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知らない世界の、知らないきみと





◇◇◇◇



皆が忙しい中、なにもわからない私はすることもなく椅子に座ってぼんやりしていた。エドワードもソファに寝転んで、暇そうに雑誌をめくっている。
「………なにを読んでるんだ?」
「週刊アメストリス」
「なんだそれは」
「ゴシップとか噂話とか、芸能人や有名人の色んな記事を載せてんだ」
「意外だな、そんなものに興味があるとは」
「まぁ、そりゃあね」
エドワードが顔をあげる。
「毎週どっかにあんたの記事が載ってるから」
「はぁ?」
ソファに行き、覗きこむ。開かれたページに踊る見出しは、『マスタング将軍、またしても夜の街で女性と密会!』。
「…………なにやってんだ、こっちの私は」
呆れて言うと、エドワードが肩を竦める。
「よく写真見てよ。これロス少尉だよ」
「………ロス?」
知らんな、と言うと、エドワードが意外そうに私を見た。
「ロス少尉はあんたの部下だよ。あっちにはいねぇの?」
「いないかどうか知らんが、私は知らん。その女性が私の浮気相手なのか?」
「違うって。皆で飲みに行ったとき、たいさとロス少尉が先に店から出てきたところを撮られたんだよ」
「捏造か?」
「うん。だってそのとき、オレもいたし」
写真をさらによくよく見ると、私の後ろ、腕のあたりにちょこっとアンテナの先が見える。
「ちっさ………いやなんでもない」
睨まれて黙るが、遅かったらしい。エドワードはむくれてそっぽを向いてしまった。
「先週はホークアイ中尉と写真撮られてたよ。いつもたいてい、こんなんばっかだ」
リザとこんな記事に。私だったら夜逃げしたくなるレベルの恐怖だが、こっちの私は大丈夫だったんだろうか。
「雑誌出た日、青い顔して震えながら帰ってきたからあんまり大丈夫じゃなかったみたいかな」
そうだろうな。
「だが、こんな捏造記事を野放しにしておくなんて、私は一体なにをしているんだ?抗議して記事の訂正を求めるべきじゃないのか」
「いや。ほっとけって、たいさが」
「だが、」
「そのほうが都合がいいから、ほっとけって」
「都合……?」
「詳しいことはわかんねぇけどさ、こいつ昔からこうだから。こういう噂とか、否定しねぇっつか。誰かに聞かれたら、肯定にとれるような返事したりするんだ。遊びまわってるみたいに思わせとくほうがいいんだって」
「………………」

上役との化かし合いというか、どうやったら抜け駆けできるか、相手を出し抜いて自分が上にいくためにはどうしたらいいか、なんていう経験は私にもある。昔、大手の運送会社にいた頃はそうだった。自分が任された営業所を大きくするために策を巡らせ、他社や他の営業所がミスをしたりコケそうになったりするのを見ては喜んでいたものだ。自分にチャンスが回ってくる、と思って。それが嫌になってそこを辞め、自分の城を作ったわけだが。
しかし、こっちの私は未だそういう醜い駆け引きの中にいる。政治まで統括する軍隊なんだから、私には想像もできない色んなことがあっただろう。上役だって海千山千といった連中ばかりで、この歳で将軍になるには相当の努力と知略が必要だったはずだ。
そこはわかるが、だからって。
独身ならともかく、妻を持つ身になってまで、こんな記事を甘受していてはダメだろう。上役たちに油断させて隙を狙いたいなら、女性関係ではなくもっと他の方法を考えるべきだ。
方法がなければ正攻法で、実力でのしあがればいい。それができないなら、さっさと見切りをつけて他に城を探すなり作るなりすればいいんだ。

私ならそうする。

エドワードにこんな記事を見せて、こんな顔をさせるくらいなら。

「エドワード」
「なんだよ」
「……………帰ろうか」
「は?」
驚いて振り向くエドワードから雑誌を取って横に置き、その手を引いて立たせた。
「なかなか終わりそうにないし、私も今日は色んなことがあって疲れた。道がわからんから、連れて帰ってくれ」
「でも、まだ……」
さっき捕まえてきた連中の取り調べやらなにやらで、皆はまだまだ忙しそうだ。部屋には誰もいないし、戻ってくる気配もない。ドアを開けて窺ったが、廊下はしんと静まりかえっていた。
「よしエドワード、今なら大丈夫だ」
「……知らねぇぞ、オレ」
もしあっちに帰れれば、明日叱られるのは私じゃない。だから大丈夫。

急ぎ足で階段を降り、ロビーを抜けて外へ。駐車場に停めてあった車に素早く乗り込み、エンジンをかける。
「エドワード、門を出たらどっちへ曲がればいい?」
「右。………ていうかさ、あんた」
エドワードはくすくす笑った。
「司令部だとしょぼくれてんのに、ハンドル握ったとたん元気になるのな。玩具もらったガキみてぇ」
「そんなにしょぼくれてたか?結構頑張ってたつもりなんだが」
けれど、ハンドルを握ると元気になるというのは否定できない。

ギアを換え、アクセルを踏めば車はどんどん加速していく。
なにより一番楽しくて、わくわくする瞬間。
思えば、免許を初めて取ったときからそうだった。

私にはやっぱり、将軍なんかよりも運送屋の社長のほうが向いているんだろう。

駅の側を通り抜ける。ホームに大きな機関車が停まっているのが見えた。
煙を吐いて停車している機関車に、旅支度の人々が乗り込んでいる。大きめな窓にカーテンがかかっているのは、寝台列車だからだろう。
「汽車、珍しい?」
隣からエドワードが聞いてきて、頷いた。
「蒸気機関車なんて、観光用くらいしか走ってない。あるのは電車とモノレールと、あとは新幹線かな」
「……あんたの世界にあるモンて、オレにはさっぱりわかんねぇ」
想像するのを諦めたエドワードが、繁華街に並んだ屋台を指す。
「たこ焼き買って!たこ焼き!」
そういえば晩飯を食ってから時間が経っていた。
車を停めて、二人で屋台を覗く。たこ焼きは私が知っているものと同じ。なぜたこ焼きがあって白米がないのかが不思議なのだが、異世界とはそういうものなんだろうか。

自宅に着くと、もう深夜を過ぎていた。シャワーだけ浴びてさっさと寝よう、とエドワードが着替えを出してくれる。

もしかして、本当に寝たら帰れるのであれば、こちらのエドワードとは今夜限り。もう、会うことはない。

「……風呂、一緒に入るか?」

「死ねよ変態」

ちょっと本気だったのに。

ベッドに入って、天井を見る。豪華な内装に見合った、豪華でいてシンプルな明かりが細工のされた天井でぼんやりと室内を照らす。

もし、帰れたら。

エドワードになんて言おう。ただいま、とか?それとも、会いたかったよ、とか。
どちらも足らない。今まで仕事で何日も会わなかったこともあるのに、こうまで恋しいと思ったことはなかったから。
どんな言葉でも、とてもじゃないが私の気持ちを伝えきれない。

会いたい。
抱きしめたい。
もう何年も会っていないような錯覚に、胸が苦しくなるほどだ。

階下で、ドアがぱたんと閉まる音がする。
人が歩きまわる気配。エドワードがシャワーから出てきて、キッチンのほうへ行ったようだ。
結婚したら、こんなふうにあの子の気配を感じながら暮らすことになるのか。
想像したらなんだかくすぐったくて、思わず微笑んだ。きっと私も、フリルまみれのエプロンを買ってくるに違いない。エドワードはとびきり嫌な顔をするだろうけど、それでも着けてくれるだろう。こちらのエドワードが今朝着けていたみたいに。

意識がぼやけてくる。
疲れた、というのは言い訳のつもりだったが、本当に疲れていたらしい。体が重くなり、目を開けていられなくなる。

ドアが開き、誰かが入ってくる気配。

「たいさ?寝ちゃったの?」

優しい声。それだけ聞くと、私のエドワードがここにいるような気がする。

エドワード、と呼んだつもりだったが、唇はもうろくに動かせなくて。

それへ触れた柔らかい感触は、夢だったんだろうか。

エドワード。

私は、どちらのエドワードも愛してる。

どうか、幸せに。

もしこちらの私がきみを不幸にするようなことがあれば、ぶん殴って切り捨ててでも。

きみは、幸せになってくれ。




深く沈んだ意識の中で、真っ暗な世界を漂う夢を見た。

一人でそこをさまよっていたら、遠くから誰かが歩いてくるのが見えて。

そちらへと行ってよくよく見ると、その誰かは私とそっくり同じ顔をしていた。





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