一寸兄さんの冒険





ロイの手の力が緩んだ隙にそこから抜け出したオレは、ダッシュで小槌に駆け寄ろうとした。
だが、そのオレをまた捕まえた奴がいた。がしっと握られて持ち上げられ、畳がはるか遠くなる。
噛みつく前に確認しようと振り向くと、オレを捕まえたのはリザだった。
「今のお話は、どういう意味なのかしら」
きつい目でロイを睨むリザの後ろに、ジャンが立っていた。片方の頬っぺたが赤くなっている。
「エドワードくんをここに残してきたってジャンが言うから、急いで迎えに来たのよ。マスタング様、もう一度今のお話を聞かせていただけないかしら」
ああ、なるほど。オレを置いてきたって言ったもんだから、ジャンはビンタをくらって頬っぺたを腫らしているというわけだ。
女に噛みつくことはできない。オレは仕方なく暴れるのをやめてロイを見た。ロイは肩を竦めて苦笑している。角はもうなかった。
「戯れ言で遊んでいただけですよ。あなたが気にされることではありません」
「そう。じゃ、エドワードくんは返していただくわ」
ええっ。
オレは慌ててリザを見上げた。ちょっと待って、まだ小槌を試してないのに。
「いやいや。彼は私が気にいったようでしてね、まだしばらくここで遊びたいようですよ」
ロイはリザをまっすぐ見て唇の端で笑った。リザはオレを見下ろす。オレはなんと返事をしたものかと途方にくれた。ロイを気にいってはいないし遊びたくもないが、小槌をそのままに帰るのは嫌だ。
「上様、お式の話などはされましたか。いろいろ相談しなくてはならないこともおありでしょうし、もう少しお二人で話をされたらいかがですか」
「………ああ、うん。まぁそうなんだけど」
ジャンは歯切れ悪く頷いて、殴られた頬っぺたを撫でた。リザに目を向けるが、睨むような視線を返されて慌てて逸らす。早くも尻に敷かれているらしい。
「話し合うことなんてないわ。私はもう帰ります。あなただってお仕事がおありでしょう」
リザはロイを睨んだ。
「鬼の王様なら、たくさんお仕事があるんじゃなくて?」
「………はは。子供騙しの戯れ言を本気になさるとは、あなたらしくありませんね」
ロイは怯んだ様子もなく、手にした小槌をまた机の下に戻した。
「あ!ちょっと、それオレにくれるんじゃなかったんかよ!」
焦るオレに、ロイがくすりと笑う。
「欲しければ、また遊びにきなさい。いつでも歓迎するよ」
「また、じゃなくて今欲しい!寄越せ!」
「エドワードくん」
「ぐぇ」
リザがオレをぎゅっと握りしめた。苦しさでおとなしくなったオレに、リザが諭すように言う。
「あんなおもちゃ欲しがってどうするの。だいたいあなたのサイズではあれは持ち上げることもできないでしょ?トンカチが欲しければ、帰ってから探してみてあげるわ」
「探すって、」
「確かリカちゃん日曜大工セットにあったはずよ。ペンチとかノコギリなんかと一緒に」
なんで女の子が遊ぶ着せ替え人形にそんなのがあるんだよ。
「さ、行きましょう。マスタング様、減税のことよろしくお願いしますね」
「……さぁ、それは」
「国民にばかり負担を強いていては、いずれ国が滅びてしまうわ。それくらい、あなたならおわかりでしょうに」
リザはロイの目を見つめてにっこり笑った。
「戯れ言ではなく、本当にこの国を乗っとるために来たならともかく。そうじゃないならできますわよね?」
「………敵わないな」
ロイは苦笑して頷いた。
「まぁ、考えてはみます。それでよろしいでしょうか?リザ様」
「今のところはね。では、失礼します。さ、ジャン!行くわよ!」
リザはオレを掴んだまま、ジャンを促して部屋を出た。振り向いて見ると、ロイはオレを見つめていた。目が合ったことに気づくと、奴は小槌をちらりと出して見せた。にやりと笑うその意味は、欲しければあとで一人で来いということなんだろう。

もちろん欲しい。リカちゃんの大工セットでは身長は伸びないんだから。

ジャンの部屋に戻って、リザは座りこんでほっと息をついた。
「心配したわ、エドワードくん。なにもされてない?大丈夫?」
「え。う、うん」
別にケガもしてないし、どこもなんともない。
そう言うとリザは首を振った。
「そういう意味じゃないのよ。あのマスタングっていう人、絶対怪しいわ」
「おいリザ。まさかあの鬼がどうとかいうの、信じてるわけじゃねぇよな?」
側に座ったジャンが呆れたみたいに言った。

ジャンは信じてないらしい。ロイは二人が入ってくると同時に角も牙も隠してしまったから、わからなくても仕方がないかもしれないが。

鬼なんて、昔話やおとぎ話に出てくるだけの空想の妖怪だと思っていた。
しかもそういう話では、最後は必ず鬼は退治されて人間の勝ちで終わる。鬼は死ぬか改心するかして、人間に役立つことをしたりするんだ。

なのに、現実は違った。鬼は強くて頭もよく、人間に紛れこんで周囲を騙す。黒い瞳は底なしの沼のようで、光も通らないその奥になにか狂暴なものが潜んでいた。

敵うわけがない。
リザやジャンが殺されて食われてしまうのを見るのは嫌だ。

「リザ、あれはあいつの作り話だよ。鬼なんているわけないじゃん」
無理に笑ってみせるオレに、リザは首を振った。
「それじゃないわ。鬼かどうかはともかくとして、あのマスタングはあなたを狙ってると思うの」
「………は?」
「あの目は、絶対よ。あいつ変態でショタコンなんだわ!」
「はぁぁ?」
オレとジャンが目を丸くして見つめるのもお構い無しで、リザは拳を握ってロイの部屋のほうを見た。
「エドワードくんをあいつの魔の手に落とすわけにはいかないわ!絶対守ってあげるからね、エドワードくん!」
「…………はぁ」

意味がよくわからない。
が、リザが張り切っているのだけはよくわかった。

守ってくれなくていい、とも言えなくて。

オレはため息をついて畳を見た。
どうすれば、邪魔が入らずに小槌のところへ行けるだろうか。





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