もうひとつの「黒と赤の夢」





「おはよう。よく眠れたか?」
「………はぁ……」
寝ぼけ眼をこすりながらのオレの返事に、社長が怪訝な顔をする。

眠れるわけない。いきなり勤め先が潰れて、そのまま別の会社に入ることになって、しかも面接に行ったその場であんなこと言われて。
『オレのもんになれよ』
冗談なんだか本気なんだか、あいつの考えることはさっぱりわからない。

だけど翌日の今日は、初出勤。新しい会社、新しい仕事。食品を運ぶなんてやったことがないから、一から教わらなくてはならない。眠いなんて、言ってる場合じゃない。

「よろしくお願いします」
頭を下げると、社長は肩を竦めて苦笑した。
「今まで通りでいいよ。そんなに固くならないでくれ」
「いや……そういうわけにはいきません」
以前会ったときは、他社のドライバーだと思っていたから普通にため口きいてた。社長だってわかってからも、自分とは関わりのないよその会社の社長さんだから、なんて思ってた。昨日だって、まさか採用されるとは思ってなかったから普通にしてた。
けど、今日からは違う。オレの雇い主で、仕事においても先輩になる。それなりの敬意を払わなくては、以前の会社ではそりゃもう大変な目に合うところだ。それで辞めざるを得なくなった人もいたんだ、気をつけなくては。
「前はどうだか知らんが、ここは違うよ。たった四人しかいない会社で、そんなにガチガチにされては居心地が悪い」
オレの頭に社長の手が乗る。温かくて大きな手だった。

「それに、寂しいじゃないか。きみとは個人的に、もっと親しくなりたいと思っているのに」

………個人的に?
………気さくな人、なのかな?

「履歴書は持ってきたか?きみの誕生日を確認しておかなくては。プレゼントはなにがいいかな」

………誕生日?
………気さく、過ぎないかな?

「や、まだまだ先なんで…」
急いで首を振る。プレゼントなんか受け取ったら、なんだかヤバいことになりそうだ。
「あ、えーと!ハボックさんとブレダさんは…?」
話題を変えようと、周囲を見回した。出勤時間として指示された午前10時を過ぎているけど、事務所にはオレと社長だけしかいない。
「あの二人は夜中から別の仕事に行くことになってる」
トラックの鍵を掴んで立ち上がる社長。ようやく出発のようだ。
「別々なんですか?前会ったときはハボックさんと一緒に乗ってましたよね」
ついて行きながら聞いたオレに、社長はドアを開けてちらりと視線を寄越した。
「あのときは仕事も少なかったから、二人で出て交代で運転したりしてやってたんだ。けど、バスやトラックの事故が増えて監査も厳しくなってきてるし、二人で24時間走りまわるというわけにもいかなくなって」
新聞を賑わせた、高速道路での観光バスやトラックの事故はオレも知ってる。いずれも過密スケジュールによる過労が主な原因で、昨日までいた会社でもシフトの組み方や仕事内容なんかを行政の手が入らないうちにと見直したりしていた。
けれど、積んでナンボ走ってナンボなほとんど歩合制のような会社が多いこの業界では、シフトや仕事を減らされることは減給とイコールだ。仕事が楽になるぶん生活は厳しくなる。なので不満を言うドライバーも多かった。
「ここも給料は歩合制なんですか?」
「いや、月給だよ。そこに残業手当や乗務手当がつくんだ。なんだ、ブレダから聞かなかったのか」
「はぁ……」
面接のあと皆で行った焼肉屋で、ブレダさんとハボックさんはすっかり意気投合して浴びるみたいに呑んでいた。ふらふらになってタクシーに乗ったブレダさんは、そんな話なんてできる状態じゃなくて。
「まぁ正直、社員がこんなすぐに来てくれるとは思ってなくてね。あまり詳しいところまで決めてないというのが現状なんだが」
申し訳なさげに笑う社長。オレたちだってまさか会社がなくなるとは思ってなかったし、その日の夜には次の就職が決まるとも思ってなかったわけだから、お互い様ってやつなんだけど。
「今夜ハボックたちが行く仕事は、今朝決めたばかりの新しい仕事でね。どんな感じなのか私もよくは知らないんだ。シフトなど細かいことは様子を見ながら考えるから、少し待っててくれないか」
「………今朝?」
「そう。話は来てたんだが、人手が足りないから断っていたんだよ。昨日二人増えたし、ブレダは大型車の経験もある。大丈夫だろうってことで、今朝話をして決めてきた」
「………………」

できたばかりの会社なのに、選べるほど仕事が来て、しかも断ることもできるなんて。今どき運送屋なんて腐るほどあって、仕事を断ったりなんかしたらもう次から回してもらえなかったりもするのに。

何者なんだ、この社長。

「………社長って、どっか運送屋で働いてたりしてたんですか?」
「そりゃ当たり前だろう。一応そういう経験がなくては、いくら私でも運送会社なんて作れないよ」
笑いながら社長が言った社名は、どこにでも営業所があって何万という数のトラックが走り回っている、この国では一番大きな運送会社だった。
「このイーストシティで、営業所の所長をしてたんだ」
「営業所、って。港の側にある、あれ?」
ビルみたいな社屋と、何棟ものでっかい倉庫。広い敷地に、何十台と並ぶトラック。社員なんて、千人くらいいるんじゃないか。
「なんで……あそこの所長さんだったら、辞めて自分で会社なんか作らなくても…」
言いかけてはっとして口を閉じたけど、遅い。社長は苦笑いしてトラックのドアを開けた。
「まぁ、大きければそれだけ色々あるということだ」
ほら、と促されて助手席によじ登った。余計なことを聞いたか、と思って恐縮していると、社長が持っていたスポーツバッグの中から缶コーヒーを出して放ってくれた。
「色々あったがね、今の私にはプラスになってるよ。取引先に独立したと言って挨拶に行けば、必ず仕事を回してくれる。持つべきものはコネだな」

笑う社長に、それは違うと思った。まだドライバーになって半年しか経たないオレにだってわかる。

仕事を回してくれるのは、この社長に人望があるからだ。あの大手運送会社よりも、この社長が作った小さな出来立ての会社のほうを選んでくれるのは、社長が信頼に足る人物で、仕事においても信用できると認められているからだ。会社の規模なんて関係なく、この人に頼みたい、と思ってもらえているから。
そうでなきゃ、こんな小さな運送会社が仕事を選んだりできるわけがない。普通の社長がそんなことしてたら、それこそあっという間に会社なんか消えてなくなる。

思っていたより、すごい人だったんだ。

そんな会社にオレみたいな新米が入って、いいんだろうか。だってなんにもできないし、なんにも知らない。社長の評判を落とすなんてことになったら、せっかく拾ってもらえたのに恩返しどころか迷惑にしかならないじゃないか。

俯いたままのオレに、社長がため息をついた。
「なにか難しく考えているようだけどね。私も数年とはいえ人の上に立つ仕事をしてきたんだ。これでも見る目はあるつもりだよ」
顔をあげると、運転席の社長と目が合った。
「きみは私にとって必要だ。そう思ったから来てもらった。きみもブレダも、これからのこの会社には必要不可欠な大事な人材だ。だから、不安になんてなることはないんだ」
「……はい」
慰めかもしれない、と思ったけど、オレは素直に頷いた。

今のこの会社に必要なのは、オレじゃなくブレダさんだ。
でも、いつか本当に必要としてくれるときがくるかもしれない。

そうなれるように頑張れば、いつか。

「………で。エドワード、さっきの話だけど」
シートベルトを締めながら、社長がオレを見つめる。
「さっき?」
「誕生日のプレゼント。なにがいいかな」
…………………?
「それと仕事と、なんか関係が…」
「いや、ないけど」
「…………まだまだ先なんで、プレゼントとかは別に…」
「なにを言うんだ。まだまだ先ということは、前回の誕生日は最近だったということだろう」
「……………いや……えーと」
「次の誕生日より前回の誕生日のほうが近ければ、前回の分のプレゼントを贈らなくては」
「前回の誕生日のときには、社長とは出会ってもなかったですし」
「そのときには出会ってなかったかもしれないが、今は出会っている。だったら贈ってもいいんじゃないか?」
「………いや。そんな理屈、聞いたことないです」
「今聞いただろ?」
「……………………」

忘れてた。
社長としてはすごい人なのかもしれないが、頭はちょっと変だったんだ。

どうしよう。ていうかしつこいんだけど。

「いやもうホント、なんにもいらないですから」
「遠慮しなくていい。きみが乗ってきたあの原付、ちょっと古いようだな。新車はどうだ?いやどうせなら原付より車を…」
「いやいやいや。そんな高いモン受け取れませんし、あの原付気に入ってるんで」
「じゃ、なにがいい?指輪とかどうかな、私とお揃いで」
「……いやいらない。つかなんでお揃いなの」

敬語がどっか行ったけど、探す気になれないのは仕方ないと思う。

「決まってるだろう。きみは私のものだと、世間に知らしめなくては」
「…………いつからそうなった」
「今日からだよ。知らなかったのか?」

知るわけない。ていうかこの社長、本気で頭大丈夫なのか?

「なんでそうなるのか、さっぱりわかんねぇんだけど」
「初めて会ったときから、そうなる運命だったんだよ。でなきゃ今、きみが隣に座ってるなんて奇跡があるわけないだろう」

キモいしウザい。殴っちゃダメなのかな。

「というわけだから、素直に私のものになりなさい」
ハンドルじゃなくオレの手を握る社長は、仕事をする気はないようだ。

ブレダさんの言葉を思い出す。危ない、ってこういう意味だったのか。気づくのが遅かったけど。

「……この会社って、変な人しかいねぇの?二人揃っておんなじようなこと言って」
「二人?」
「ハボックさんだよ。昨日同じこと言われた。悪いけどオレ、入ったばっかだから。ここのノリにはまだついていけねぇ」
この先もついていける自信はないけど。
言うと、社長は黙った。
それからしばらく黙りこんで考えごとをしていたかと思うと、いきなり携帯を手に取って電話をかけ始める。

いったいいつになったら仕事が始まるんだろう。

ていうか初日からこれで、オレ大丈夫なんだろうか。


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