかし今朝は驚いた。いきなり知らない世界にいるんだからな」
男も頷いた。
「まったくだ。まぁ、おかげで1日貴重な体験をさせてもらったが」
「私もだ。朝からサインのしすぎで、目はちかちかするし手は痛いし。おまえ、よくあんな仕事を毎日やってるな」
「お互い様だろう。私は全身が筋肉痛だ。おまえも、よくあんな仕事を選んだものだと感心するよ。……でも、」
男がふと笑う。
「ヒューズに会えたのは、嬉しかったな」
そうだ。こいつの世界では、ヒューズは死んでいたんだった。
「元気で、と伝えてくれ。グレイシアを大事にしろよ、と」
「わかった」
頷くと、男は歩き出した。私が来た方へと、迷いなく歩いていく。
私も歩き出した。
男が来た方向。そこに私のいるべき世界がある。
エドワードが、そこにいる。
「あ、あとひとつ」
後ろから、男の声がした。
「先に謝っておく。……すまん」
なにをしたんだ、おまえは。
「私もひとつ言っておく」
言うと、男が立ち止まった。
「エドワードに、あんな顔をさせるな」
「………あんな顔、とは?」
「派手な女性関係を自慢したいなら、離婚してからにしろと言ってるんだ」
「………………鋼のが、おまえになにか言ったのか」
「なにも言わないから心配なんだ。きっといつか爆発するぞ。捨てられる前に、自重しろ」
「………………………」
黙ったままの男をそのままに、私はまた足を踏み出した。
エドワードのいる方へと歩く足は次第に早足になって、ついには駆け足になる。
金色の光が、はるか先に見えた。
「エドワード!」
そして、私は目を開けた。
◇◇◇◇
「なに?」
隣で寝ていたエドワードが、寝ぼけた顔で私を見る。
見慣れた天井。見慣れた部屋。少しきれいになっているのは、エドワードが片付けてくれたんだろう。
「なんだよ、いきなり大声でひとの名前呼んだと思ったら、次はぼーっとして。熱でもあんの?」
怪訝な顔のエドワードを、手を伸ばして抱きしめた。驚いて目を丸くしていたエドワードが、恐る恐る私を見上げる。
「……もしかして、ロイ?」
「ただいま、エドワード。会いたかったよ」
「…………………」
なにも言わないエドワードの瞳から、涙が零れる。
それを拭い、また抱きしめて。
それから携帯を取って、ヒューズに電話をかけた。
「生きてるか?」
『……朝っぱらから不吉な挨拶だな』
よかった、生きてる。
本当に、戻れたんだ。
夢であいつが最後に言った言葉の意味は、出勤してわかった。
「………なんだ、この傷は」
曲がった柵。へこんで削れた車体。割れたマーカー。
一発、殴ればよかった。
と思っても、あとの祭りというやつで。
その後、たこ焼きを見るたびに「鋼の」を思い出してしまうのは、エドワードには内緒だ。
◇◇◇◇
「鋼の!」
「うわぁ!」
目覚めた私は周囲を見て、そこが自分の世界の自分の部屋であることを確認した。
そしてベッドを見下ろせば、隣で眠る愛しい金色。
「ほんとに、たいさなんだな?」
抱きついた私に往復ビンタをくれた鋼のが、じっと見つめてくる。
「何度も言ってるじゃないか、私だよ!きみの最愛の夫、ロイ・マスタングだ!」
ひりひりする頬を両手で押さえながら訴えると、鋼のはようやく頷いた。
「そういうアホなこと平気で言えるのはたいさだけだからな」
どういう意味なんだ。
朝食を終え、出勤するときになって、私は車の鍵を手にとった。
「行ってくるよ」
「あれ?車で行くの?」
「たまにはいいだろ。そうだ鋼の、今日帰ったらドライブでもどうだ?」
「……ドライブ………?」
驚く鋼の。それはそうだろう、今まで私は車を運転するのをなるべく避けていたんだから。
夢で会った、あいつの言葉が蘇る。朝食のあとで身支度をするふりでリビングを見回したら、週刊誌が置いてあった。トップの見出しは、私が女性と密会してるとかなんとか。
鋼のは今まで、そういう記事を気にした様子を私に見せたことがなかった。だから私も、気にしていなかった。この子はわかってくれているんだ、そう勝手に思っていた。
あいつに言われるまでなにも気づかなかったなんて、私は本気でバカかもしれない。
「休みにはどこか行こうか。予定を考えておいてくれ」
言いながら車に乗る。鋼のは相変わらず目を真ん丸にしたまま、返事をするのも忘れているようだ。
自分の車のエンジンをかけるのは久しぶりだが、なんだか物足りない音しかしない。次はもっと大きな車にするか。いっそトラックとかどうだろう。今ならきっと、上手く運転できる気がする。
そんなことを考えていたら、鋼のがくすりと笑った。
「なんか、あんた変わった?昨日のたいさと混ざっちゃったみたいだよ」
やめてくれ。あんな能天気な薄ぼんやりと混ざるなんて、冗談じゃない。
けれど、笑顔の鋼のに見送られて朝の空気の中を走るのは、なかなか快適で気分がよくて。
上機嫌で車を停め、司令部へ向かう。
こんなに車を運転することが楽しいとは、知らなかった。新しい趣味を発見したような気がする。これからは休みは毎回ドライブに出かけることにしよう。鋼のと二人で、弁当とか持って。
あいつと入れ替わったことも、悪くはなかったかもしれない。
そんな感じでドアを開け、1日ぶりの職場へと足を踏み入れると。
私のデスクには、書類がいまにも崩れそうな勢いで積まれていた。
「な、なんだこれは」
尋常ではない量に思わず後ずさる私に、ホークアイ中尉が敬礼する。
「おはようございます准将。昨日こっそりお逃げになられましたので、業務が滞っております。すぐに働いてください」
「に、逃げた……?」
「テロリストを捕縛したとき、あとの処理などで書類にサインが必要だとお聞きになったはずですよね?」
「テロリスト?いや、昨日の私は私ではなく……」
「どちらの准将だろうが、業務に関係はありません。さ、お早く」
「いやしかし。私はなにも」
「うるさいわね、おかげでこっちは明け方まで残業だったのよ。さぁさっさと席に着いて、働け」
「……………はい」
寝不足でご機嫌最悪な中尉に逆らえるはずもなく、椅子に座る。
一枚取ったら他が落ちる、そんな紙の山を前にして、ペンを握って。
夢の中で、あいつにせっかく会えたんだから。
一発、殴ればよかった。
いまさらそう思っても、あとの祭りというやつで。
その後、小さなトラックを見かけるたびに「エドワード」を思い出してしまうのは、鋼のには内緒にしておこう。
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