霧の向こうへ



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リクエストとか
霧の向こうへ




ぼんやりと時を過ごしたあと、ロイは突然働き始めた。今までにないスピードで書類を捌き、仕事をこなす。副官が驚いた顔をしたが、そんなものを気にする余裕はなかった。
「これから先、私の休みは2日以上の連休にしてくれ」
「なにか予定がおありですか」
不思議そうに聞く副官に、ロイは頷いてみせた。
「大事な用事がある」

エドワードを探す。
もう一度あの世界に行って、今度こそ連れて帰る。

ブレダやハボックを連れて出たり、一人で出たり。
そうやってロイは霧を探した。深く暗い森を歩き回った。自分がおかしくなってしまったんじゃないかと不安にもなったが、探すのはやめなかった。

あの金色が欲しい。
頭の中にはそれだけしかない。



あの霧があった場所には何度も行った。他にも色んなところへ行った。
それでも、あの世界にはたどり着けない。








ため息をつきながら司令部を出て、ロイは一人で歩いていた。
また来週には連休を取っている。そのため残業続きで、毎日帰宅は深夜を過ぎていた。
誰もいない街を俯いて歩く自分は、さぞかし疲れきっているように見えるだろう。自嘲気味に笑って、それから頭に地図を浮かべた。まだ行ってない場所がある。濃い霧が有名な湖だ。そこなら深い森もある。
野営の準備をしなくては、とロイは自宅にある装備一式を思い浮かべ、足りないものはないかと考えた。もうすっかりキャンプにも慣れた。金色を探し始めてから2年が過ぎていて、その間数えきれないくらい森にテントを張って眠ったのだから。今なら趣味はキャンプですと胸を張って言えるなとロイは苦笑した。

あと何度繰り返せばいいんだろう。

あとどれくらい経てば、彼の言った『いつか』が来るのだろうか。

諦める気はなかったが、弱気にはなる。手がかりなど皆無で、誰かに相談することもできない。時折手伝ってくれるハボックとブレダも、もう一度あそこに行けるとは露ほども信じていないようだった。






とにかく早く帰って眠らなくては。ロイは足を早め、歩き慣れた道を自宅へと急いだ。
いつも曲がる道を曲がる。
そこから、自宅が見えるはずだった。


だが、曲がった先に広がるのは真っ白な霧。


「…………まさか、」

ロイは霧の中に駆け込んだ。走って走ってそこを抜ける。霧で髪や服が湿り、顔を水滴が伝う。
そんなものはどうでもよかった。

霧が晴れた目の前には、深い森と高い塔が見えていた。



「エドワード!」

叫んで走り出した。通り過ぎるときに塔を見ると、いつか自分が壊して作った出入口がそのまま存在していた。

確かにここだ。

では、彼はどこだ。

森の反対側へ抜ける直前、視界の端をきらりと輝くものが掠めた。
駆け寄って見ると、それはあの長い長い三つ編みだった。途中から切られている。長い間放置されていたらしいその三つ編みは泥に汚れていたが、それでもまだきらきらと輝いていた。

「……エドワード!」

なにがあった。なぜ髪だけがこんなところに落ちているんだ。
彼はどこなんだ。
無事、なんだろうか。

不安に潰されそうになりながら少年の名前を呼び続けた。三つ編みを握ったまま、森を出て見覚えのある集落に着く。だが、老婆の家がどれなのかはわからなかった。

「エドワード!どこだ!」
闇雲に走り、声を限りに叫ぶ。集落中の住人が起きてしまうかもしれないが、知ったことじゃない。
ロイは走り、集落を抜けて反対側の森の中へ入った。
そこは以前は来なかった場所だった。木は少なく、奥のほうに湖らしき水面が見える。明るいときなら美しい場所だろうが、真夜中の今は静かすぎてかえって不気味だった。
湖の畔に出て忙しく周囲を見回す。誰もいない。微風が水面を揺らしているだけだ。
「エドワード!私だ、ロイだ!」
いるなら早く出てきてくれ。願いを込めて叫ぶと、近くで木ががさっと音を立てて揺れた。

「………あれ?」

驚いた声が聞こえてきて、ロイは木の上を見上げた。

「誰かと思った。って、えーと。誰だっけ」

太い枝に座ったエドワードが、金色の瞳を思案するように細めてこちらを見下ろしていた。

「…………ロイだよ」

「あー……顔は覚えてんだけど」

エドワードは笑って、身軽に木から飛び降りた。
「猿か、きみは」
「猿ってなに?」
背中の中ほどくらいまでに切られた髪は、纏められずにさらさらと肩に流れている。それへ手を伸ばし、ロイはその柔らかな感触に驚いた。シャンプーもリンスも存在しない世界で、どうすればこんなに美しい髪が保てるのか。
「髪、どうしたんだ。来る途中に落ちていたから、なにかあったのかとびっくりしたぞ」
「ああ、あれ。切った」
エドワードは明るく笑った。
「どっか行こうとするたび引っ掛かって邪魔だったからさ、ババアに包丁借りて自分で切ったんだ」
「…………包丁か」
なんてワイルドでアバウトな子なんだ。
「えーと………ピン子さんだったか?元気なのか?」
「誰それ。ピナコばあさんなら元気だよ」
ああそう。そんな名前だった。
「ピナコさんの家に連れて行ってくれないか」
エドワードは気軽に頷いて歩き出した。その足が裸足なことに、今さらながら気づく。塔から出ることがなかった子供には靴は必要なかったんだろう。
「靴、買ってやらなくてはな」
「靴?皆が履いてるやつ?」
くれるの?嬉しいな。
素直に笑うエドワードが可愛くて愛しくて、ロイは手を伸ばして小さな体を抱きしめた。
「な、なにすんだ!」
真っ赤になって慌てるエドワードは、こんなふうに抱きしめられたことがないに違いない。ロイは笑って、金色の頭にキスをした。





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