魔法の鏡





「なぁ。いつだったか、」
エビフライをフォークに突き刺したエドワードが、遠慮がちにこちらを見た。
上目遣いな視線に、鼻血が出そうだ。
「なんでしょうか?」
動揺を隠して微笑むと、エドワードは目を逸らした。
「ごめんな。無神経なこと聞いて」
「無神経………?」
「ほら、あんたが来てすぐ。廊下で会ったときさ」
なぜ錬金術をやめたのかと、1年前に聞かれたのを思い出した。
「いや、そんな。謝られることは」
「オレ、あんとき知らなくて。錬金術師が来るって、それだけ大佐に聞いてたから」
軍属の錬金術師は少ない。この子は、きっと仲間ができたと喜んだのだろう。錬金術の話ができる相手は、ここには司令官と自分しかいない。
「気にされることはありません。やめたのは私の都合ですから」
「でも………」
戦場に出たことのないエドワードは、こちらのその苦悩がわからないのだろう。それでも、人の命の大切さは知っている子だ。どれだけ重い出来事だっただろうかと、想像して落ち込んでいるに違いない。
目の前に座る優しい錬金術師を抱きしめたくなって、それを誤魔化すために急いでフォークを動かして食事を再開した。
「私を気にされるよりは、ご自分を気になさってください」
「オレ?なんで?」
「よく怪我をなさっているでしょう。ちゃんとした治療もしないで放っておくと、傷跡が残りますよ」
エドワードの目が真ん丸になった。
「なんで………」
「私はあなたのことはよく知ってるんです」
笑ってみせると、エドワードの頬が赤くなった。ぷいと顔を背けるのは、拗ねたり照れたりするときによくやる仕草だ。何度も鏡で見たそれを、目の前でしてくれるなんて。

嬉しくてたまらなくて、調子に乗ってしまったのだろう。思わず手を伸ばし、その赤く色づいた頬を指でつついてしまった。
怒るかと思ったが、エドワードはますます赤くなるばかりで。

「………なんだよあんた。ストーカーかよ」

その言葉で我にかえった。

その通りだ。毎日毎日、暇さえあれば鏡を通してエドワードを見つめている。彼がまったく知らないところで、自分は彼のなにもかもを知ってしまっている。好きなものや嫌いなもの、どこのアパートのどんな部屋に住んでいるか、普段はなにを着ていて、休みの日になにをしているか。
これではストーカーと同じだ。そのつもりはなかったが、やってることはそのままだ。

「……すいません」

思わず謝ったが、そこからどう言えばいいのかわからない。彼はいつも怪我を隠し通していて、それは司令官すら気づいていないことなのだ。

だが、エドワードは謝罪の言葉に慌てた。こちらを見る目には嫌悪も疑いもない。

「冗談だよ!んな真剣に謝んなよ!」

「でも、差し出がましいことを言ってしまいました。申し訳ありません」

「や、怪我して医者に行かねぇっての、その通りだから。オレが悪いんだから、謝る必要はねぇよ」

やっぱ鋭いやつにはわかっちゃうんだな。エドワードはそう言って苦笑した。

「な、あんたさ。錬金術の本とか、まだあんの?」

「………ありますが」

「マジ!な、それ見せてよ!見たい!」

萎縮してしまった自分を気遣って話題を変えたのかと思ったのに、エドワードはきらきらと瞳を輝かせて身を乗り出してきた。
自宅にある本を思い浮かべ、遠慮がちに微笑んでみせて、
「生憎ですが、あなたとは系統が違っておりましたので。参考になるような本はあまりないと思いますが」
「え。なんでわかんの?」
「なんでと言われましても……」
いつも見ているからだなんて、言えない。
「あの、昔あなたが資格を取られた際に軍の機関誌に載ったでしょう。それで、」
「ああ、そういえば……」
頷いたエドワードは、それで納得したようだった。
機関誌にそんなことまで書いてあったかどうかは知らない。自分はエドワードの写真しか見ていなかった。
「系統違っても別にいいよ。オレ、どんな本でもいいから読みたいんだ」
知識欲の旺盛なエドワードは、そう言って笑った。

「今日、あんたんち行ってもいい?」

「……………へ」

なんということだ。

「い、いや。散らかっておりまして……」

「一人暮らしなら当たり前だろ。オレだって似たようなもんだぜ」

いやいやいや。うちに比べたら、まだ歩くスペースがあるだけマシだ。なにしろ帰って食事をしたら、あとは寝るまで鏡を見続ける生活なのだから。

「しかし……」

「なに?彼女でも居る?」

「とんでもない!」

思わず強く否定してしまった。もう何年も、自分にはこの子だけなのだ。女なんて、仕事に来て挨拶をかわす程度にしか付き合っていない。

「そう?あんた顔いいから、彼女とかいそうだけどな」

「いませんよ。本当に、誰もいません」

「ならいいじゃん。連れてってよ、仕事終わる頃に行くからさ」



天使のような顔で微笑まれて、断れる男はいないだろう。



終業時間まで、仕事など手につかなかった。

エドワードが、うちに。

遠すぎて接点など皆無だと思っていた彼が、向こうから近づいてきてくれるなんて。



迎えに来てくれた彼と、一緒に司令部を出て街を歩き、一緒に買い物をして一緒に食事をする。
なんだかデートみたいだ、と浮わついた気分で自宅に戻り、鍵を開けたところで現実に戻った。
「申し訳ありません…その、散らかしすぎておりまして……」
「…………うわ……」
あまりの汚さに呆然としたエドワードを見て、帰ってしまうのではないかと思った。
だが、彼は部屋に踏み込んでこちらに向かって手を出した。
「ゴミ袋!」
「は?」
「片付けるんだよ!座る場所もねぇじゃんか!」
エドワードは受け取った袋を片手に、部屋の中を掃除し始めた。意外に手際がいい。さっさと袋を満杯にして、次を取ってまたゴミを詰めていく。しばらくすると、部屋はすっかりきれいになった。
「ありがとうございます。上官に掃除など、本当に申し訳なく……」
「あんた、ほんっとーに彼女いねぇのな」
謝罪の言葉など聞く気はないらしいエドワードは、洗った手を拭きながら笑った。
「仕方ねぇから、オレがしてやるよ。明日は洗濯するからな、服出しとけよ」
「…………え」

明日って。

明日も来てくれるのか。

どうしたんだ、自分は。
落ちるところまで落ちたから、次は浮上なのか。

だが、きっとこれは彼の気まぐれなのだ。単に錬金術を話せる相手ができて嬉しいだけだ。
明日になれば忘れているかもしれないし、来てくれたとしてもそれだけだ。いくらもない蔵書を見てしまえば、彼にはここはもう用のない場所なのだから。

それでも嬉しくて、出し惜しみしようかと思っていた本をあるだけ全部床に並べて見せた。中にはもう手に入らない本もあり、エドワードはそれを見てずいぶん喜んでくれた。

彼の横顔を眺めるのが、幸せ過ぎて。

もういつ死んでもいいとさえ思った。



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