もうひとつの「黒と赤の夢」





インスタントコーヒーをソファーで真剣に話し合いを続ける二人の前に並べ、オレとハボックさんはカップを手に外に出た。事務所の窓から漏れる明かりで、大型トラックのメッキ部分がきらきら輝いている。
「中古だけどよ、結構きれいだろ?頑張って磨いてるからさ」
得意げなハボックさん。
「まだこの一台しか車は無ぇけど、そのうちもっと増やすんだ。いつか、この国で一番の運送会社になるのが目標で」
「…………そうなんだ」
メッキの輝きに負けないくらい瞳を輝かせて言うハボックさんを、不思議な気持ちで見上げた。今まで、こんなに自分の会社を夢と希望と愛情を持って語る人に会ったことがない。
今日までいた会社も、みんな不満だらけで、惰性のように仕事をしていた。口を開けば社長の悪口と仕事内容への愚痴、待遇に対する不満。他の会社の人たちもたいてい話題は似たようなもので、新米のオレは、早くどこか違う仕事を探したほうがいいとか、そんなことをよく言われていた。
「そんなふうに言えるなんて、すごいよね。オレなんか今まで、仕事についていくのがやっとで、会社のこととかあんまり考えたことなかった」
言うと、照れくさそうに苦笑したハボックさんがトラックのドアを開けた。
「会社を作ろうって、社長と二人で決めて、ほんと毎日駆け回っていろんなことしてさ。うるさい手続きとか、頭突き合わせて必死で片付けて。そんでここの土地借りてこの車買って、仕事貰って、寝ないで走って。そんなだから、余計そう思うのかもな」
頷いたオレの頭を、ハボックさんの大きな手ががしがし撫でた。
「うちはまだまだ出来立てで、本当にいろんな意味で今からの会社なんだ。おまえが来て、あいつが来て、そんで一緒に頑張ってくれたら、もっと楽しくなる。オレ、これでも期待してんだぜ?」
「あいつって?」
「ブレダだよ、もちろん」
「え、ほんとに!?」
笑顔になるオレに、ハボックさんはにやっと笑った。
「運転の腕はどうか知らねぇけどよ、責任感あるし面倒見もいいみてぇだし、真面目そうだ。それにおまえのことを本当に心配してる。社長がバカなことしねぇように、お目付け役にはちょうどいい。オレは社長と似たとこあって、どうもそういうのには向いてねぇしな」
「……………バカなこと?」
ブレダさんのいいところを、あれだけの短い間にわかってくれて認めてくれたハボックさんに、オレは素直に感謝した。ファミレスでブレダさんを挑発するようなことを言ったのは、わざとなんだろう。試していた、という感じか。そういうところは、このハボックさんという人もいい加減そうに見えて油断ならない人なのかもしれない。いい意味で、だけど。
けれど、最後のは気になった。お目付け役、ってなんなんだ。
「ここの社長に、そんなの必要なの?」
「あー、まぁな。あの社長、ほんと見境ねぇとこあるから」
「…………見境?」
「そのうちわかるさ。ほら、乗ってみろよ。大型乗ったこと、あんまりねぇだろ?」
どきん、と胸が強く鳴った。
あんまりどころか、一度もない。今までいた会社には大型車は少なくて、いつもたいてい出払っていたし、たまたま車があってもオレを乗せてやろうなんていう親しい人もいなかったから。
「いいの?」
「当然だろ?今日から仲間になるんだし、これで仕事すんだからよ、遠慮してどうすんだよ」
仲間。
同僚、ではなくて。
「上がるの難しいんなら、抱き上げてやろうか?」
「いやいや!大丈夫だから!」
並ぶと嫌でも際立つ身長の差を、認めるわけにはいかない。多少小柄なのは仕方がないとして、機動力でそれを埋めないと。オレは背伸びして手を伸ばし、飛び乗るように運転席によじ登った。
「………わ、高ぇ……」
4トン車よりもずっと高い視点。プレハブもハボックさんの旧車も、うんと小さく見える。
「視点が高い分、乗りやすいよな。オレ普通車よりトラックのほうが運転楽なんだよ」
助手席に上がってきたハボックさんが、まわりを見回しながら言う。
「そ、そうかな……」
4トン車の視点にやっと慣れたばかりのオレにとって、大型車の視点は高すぎる。怖い、と感じるこの高さに、慣れることができるんだろうか。
「ま、今からだよ。ちょっとずつ。焦るこたねぇからよ」
見透かすように言って笑うハボックさんに、笑顔を返した。

焦らなくていい。
ちょっとずつ。

ということは、オレはずっとここにいていいってことで。

なくしたと思った居場所を、また見つけた。

あの日出会って、憧れたこの車とそのドライバーと、これからはずっと一緒にいられる。

嬉しくなってにやけながらハンドルを握ってみるオレを、ハボックさんがじっと見つめてきた。
「……なに?」
「いや………おまえ、可愛いなぁと思って」
「…………………」
喜んではしゃいでしまったオレを、子供扱いしてると思った。
だから黙って、不機嫌な顔をハボックさんに向けたんだけど。
「ガキっぽいって言ってるわけじゃねぇぞ?最初に会ったときも、可愛い顔してるなって思ったんだけどよ」
なんだか、意味が違ったらしい。
怪訝な顔になってしまうオレに、ハボックさんが手を伸ばしてきた。
「マジ可愛い。なぁ、オレと付き合わねぇ?」
「……………はぁ?」
付き合う、って、彼氏とか彼女とかになる、アレのこと?
「社長に余計なちょっかい出される前に、予約しときたくなった。大事にするから、オレのもんになれよ」
「…………………」
返事ができないのは、あまりにも予想外過ぎたからだ。
茫然としている間に、ハボックさんはどんどん距離を詰めてくる。
「………………いやいやいや!」
頬を触られる感触に我に返り、慌てて身を引いた。ドアに肩をぶつけて痛いけど、言ってらんねぇ。
「オレ、男だから!無理だから!」
「なに古臭ぇこと言ってんだよ。今時普通だろ、そんなん」
当たり前みたいな顔で返される。
「同性婚だって当然な時代に、男だからダメなんて理由になんねぇぞ?」
理由になんないの?
え、オレがおかしいの?
前時代の遺物みたいな言い方をされて、一瞬混乱する。
ぐるぐるになった頭の中身に、オレがくらくらしてきたとき。
「ま、その気がねぇなら無理なことはしねぇよ。ブレダに叱られるしな」
ハボックさんが素直に引いてくれて、ほっとした。彼女いない歴が年齢と同じなオレは、こんな場面には慣れてない。赤くなってしまった頬がどうしようもなくて、目を逸らすしかなかった。
「でも、諦めたんじゃねぇからな?そこは覚えとけよ?」
「………へ」
逸らしていた目を向けたら、ハボックさんがまたにやっとした。
「これから、よろしくな?エド」
「……………」
からかってるんだか本気なんだか、全然わかんねぇ。


事務所の中に戻ってみると、黒髪社長とブレダさんはまだソファーに向き合って座っていた。怖いくらい真剣な表情に、思わずハボックさんと顔を見合わせる。
「……オレは、そうは思いませんね」
眉を寄せたブレダさんが言い、社長がふむと腕を組む。
「だが、最善はそれだろう」
「なにが最善かは個々によって違いますから」
「だが、ここは私の意見に従ってもらいたい。個々によって違うなら、それを統括する者が必要じゃないか?」
なにか、意見の食い違いがあったらしい。
あまりにも真剣過ぎる顔の二人に、入り口に立ったまま動けないでいると。

「言いたかねぇが、あんただってもう30を過ぎてるんだろう。年を考えて、ここはアッサリでいくべきだ」

「おまえだってたいして違わんだろう。体を考えるなら、やはりここはシッカリでいかなくては」

「もうこんな時間だし、営業しているところも限られてる。近いんだし、アッサリうどんか蕎麦ですませるほうが」

「いや、明日も仕事なんだ。おまえもエドワードも初出勤だし、ここは前祝いと体力作りも兼ねてシッカリと肉を食うべきだろう」

…………飯の内容でもめてるらしい。

「………エドの名前を出されちゃ仕方ねぇ。デザートもつくんでしょうね?」

「無論」

「よし」

ざっ、と立ち上がる二人。

呆れた目で見守るハボックさん。

三人について事務所を出ながら、なんだか不安になるのを止められないオレだった。

大丈夫なんだろうか、この会社。





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