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もうひとつの「黒と赤の夢」





『おはよーっス……』
携帯から漏れてくるのは、ハボックさんの声だ。元気がないのは、二日酔いだかららしい。
『仕事は夜じゃなかったっけ?……てゆか頭痛ぇんスけど。寝かせてよ』
「おまえ、どういうつもりだ。エドワードは私が先に目をつけたんだぞ、横入りするな」
『先とか後とか、こういう場合は関係ねぇでしょ。つかマジ頭痛ぇから、耳元でしゃべらないで』
電話なんだから耳元から聞こえるのは仕方ないんじゃないかな。
ていうか、目をつけたってなに。怖いんだけど。
「とにかくエドワードはもう私のものだ。遊びで声をかけたりするな」
だからいつからあんたのモンになったんだっつの。
『根拠のねぇ言葉に従うわけねぇだろ。エドのやつ、なに言ってんだかわけわかんねぇってツラしてんじゃねぇの?』
確かに、そんなツラしてると自分でも思う。
「今はまぁ、まだ急な話だからな。だが近いうち、きっとエドワードも同じ気持ちになってくれるはずだ。なにしろこれは運命が起こした奇跡なんだから」
絶対頭おかしいよ、こいつ。
『運命ってんならオレだろ?だってファミレスで偶然エドと会ったのはオレなんだからよ』
こんな無駄に確信に満ちた戯れ言、聞いたことない。
「いや。今、現実にエドワードの隣にいるのは私だ。だから私がエドワードの運命の相手ということに」
『エドに朝来いっつったのあんただろ。そんな作為的な運命なんかアテになるかっつの』
「夜の仕事は今日からのものだし、新しい仕事なんだから慣れてるおまえたちのほうがいいのは当たり前だろう。それに、聞けば荷は大型で一車あるというじゃないか。大事なエドワードをそんな大変な目に合わせるわけにはいかん」
『いやいや待て。それオレ聞いてねぇぞ。一車、ってマジか。パレット積みだろうな?手積みとか言わねぇよな?』
「パレットで積みきれそうになかったら手積みだな。それでもダメなら、余った分はどこかに増便を頼む」
『積みきれねぇかもしんねぇんかよ。荷はなんだ?軽いモンだよな?』
「果物だ。今の時期なら、梨かリンゴか」
『くそ重てぇじゃねぇか!鬼かてめぇ………あいたたた、頭に響く』

口論はいつの間にか仕事のことになってた。
一車、ってのは、いっしゃ、て読む。一台の車って意味で、大型に一車ってことはつまり、大型車一台分、満杯になるくらい荷物がありますよってことだ。
パレット積みってのは、木の板を組んで作った荷積み専用の板(プラスチック製のもあるけど、それは持ち出し不可だったり持って帰って返さなきゃいけなかったりする。荷を積んだまま持って行かせる場合は木製のやつしかも崩壊寸前のボロを使うことが多い)に荷物を積み上げて、リフトを使ってトラックの荷台に並べて押し込むこと。オレはいつもそうして積んでた。
パレットを並べて積むとわりと隙間ができたりするから、手で積み上げたほうがたくさん積める。パレットを積める枚数には限度があるから、それを越えた数の荷物があるとパレットから手で荷台に移すしかない。
つまり、そこまでしなきゃならないかもしれないくらいたくさんの荷物があるよって、社長は言ってるわけだ。梨やリンゴだと箱ひとつひとつが重いから、それを手積みしなきゃならない可能性に対してハボックさんが文句を言ってる。

オレ、そんな仕事もできないって思われてるのか。
そりゃリフトを使った仕事しかしてないから、慣れてないのは確かだけど。でも、やらせてもらえなかったら慣れることもできないのに。

ちょっと落ち込んだオレに目ざとく気づいた社長が、まだ文句を言うハボックさんを無視してそのまま電話を切った。
「言うだけは言っといたから、ハボックももうきみにちょっかいは出さんだろう。もしまだなにか言うようなら、私に言ってくれ」
「…………うん」
「………別に、きみにあんな仕事は無理だなんて思ってるわけじゃないよ」
社長はポケットからタバコを出して、一本抜いて火をつけた。
「ただ、私がきみと一緒にいたいから朝来てもらっただけだ。ブレダは青果の仕事の経験があると言ってたし、ハボックと気が合うようだったから。それだけだよ」
「………ブレダさん、経験あるんだ?」
「ああ、昔勤めていた会社が市場仕事をしていて、青果も鮮魚もやったと言ってた」
「そっか………」
本当の素人は、オレだけか。
それにまた落ち込むオレ。
社長がため息と一緒に煙を吐いて、トラックのエンジンをかけた。振動と、低く唸るエンジン音。型はちょっと古いけど、調子はよさそうだ。
「今から市場へ行く。運ぶのは野菜で、だいたいいつもパレットに5、6枚分くらいだ。きみはリフトが使えるんだったね」
「うん」
6枚なんて、大型どころか4トン車でも余裕で載る枚数だ。やっぱり、気を使われてるんだろうか。
俯くオレに、社長がくすっと笑った。
「少ないように聞こえるかもしれんが、パレットに山積みの野菜が6枚分あると、結構な量だぞ?それに、行った先ではそこの専用パレットに移さなきゃならない。積むのはパレットだが、おろすのは手おろしだ。食品はそういうのが多い」
「…………………」
「これをしばらくやっていれば、青果にも手積み手おろしにもそのうち慣れるだろう。なんでも最初はゆっくりだ。そうだろ?」
「………………うん」

そうだ。
前いた会社の仕事だって、最初はできなかった。
リフトを使うのも初めてだったし、パレットを並べて積むことも難しくて。
初めて一人でそれをしたとき、何時間かかったっけ。他のみんなが素早く積んでさっさと出ていく中、なかなかうまくできなくて泣きそうになったりして。
見かねたブレダさんが手伝ってくれようとしたのを、首を振って断った。意地になってたんじゃなくて、一人で全部やれれば、自信がつくと思って。この先この仕事を続けていけると言い切れる自信が、絶対持てるようになると思って。
それで、頑張って。

ひと月後、みんなと変わらない時間で積み込みが終わるようになった。
ふた月後、リフトを使うことが面白くなった。自分の手足のように、自由に動かせるようになったリフトが、楽しくて。
三ヶ月後には、あとから来た新人に積み方やリフトの使い方を教えられるようになってた。
いつの間にか、荷を見て意識しないで積み方が頭に浮かんだし、その通りに積むことも簡単にできるようになった。

そうだ。
誰だって最初は素人なんだ。少しずつ慣れて、うまくなるんだ。
今までやってたことも無駄じゃない。リフトは使えるんだから、慣れるまでに前ほど時間はかからないはず。

「……うん。ありがとう、頑張るよ」

笑顔を向けたら、社長が固まった。
いつかの夜、初めて会ったときと同じ。目を見開いたまま、微動だにしない。

「社長、指。焦げるよ」

「…………え。あ、熱っ!」

タバコを慌てて灰皿に入れ、それを持っていた手をエアコンの送風口にかざす社長。大丈夫なのか本当に。

「具合、悪ぃの?」

「いや」

ほんのちょっと赤くなった頬を隠すように、社長がオレから顔を背けた。

「……相変わらず、強烈な破壊力だな……」

「なにがだよ」

「きみの顔だ」

「ちょ、どういう意味だよ!」

顔に破壊力があるとか、どんだけだよ。そこまで言われるほどすごい顔なのかオレ。そうだとしたって、面と向かって言うなんて失礼だと思わないのか。

「そういう意味じゃないが………いや、わからないならもういい」

クラッチを踏み込みシフトレバーを握る社長に、色々とまだ言いたいことはあるけど、とりあえずは仕事だ。

市場の近くは通ったことあるけど、入ったことはない。なんだか関係者じゃなきゃ入っちゃいけない雰囲気だし、興味はあっても用事は特になかったから。

どんなところなんだろう。野菜って、なにを積むのかな。どこにどうやっておろすのかな。

わからないことだらけ。
だから、どきどきする。




たった4人の、小さな会社。そこが今日から、オレの新しい居場所になった。
変な仲間と、変な社長。
どんな毎日が始まるのか、と考えたらなんとなく不安になるけど。

でも、頑張れる。

真っ黒の車体に、赤く輝くマーカー。

憧れたトラックを自分の手で操ることができるようになるのは、きっともうすぐだから。






「そういえば社長、なんでトラックの色これにしたの?黒と赤って、普通ないよね?」
「ああ。食品を扱うトラックは清潔感第一だからね、白が多いだろ?黒は私が好きな色だし、他にないから目立っていいかな、と」
「清潔感は無視かよ」
「出来立ての会社は目立つのが先だろう。せっせと磨いてきれいにすれば清潔っぽくなるし」
「……ツッコみたいけど、まぁいいや。で、赤いマーカーはなに?なんか意味あるの?」
「赤は、あまり考えたわけじゃなかったんだが…でもほら、きみ赤が好きだろ」
「うん。だって強そうだし。戦隊ものだってヒーローはみんな赤なんだぜ」
「戦隊…………いやいや、なにも言わないよ。子供か、とか別に思ってないからね」
「思い切り口に出てんじゃねーかよ」
「まぁまぁ。とにかく、きみが赤で私が黒。意識せず選んだ色だが、きっとこれはきみと私の未来を暗示しているんだよ。近い将来結ばれる運命なんだ。今夜とか」
「近すぎだろ!」

カラーの由来とか、聞くんじゃなかった。






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