霧の向こうへ






だが、その話が自分たちを追い返すための作り話だとしたら。
まるで童話の世界のようなこの村でそんな話を聞かされれば、もしかしたらと信じてしまいそうになる。それほどに舞台が整いすぎていた。
「塔に上がってみてもよろしいですか」
ロイは笑顔で言った。いつでもはじくことができるように、手袋はつけたままだ。老婆が少しでも不審な表情をすれば、脅してでも塔の入り口に案内させるつもりだった。静かすぎる家々には老婆の仲間が潜んでいるかもしれない。今も、すでに囲まれているかもしれない。
だがロイの予想に反して、ピナコは肩を竦めただけだった。動揺も迷いも見られない。
「入れるもんなら入りなよ。あたしも、できればあの子を塔から出してやりたい」
「……………」
「でも。この世界はひどく脆いんだ。ちょっとしたことで歪みができる。そしたら、どうなるかわからないよ」
3人はお互いを見た。ハボックはもう今すぐにでも車に戻りたいと目で訴えている。ブレダは慎重になにかを考えていて、多分それは自分とだいたい同じだろうとロイは思った。
「とりあえず、入らせていただきます」
意を決して立ち上がる。部下たちもそれに続いた。
「頑張りな」
老婆は止めなかった。
外に出ても、誰の気配もしない。囲まれていないことがロイには驚きだった。

まさか、本当の話なのか。

首を振って疑念を追い出して、3人は森の向こうに見える塔へ向かって歩き出した。明かりはまだついていて、灯台のようにロイたちに道を教えてくれていた。






塔に戻ってまた石壁を探る。出入口は見つからない。
「下がれ」
ロイは手をかざした。規模を抑え、小さく指を鳴らす。青白い火花が飛び、衝撃とともに壁の一部が吹き飛んだ。
「へぇ、丈夫なもんだな」
ブレダが塔に近づいて壁を叩いた。揺れはしたが、崩れる気配はない。
「行くぞ」
短く言ってから、ロイは爆発でできた空洞に滑り込んだ。部下たちも慌ててあとを追ってくる。油断なく武器を構えて周囲を見回すが、暗い内部には人の気配はしなかった。壁に沿った階段が上へと続いている。床は埃にまみれ、長い間歩く者がいなかったことを示していた。
ゆっくりと階段を登る。時々途中に休憩所だか知らないが踊り場が設けられていて、木の椅子があったりなにかの布が落ちていたりした。軍靴の音だけが空洞に響き、気が遠くなりそうなほど上のほうにわずかに明かりが見える。
「大佐、オレちょっと休憩……」
まずブレダが座り込んだ。
「おまえ太りすぎだっての」
それを笑ったハボックが次に座り込んだ。
呆れてみせて上を目指すロイも、正直限界だ。汗が目に入ってちかちかする。重い足をどうにか持ち上げながら、老婆が言った言葉を思い出した。
『昔は兵隊が代わる代わる見張りに立っていたもんさ』
それが本当なら、代わる代わるこれを毎日登ったということか。どんな足をしていたんだそいつらは。ていうかエレベーターをつけるべきではないのか、こういうところには。最近は2階や3階しかないマンションでもエレベーターがついているというのに。ああ、だから現代人は足が弱くなったのか。自分は都会派だからな、足を使うことなんてないしな。うむ、次の演習プログラムにはこういうのを入れてもいいかもしれん。皆が今の自分と同じくらい苦しんで登るのを端から眺めるのはさぞ楽しいだろう。
くらくらする頭でとりとめのないことを考えているうち、ようやく最上階まで来た。完全に息があがって、膝ががくがくしている。
中にテロリストがいたら、遠慮なく全員炭にして叩き落としてやる。そう決心して、ロイは勢いよくドアを開けた。

「…………………」

「あんた、誰?」

中にいたのは、金髪を三つ編みにして長く長く伸ばした少年だった。



きょろきょろと見回すが、そこには少年しかいない。粗末なベッドがひとつあるきりで、床には本が散乱している。誰かが隠れていそうな雰囲気はないし、隠れる場所もなかった。

「きみは、……………」

問いかけようと少年を見て、ロイは言葉をなくした。
少年はまっすぐにロイを見つめて立っていた。その大きな金色の瞳に、射竦められたような気がした。

「……………私は、ロイ。きみは?」

「エドワードだよ」

ロイの動揺も知らず、子供は無邪気に笑ってみせた。

「誰かをこんなに近くで見たの、初めてだ」

その言葉を聞いた瞬間、ロイは確信した。

あの老婆の話は本当だ。
この子は、生まれてから今までずっと、ここにいたんだ。

確信したと同時に、では一刻も早く帰らなくてはと焦った。霧が晴れたら道は途切れ、自分たちはこの世界から出られなくなってしまう。

「なぁ、どっから来たの?オレもそこから出れるのかな」

少年はロイの横を通りすぎ、ドアから下を覗きこんだ。長い髪がずるずると床を這う。多分、一度も切ったことがないのだろう。美しく長い髪は弱い蝋燭の明かりにきらきらと輝いていた。
「大佐ぁー!無事ですかぁー?」
下からハボックの声がして、少年がまた驚いた。
「他にも人がいるの?」
振り向いて問われたが、答える余裕はロイにはない。

帰らねば。
そう思って焦っていたのは確かだが。

それ以上に、すぐ近くにいるその金色の少年を抱きしめたい衝動と戦うのに苦労していたからだった。




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