魔法の鏡





もう一度、これを見る日が来るとは思わなかった。

受け取った拝命証と銀時計を、感慨深く眺めた。
銘は焔。昔一度もらった名だ。

同時に、国家錬金術師に相応しい地位に昇格する辞令をもらった。
その地位が自分に相応しいかどうかは別として。

「……これは、」
目の前の司令官を見る。
辞令書に書かれた新しい地位は、中佐。
「いやね、こないだのきみの活躍を上に報告したときにね」
司令官は笑って、椅子にもたれてタバコの煙を吐いた。
「ちょっとこう、大袈裟に言ってみただけなんだ。ちょっとだけだがね」
「………いや、しかし……」
国家錬金術師が軍に入隊したときに与えられる階級は、普通は少佐だ。実際自分もそうだった。
それが、中佐とは。
「いいじゃないか、地位はひとつでも高いほうが」
のんきに言って灰を窓の外に落とす司令官に、美しい副官が咎めるように咳払いした。
「ああ、すまん」
露ほどもそう思っていない顔で副官に謝罪した司令官は、またこちらに目を戻す。
「まだ辞令はきてないがね。私はもうすぐ、中央に異動になるんだ」
「中央に………」
「部下は連れて行くよ。だから、きみはきみの部下を自分で選びなさい」
自分の部下。
また、指揮をとる立場になるのか。
不安が顔に出たらしく、司令官は声をあげて笑った。
「エドは置いて行く。あの子と一緒に、ここを頼んだぞ」
「ここを?」
「そう。次にこの椅子に座るのはきみだからな」
「………………いや……私に、そんな………」

錬金術は、この間のあれで使えるようになった。だからこそまた資格を得ることができたわけだが、司令官になるなんてことは想定外だ。とても自分に務まるとは思えない。

「まだ、無理です。私は……」
「できるよ」
あっさりと、自信たっぷりに司令官が言った。
驚いて目線を移すと、副官も優しく微笑んでいる。
「あなたには、信頼できる仲間が必要だと思うの」
澄んだ青い瞳でそう言われて、動揺した。
仲間。
部下ではなく?
「部下だけど、仲間。お互いに命を預けられる存在。そういう人があなたの側にいれば、きっと変われるわよ」
穏やかな口調は確信に満ちている。
変われるだろうか。
いまだ手袋をはめた指を擦ることに躊躇いと恐怖を覚えてしまう、この弱い自分が。
「怖くていいんだ、マスタング」
司令官がタバコをくわえて言った。手にはペンを持ち直し、書類を手元に引き寄せながら。
「恐怖を知っていれば、守る力が強くなる。私も、あの内乱でそれを学んだよ」
「………………」

怖くていい。

そんなこと、初めて言われた。

それから書類に没頭し始めた司令官に、敬礼をして執務室を出た。異動が近いのなら、忙しいのだろう。

部屋の外に、エドワードが立っていた。
「大佐に用なら、私はもう終わったから…」
そう言うと、エドワードの眉が寄る。
「オレはあんたを待ってたんだけど」
「え。そ、そうなのか」
敬語を使わないで話すことになかなか馴染まないのと一緒で、彼が自分の恋人だという現実をなかなか実感できないでいる。
これでは、エドワードに愛想を尽かされてしまいそうだ。
慌てて小さな手を取って、昼食なら一緒に行こうと囁いた。もちろん彼が好きな笑顔も添えて。
真っ赤になった彼は、つんと横を向いたまま手を強く握り返してきた。

この子と一緒なら、大丈夫かもしれない。

司令官があの美しい副官に支えられて頑張れるのと同じで。




それから、部下を選考した。

選んだ部下は5人。
新しく与えられた執務室に呼び出し、エドワードと一緒に顔を合わせた。一人はまだ入院していたので、残りの4人がそこに集まった。皆この司令部に勤務はしていたが、たいして知り合いでもないようだった。
「よろしくお願いします」
にこにこと敬礼したのは、無線係だった男。フュリー曹長。
「よろしくお願いいたします」
真面目な顔を崩さないのは、救急車が来たと呼びに来た男。ファルマン准尉。
「あんたが上司になるとは、びっくりだよな」
タバコをくわえたまま笑って敬礼したのは、落ちてきたエドワードの下にクッションを突き飛ばした男。ハボック少尉。
入院しているもう一人は、もちろんそのクッションだ。ブレダ少尉。あばらが折れていたらしく、あと少し復帰が遅れる。
「私、事務仕事は嫌です。実戦に配置していただきたいわ」
無表情でそう言ったのは、テロリストを撃った狙撃兵。ホークアイ中尉。女性だとは思わなかった。地位は彼女が一番上だし、副官の仕事はこのホークアイ中尉にまわるだろう。

「私はロイ・マスタング。地位は中佐。焔の錬金術師だ。よろしく」

皆が背筋を伸ばしてもう一度敬礼した。

ちらりと見ると、エドワードも敬礼していた。それを見て笑うと、また拗ねてしまった。機嫌をとるのが大変なのに。








官舎から一戸建てに引っ越したのは、エドワードと一緒に暮らすためだ。あのテロリストの事件でエドワードとの仲はもう公認になっていて、新しい部下たちからはずいぶん冷やかされた。

片付けをしていたエドワードが、書斎を整理していた自分のところへ走ってきた。何事かと思って振り向くと、彼の手にはあの鏡があった。

「なぁロイ!これ、新しい鏡を入れたら使えるよね?」

「…………ああ、うん」

エドワードをずっと見つめていた鏡。
雪山に一人で暮らしていたときから、ずっと見ていたもの。

「もったいないじゃん、絶対これ骨董品だよ」

鏡面がなく、役にたたない鏡を大事そうに抱えて、エドワードは力説した。彼は貧しい家に育ったのだそうで、物は大事にしなさいと母親にさんざん言われたのだそうだ。

「………きみは、魔法の鏡というものを信じるか?」

「はぁ?」

目を丸くするエドワードに、当然の反応だと思った。
自分だって、あれは夢だったんじゃないかと思うときがあるくらいだ。

「それはきみにあげるよ。好きにしていい」

「え。でも……」

いかにも高価そうな鏡に、エドワードが眉を寄せた。

「もらえねぇよ。だって大事なもんなんだろ?」

割れても捨てずに新居にまで持ってきたため、エドワードはそれを宝物かなにかだと思ったようだ。

宝物、ではなく。

宝物を映し出す鏡なのだけれど。

「祖父からもらったものなんだ。きみに使ってもらえたら嬉しいよ」

新しくなった鏡には、たぶんもうあの不思議な力はないだろう。

『本当に好きな人を映す鏡なんだよ』

あるいは、なにか錬成陣が施してあるのかもしれない。未来を見るとか、なんかそんなようなものが。

それでも、確かに鏡はエドワードを映し出した。

そして今、鏡ごしではない目の前にエドワードがいる。

「愛してるよ、エドワード」

「……なんだよ、急に」

恥ずかしいのか、エドワードは首筋まで赤くなった。

抱き寄せて抱きしめる。
小さくて柔らかい体を、自分の腕で包み込む。
これ以上の幸せは、他にない。

「愛してる」

「………うん。オレも」

怪訝な顔をしながらも頷くエドワードに笑って、またさらに赤く染まる頬にキスをした。



幸せをありがとう。


愛してるよ、エドワード。






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