一寸兄さんの冒険





「ずいぶん久しぶりだな、リザ」
入るなり上座から声がかかった。オレは今はお人形なので、そちらを見るわけにはいかない。声からすると、わりと若い男のようだ。
「本当に。お元気でしたか」
澄ました声で返事をして、リザが座敷の真ん中に座った。
「今日は可愛い連れがいるんだな」
オレのことらしい。
どこかが開いているらしく、わずかな風に乗って酒の匂いがした。昼間から飲んでいるとは、さすが殿様だ。いいご身分だよ。
「ええ。お気に入りですの」
「私よりもか?」
「お戯れを。あなたにだって私よりもお気に入りな女性がいらっしゃるのではないですか?」
「縁談が決まってからは全部別れたさ。私はきみしかいないよ」
「あら。世界一信用できないセリフですわね」
リザは笑ったが、こめかみがぴくりと動くのが見えた。ムカついたらしい。美人が怒ると怖いというが、確かにそうだと実感した。
「ところで。今日はお伺いしたいことがありますの」
リザは背筋を伸ばして殿様のほうを見た。
「最近、また税金を増額なさったそうですわね。おかげで地方の村では生活できなくなった者もいるとか。どうしてそんなことをなさるのですか」
オレの代わりに質問してくれたリザに、殿様は笑った。
「女が政治に口を出すものじゃないよ」
「それは答えになってませんわ」
真面目な顔できつく殿様のいるほうを睨むリザの目は、真剣に答えを待っている。
「自分の住む国のことですもの、疑問を持つのは当たり前でしょう。お答えにならないのは、どうしてでしょうか」
リザはそこまで言って、声を潜めた。
「………政を、新参の大臣に任せ切っているというお話は本当なのですか」
大臣に?
オレは思わず顔をあげてしまい、それから背後の気配にびくりとして固まった。
殿様は立ち上がり、こちらに近づいてきていた。
もしかして動いたのがバレたか。オレは嫌な汗を額に滲ませてじっと様子を伺った。
「………そんなことはどうでもいい」
殿様は近づいてきて、いきなりリザの腕を掴んだ。
リザがそれを払いのけようと手を動かしたおかげで、オレは畳に投げ出されてしまった。が、それどころじゃない。殿様はどうやらリザに乱暴を働く気らしいと悟ったオレは、スカートの下に隠した縫い針を抜いた。
「離してよ!」
リザは逃れようとするが、男の力にかなうはずがない。畳の上に押し倒されそうになっている。
オレは畳を蹴って跳んだ。
「リザを離せ!」
「いてっ!」
殿様の足に縫い針が刺さる。びっくりした殿様がきょろきょろして、それから畳の上にいるオレに目を止めた。
「…………なんだ、これ」
殿様がオレに手を伸ばす。それより早く、リザがオレを掬うように拾いあげた。
「お気に入りだって言ったでしょ?私のボディーガードなの」
少し髪は乱れてしまっているが、リザは落ち着きはらっている。オレを胸に抱いて、目の前の殿様を睨みつけた。
「変なことしたら、痛い目みるわよ」
「………………」
殿様は真ん丸な目でオレを眺めた。オレはもう人形のふりはやめていて、縫い針を片手に殿様を睨んでふんぞりかえってみせた。
「………痛い目なら、もう今あったよ」
肩を竦めて座り込み、殿様はオレに刺された足を眺めた。ほんのちょっぴり血が出ている。
「おまえ、何者だ?」
「リゼンブールから来た、エドワード・エルリックだ。とりあえず以後よろしく」
「あ、ども。よろしく」
殿様は意外とフレンドリーだった。



「私とこの人は、幼なじみなのよ」
リザがオレを膝に座らせて説明してくれた。殿様は足に絆創膏を貼るのに忙しい。
「小さい頃はよく一緒に遊んだの」
「そう。リザは大きくなったらお嫁さんになってくれるって約束してくれたんだぞ」
殿様は頷いて言った。
「なのに、いざ本当にお嫁にもらおうとしたら嫌がるし……」
「当たり前でしょ。あなたみたいな遊び好きな人はお断りだわ。あの大臣に完全に言いなりにされてるじゃない」
「けどよ………」
殿様は唇を尖らせた。拗ねたらしい。
「オレには政治の才能なんてねぇし。言う通りにすればうまくいくって言うから………」
「殿様はあなたでしょう。大臣なんかの言いなりになってどうするの」
呆れたようなリザの目が、上座に置かれたままの酒を見た。
「昼間っから飲んで、慣れない口調でしゃべって。全然あなたらしくないわ。こんなあなたは嫌いよ」
「………ひでぇ」
しょんぼりした殿様は、すっかり酔いが醒めた様子だった。どうやらもう乱暴することはなさそうだ。オレは縫い針をしまって殿様を見た。
「なぁ、その大臣て誰?」
殿様はオレを見下ろして、タバコを出して火をつけた。
「ロイ・マスタングっていうんだ。5年くらい前によその国から来たらしいんだけど、頭がよくて行動力もあるんで、すぐに出世したんだよ」
「へぇ……」

ロイ・マスタング。

諸悪の根源はそいつらしい。オレは殿様を見上げた。
「なぁ殿様、そいつ今どこ?」
「あー、ジャンでいいよ。オレはジャン・ハボックってんだ」
殿様はすっかり素に戻ったらしい。人懐こい笑顔でオレに右手を差し出した。握手をしようということらしい。オレは両手のひらでジャンの人差し指をぎゅっとした。
「……可愛い!エドワードくん、私も握手して!」
リザが指を差し出してくる。オレが握ると、悲鳴みたいな歓声をあげた。正直この握手は屈辱なのだが、リザが喜んでいるなら耐えなくてはならない。

ていうか。

もしかしてこの二人、お互い好きなの?両想いってやつ?

殿様気取りをやめたジャンは気さくでいい奴で、リザも文句を言いながらもなんだか満更でもなさそうだ。

さっきのは余計なことだったのかもしれない。

てかオレ、今邪魔だよね。

もっとしっかりしないとお嫁に来てあげないわよ、なんて説教するリザの声を聞きながら、オレはなんとなく畳をむしってみたりして下を向いていた。



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